やっとやーっと気がついた。
私、すごくすごーく褒められたい人だったんだ。
褒められたくて人より賢い、人とは違う、人より感性豊かって。
他人よりどうか、ではなく私は私として褒められたかったんだ。
これまでの出しゃばった言動は全て褒められたいが動機だったんだなぁ。
いつも空回りしてた。
自然じゃなかったから。
自分で自分を褒める、認める、
それしか生きる道は無いんだな。
やっと分かったよ。
随分と回り道をしてきた。
うまくいかなかったことのほとんどは、褒められたい、それが原因。
両親はね、褒めてくれなかった。
テストの結果が良ければ褒められる、ダメなら全否定される。
言う通りに頑張らないから、と。
それがさらに派生して「言うことを聞かない」「ひねくれてる」と人格そのものも否定されてきた。
やりたいことを口にすれば必ず軽い否定が入る。
完全に否定ではなく。
「でも、、、になったらどうするの?」「それで、、、どうするの?」「やってもいいけど、何があっても知らないからね」「勝手にすれば」「その代わり、、、、もやってあげないからね」
先々の可能性より先々の不安ばかり突きつけられた。
言う通りにしないなら、思う通りにしたいなら、
何一つ助けてなんかやらないからね。それどころか、、、、してやる!」
必ず私の自力ではどうにもならない引換条件を出されて追い詰められる。
途端に不安になってしまう。
道なき道を進むときに励ましはどこからも得られず。
恐々一歩を踏み出しては戻る、の繰り返しでは可能性を試せるはずもない。
上手くいっても「そんなことで満足してちゃダメだ」
そのくせどこかから聞いてきたことを「誰それちゃんは、、、なんですって!」と上手くいってる誰かさんの噂話を持ち出され静かに深く傷付いてる私のことなど顧みられもせず、落ち込む私を「変な子」と。
知らぬ間に少しずつ盛られた毒のせいで、私は私を見失ったまま半ば心を病みっぱなしのまま生きてきた。
一緒にいる限り、私は否定の足枷から逃れられないから親を捨てた。
(もっと早く捨てるべきだった。私が私として生きるために)
離れたところで、もう隠しようもなく私のことを恨み傷つける言葉を吐き散らしているようだけど、もう私には届かない。
やっと得た平和。
ここからが新たなスタートだった。
苦しかったよ。
常に泥沼に足を取られるようなしんどさ。
首につけられた見えないロープで、何かあるたびに後ろに引き戻される。
こんなことには負けない!
いつしか独り言を繰り返していた。
子供を褒めちぎり、何があっても味方だと態度で示しす、そんな
親バカと笑われる覚悟のなかった私の両親。
「まだまだだな」「そんなことで満足してちゃダメ」「もっと上を目指しなさい」
子供のささやかな希望を否定することで、やる気を高めようとしていたようだけど、閉ざされた家庭の中では、他の考え方に触れることも叶わず。
親の言うことを全て信じてしまうほどに、私は素直で従順だったんだ。
反抗していいんだよ。
グレたってよかったんだ。
私は私だったんだから。
好きなように生きてよかったんだよ。
だって親はいずれ私より先に死んじゃうんだから。
そのとき、取り残された私の人生に責任なんて取れないんだから。
親の無責任な言動に従う必要なんてなかったんだ。
自分で自分を育てていくしかない。
大事に褒められて育った子とはスタート地点に大きな開きがあるから、何もかもが楽じゃない。
一つ一つ、自分で足場を確かめながら進むしかないんだ。
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
小瓶主さんの想いを優しく受け止めてあげてください