人と密な時間を過ごすと、その最中でも突然一人になりたくなる。
特にそんな日が続くと、すべての人間関係をリセットして引きこもる日がしばらく続く。
人間そのものが嫌いになる。
SNSを開くと、私以外の知人たちが互いに持ち上げ合い楽しそうに集う様子が目に入ってくる。
心がザワつく。
本当にそんなふうに心からお互いを思っているの?
あなたの悪口や批判を、影で言ってるの知ってるよ。
それぞれにお互いに。
私のことも言ってるよね。
分かってる。
私が一言発した瞬間の1秒の沈黙、表情の変化、空気。
あ、こりゃ悪口言われてたな、と。
でもすぐに気を取り直して友好的な返事が返ってくる。
はい、ありがと。気を遣ってくれて。
私だって人のこと言うもの。
陰口とも思わず、感じたことを安易に口にしてしまうことはよくある。
その後で自己嫌悪に陥るのだけど。
人との距離感が近づきすぎると逃げたくなる自分がいる。
仲良しのつもりでも、
その人にはまた別の仲良しがいる。
本当に信頼し合える関係と思っていても、ほんの小さな誤解と疑心暗鬼から壊れていくのをたくさん見てきた。
結局のところ、人は独りだ。
それが分かってくると、
あぁ、もう独りでいいや、って。
独りで電車の時間を調べ独りで行きたい場所に出かける。
大抵は誰かと来ている人が多いから、楽しそうな空気の中、
一人で居られる自分に対して誇らしさが湧いてくる。
みんながお喋りに夢中で、美しい自然の中にいてさえ職場や学校や家族なんかの悪口や噂に夢中で、美しいものを完全に見落として通り過ぎていく。
その傍らで色々な美しさに気づき、一つ一つ楽しみながら歩けることに喜びを感じる。
一方では、素敵な物事を目にしても語りかける相手の居ないことが寂しいと感じることもある。
これは避けられないこと。
代償と思うか自由と思うかどうかで寂しさの質は変わってくる。
寂しさを感じた時、
「これでいい」と敢えて思ってみる。
たくさんの人と交わってきた。
お茶に食事に会話にいくつもの
楽しい集いがあった。
本当に楽しかった。
それでも楽しさの後に必ず続く
得体の知れない虚しさと寂しさ。
共有したかに見えて実は
何一つ共有できていなかったこと。
同じと見えて同じじゃなかったこと。
言葉で伝え合うことの空虚さ。
会話を通して私の誠実な思いは伝わったかに思えても、
相手の都合と合致しなければ、
途端に私は裏切り者にされてしまう。
その日その時、誰に何を言おうと、私の存在価値は相手のその時々の
都合でコロッと変わる。
言葉は出さずに呑み込んだほうが
良いのだと今は思ってる。
発されなかった言葉、
誰にも知られない思いは
全て心の中に溜め込まれ私
の存在と共にいつか消えていく。
それでいいんだ。
何を訴えようと何を記そうと、
消えていく。
何者にもなれず記憶にも残らない。
長い長い地球の日本のこの街の歴史の中、偉人にも悪人にも、
ましてやニュースの人にもなれない私は浮かんでは消える泡のように消えていく。
喋っても喋らなくても。
私の存在は何ら影響を残さない。
むしろその事の潔さのようなものすら今は感じている。
空気のような存在。
人は誰かの印象に残りたくて生きてるわけじゃない。
ただ今を生きているだけ。
明るい外に出ると
必ず人の社会に巻き込まれる。
黙っていても「仕事は?」「今日はお休み?」「この間来ていたのはどなた?」「今日はお出かけ?」「今何してるの?」「最近見なかったけど何してたの?」と、あちこちから質問が飛んでくる。
心の中で「あなたに何か関係ありますか?」「それを聞いてあなたはどうするつもりなんですか?」と聞き返しつつ、私は社会性を要求される市民なので当たり障りない答え方をする。
そんなものだよ、世の中は、と自分に言い聞かせつつ、好奇の対象となることにうんざりする。
いいんだ。これが人間だ。
誰からも何も聞かれなくなったとき、私は本当に空気になる。
それを望んでいる?
病気で一人で苦しんでいても誰からも気づかれず、そのうち消えていくこと。
それを私は望んでいる?
その時が来なくては分からないなぁ。
たぶん、孤独に生きたことを後悔するかも。
だけどたくさんの人に囲まれて孤独であるより、自分で選んだ孤独のほうがまだ耐えられるんじゃないかな。
対人の悩みに常に頭を占拠されるよりずっと気楽にいられるんじゃないかな。
人の世界との上手な行き来ができない私はいつも白か黒か、内か外かでしか決められない不器用な自分。
いや、こんなこと言いつつ結局は人と関わりながら生きてるんだけどね。
それでも今は独りで居たい時なんだ。
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
小瓶主さんの想いを優しく受け止めてあげてください