人にどう言われようと、思われようと、実際自分が今までどんなふうに愛されて育ててこられようと
それは違う、と感じる醜い私の感情の存在だけは本物だ。
その感情から逃げることはできない。
私はただそれを感じきって、そして飼い慣らしていく義務がある。
憎らしい、恨めしい、悲しい、怖い、満たされることのなかった欲望の数々、散々に深く刻まれたように思えてくる実際あるのかすらわからない傷のうずき、脳裏で常に呻いているのが聞こえる私の他者への罵声。
それらを見ないふりをすることもまた、傲慢なのだと私は思う。
自分が汚らしい存在であることから逃れようとするためにいつまでもそのような膿んだ感情を心の裡に飼い続けることは、感情の対象者を生涯に渡り侮辱し続けることと同義だ。誠実じゃない。
だからそういうのいちいち言い訳しないで本人には見えない形で罵ろう!
罵りまくって憎みまくって散々泣いて喚いてすっきりして、どうにかなろう、という話。文章にして。
そんなの私を正当化してるだけかな。
だけどいい。私は私の感情を処理しきり、その後はただただこの世を祝福して生きていきたいだけなのだ。
そして最後には、この世の全てに感謝して終わりたいのだ。
生まれてきてよかったと。
産んでくれてありがとうと。
私と関係を持った人間の全てが幸せになりますように、報われますようにと。
そしてその気持ちを無責任に他者にばら撒いて、誰かを笑顔にさせたり安心させたいだけなのだ。
誰にもかけてもらえなかった言葉を、私の身の回りの大切な人にかけてあげたいだけ。
誰にでも分かりそうな言葉がみんなには分からないらしいから私がかけて回りたい、それだけだった。
だけど今の私ではそんなことしたところで絶対にうまくいかないことは目に見えているから
だから私は私の醜さや不誠実さを引き受ける。
それもまた醜いよ。不誠実だよ。
だけどそうならないやり方なんてこの世には存在しない。きっと。
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
小瓶主さんの想いを優しく受け止めてあげてください