私が死にたい理由について、ある程度時間をかけて考えたことをまとめました。まとめたといっても所詮はただの吐き出しで、正直誰の目からみても不快な文章だと思います。特に生きることに肯定的な人にとっては不快な文章だと思うので、読まないことを推奨します。
まず思い当たるのが過去にいじめにあったこと、いじめてきた人達は好かれて自分は「お前のこと好きなやつなんているの」と言われたこと、身長的に劣っているという劣等感。もともと人見知りを自覚していた上でコミュニケーション能力がないという理由で面接を落とされたことや、いじめてきた人達が自分の何倍も優秀で好かれていて成果を残しているという無能感。
だから死にたいのか、というと多分違います。確かにそれらに苦しんではいますが私は、いい方面のことにも視野を向けられているからです。
コミュニケーション能力を理由に落とされたが、受かったことも確かにあった。単位を落としたくないという浅はかな理由だったけど、結果的に学部内のGPAで1,2番になった。アルバイトは学内のもので、もうやめてしまったけど、少なくとも自分の仕事はこなせた。卒論は毎回の質疑応答が全然うまくいかないけど、研究自体は順調に進んでいて、ゼミ内でもある程度信用されている(と思っている)。
でも、これらのことが本当に心底どうでもいいぐらい、周囲の同期と比較して就活がうまくいかなかったことが、「新卒でうまくいかないと将来が辛い」とどこでも言われていることが、将来転職するとしてもまたコミュニケーション能力を引き合いに落とされることが、過去いじめてきた人たちは有能でいじめられた自分は無能という理不尽だけど甘えたことは言えない現実が、どこまでいっても自分は劣等感を抱えた無能であることが、確固たる目的も自信もない中で行動してこれまでと同じように失敗して傷つくことが、頑張っても後から「やり方が悪い」「努力が足りない」と言われることが、どんなことがあっても自己責任の一言で片づけられ「お前が悪い」となることが、辛いのも事実です。
ここまでの問題なら、解決策を考えていけばいいと思います。でも、私は解決策も分かっています。
劣等感は認めた上で自分のできる限りで改善を試みる。改善できないものはすっきり諦めて、別のものを磨く。
無能感は自分の錯覚だと思いなおし、できることは素直に認めた上でできないことは努力する。
過去に逃げることと将来に絶望することをやめて、現状を見る。現状に悲観することをやめて、できることをする。
これら全てを追い込みすぎず、でも妥協しない程度に成果になるまで継続して続ける。
それらができなくても、今すぐ死なないといけない状況なんてないから、ある程度苦しんででも生きる手段を探っていくしかない。
そんな単純なことが分かっていながら、それをする勇気がないから今までの経験と現状を言い訳にして、死ぬことを考えて逃げている。死ねば楽になれるという考えを持ちつつも何もせずに現実逃避をしている。だから、どこまで言っても私は死ぬことで苦痛や現実から逃げて楽になろうとしているだけの甘えた人間に過ぎない。そんな人間に他人が言えることなんて限られているでしょう。
なので、私が死にたい理由はどこまで言っても甘えで、現状に立ち向かう勇気がないからだと思います。これが分かったところで何もないのですが、漠然とあった死にたい気持ちの根源が分かったことはいいことなのでしょう。
ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
小瓶主さんの想いを優しく受け止めてあげてください