ゆっても姉の方がバカだからな。
学力的にも。
精神的にも。
人間的にも。
人間がああまで落ちぶれるとあんな感じになるんだなって、醜い本心を言ってしまえば、そう思ってるよ。
歳が離れてて癇癪持ちで人を巻き込んでしまうタイプの強迫症だったから、必要以上に影響を受けてしまっただけで。
彼女がもし私よりも優れてる人間だったら私は彼女を少なからず慕っていただろうけど、もうそういう気持ちもほとんどない。そりゃ昔は、彼女の方が物理的に大人だったんだからそういうのもあったけど。
姉への感情は恐れと軽蔑と哀れみと、わずかに残った畏怖に似た尊敬でほとんどが占められている(そしてその背後に、とても知覚しきれないような体積の恨みが潜んでいる)。
あんな風に感情を爆発させたりすること、私にはできないから。それがいいことか悪いことかは置いておいて。
あと、異常に美容とかファッションに気を遣ってていつもいい匂いがしてオシャレしてたのは幼心に尊敬、というか、ああ、姉って美しい存在なんだなって自然と思わせられた。
でも最近自分がそういうのをするようになってからは、やっぱ姉も大したことなかったなって思うようになった。
BMIや日焼けを異常に気にしてんのは、まあ病気の症状の一種と考えられなくもないけど、そんな他人からしたらどうでもいいものに神経質にこだわっててくだらないなあって思うし(勝手に気にしてるだけならいいけど私たち家族もとばっちり受けるからウザ、キモ、と今の私は思う)
何度も日焼け止めを塗り直すせいで化粧がボロボロ崩れていく不機嫌きわまりない顔を見るのは、なんか、なんとなくいたたまれなかった。
その光景をはじめてきちんと物心がついた状態で見たとき、無条件に美しい生き物であったはずの姉の像がはっきり崩れていくのを感じた。
45kgかそれ未満だったかな体重は。
昔はもっと痩せてたみたいだけど、身長と照らし合わせて調べたら痩せすぎって言われてた。
誰になんと言われようと姉には姉の虚構のシビアな現実が見えていて、いくら「もう十分痩せてるよ」「そのままできれいだよ」「痩せすぎだよ」と周囲が言ったところで満足はしないみたいだった。
なんで私はこんな現実が見れていない生きれていないバカに振り回されなきゃならなかったんだろう。
気持ち悪い。
成長してみたら、姉より私の方が顔かわいいじゃん、と思った。
化粧も私の方が上手いと思った。
コスメや服に自分で稼いだわけでもない大金かけてるくせに実が伴ってないねって、内心ほくそ笑んだ。
姉は進学校によくいる落ちこぼれって感じだったけど私は全然そんなことはなかった。
SNSに踊らされる姉を見て、本気でこの人は馬鹿なんだ! と思った。
精神科病院への入院のすべてをどうしようもない人たちを閉じ込めるためだけのなにかだと本気で思い込んでるっぽいのには笑えた。
道徳とかそういうものをきちんと理解して大切にしているように見えてその本質は一才掴めていないただ周囲に流されるだけのくせに他人にそれをいつも恐怖と共に押し付ける馬鹿とずっと思ってた。
自分でものを考えるということができない。キーキー喚くだけの猿。主人のいない傀儡。
私は姉に劣ってなどいないしむしろ姉は下等生物であるという思考、嘲笑を止めることのできない自分が気持ち悪い。
姉みたいな愚図、存在しなければよかったのに
多分私はほんとはそう思ってる。
姉がいなければ実家は安心できるいつでも帰れる場所のままだったし、実家が不潔恐怖で自分のテリトリーに人を入れられない姉の所有物になることで実質本当に帰れない場所になることもなかった。
今でもあの家の光景を思い出しても変に緊張する感覚しか蘇らない。小さい頃の安全だった場所の記憶は朧げで、中学生のときの、私が私の家にいるだけでなじられたときの記憶ばかりがある。
姉が存在したというだけで私が姉に奪われたものはいくつあるだろう。
家も安心も趣味もプライバシーも人権も尊厳も私はお前に奪われたし、それが当たり前だったし、私のことなんて誰も庇ってくれなかった。そんな力を、意志を持つ奴なんていなかった、それだけで私って存在が踏み躙られ続けた。
ああ。
殴ればよかったなあ。姉のこと。
一度でもいいから。
私が大きくなってからは姉とは離れたからあんまり理不尽なこと言われることもされることもなくなったけど
もし、そういうことがあったなら、私、今度こそ殴れたのになあ。
姉が感情が昂るままに任せてその痩せぎすでロクに力の入らないような手で殴ろうとしてくるのをグッと掴んだだけで「痛いっお前のせいであざになったっ」とかよく被害者ヅラして叫んできたけど
そのまま本当にあざだらけ血だらけになるまで殴ってやればよかった。
本当に苦しい思いをしてて殴りたくなるような気持ちになってんのはどっちなのか、その身を持って分からせてやればよかった。
なあ。
お前が先に暴言吐いてきたから私も言い返しただけなのに「包丁で刺してやる」とか「腕を折ってやる」とか
本来ならそれをされても仕方がないのはお前の方だったんだよ。わかってんのか?
分からないんだろうね、馬鹿だもんね。それを実行するだけの力も自分で捨てたくせによくもそんな戯言が言えたね。笑っちゃうんだけど。
なんて、汚い言葉が溢れ出して止まらない。
「きっと私はお前に恨まれてるだろうけど」とか、哀しそうな表情を貼り付けた姉が、どこか開き直った、ある種の清々しさすら覚えるような顔と声色で言ってきたことが昔あった。
そうだね。
私はあなたを恨んでいるし、そしてそのことはまるきり正当だと私は私の理性とは別に本気で信じているし、お前なんか存在しなきゃよかったんだと、多分思ってた。
「それ」をあなたに向かって口にしたらなんていうかな。
このあいだ出先で普通に母親の運転のナビを手伝ってただけでなぜか「大人ぶってんじゃないよ」とかいい年した女がすごい形相で言ってきたので
「気持ち悪い」という言葉を吐いたら、それだけで「ショックで眩暈がするわ!」みたいな反応をしたのだから、想像するだけで面白かった。
もしかすれば私が母親に頬を叩かれることもあるかもしれない。
なんてひどいことを言うの、って
じゃああなたはなんで、なんてひどいことを見逃し続けてきたのだろうか。
あなたたちのことを恨んであなたたちと同じところに堕ちるのが嫌だったから私はずっと死にたかった。自分の存在を恨んでいた。
でも、冷静に考えて、なんでそんなことしなくちゃいけなかったの。
悪かったのはあくまであなたたちであって、すくなくとも、私では絶対になかったんじゃないの。
そうはいっても、別に母のことはもう恨んでいない。
私が最初に恨みを吐き出していたのはたしかに母親だけど、母の苦労は理解したし母は母の力を持って最大限私たちのことを育ててくれたし愛してくれたと今は思っているから。
結局、どうにも消化しようのない姉への感情の大半を私はまだ感情を出しやすい母親に転移させていただけなのだと思う。
悪いことをしたなとは思う。だけど、どうしても私にはそれが必要だったとも、思う。
感情の転移先が自分から母へ、母から姉へと、だんだんと本体へ移動しつつあった。
そしてその感情すら消化されつつあり、そのことは素直に喜ばしいと思った。
ああ、殺したい。
私はもうよくわからないメランコリックな理由でなんか死にたくならない。
ハッキリと、姉が恨めしかった。
別に、殺したくはないか。
お前なんかいなければよかった、とは思うけど、別に今更いなくなったところで誰の気分が晴れるわけでもない。
そして別に姉が病気だったことを責めてるわけじゃない、病気を理由に私に散々酷いことをしてきたことをただの一度でも誠心誠意の申し訳なさを込めて謝ってくれたことがないこと、それが多分、たとえお門違いだったとしても、憎らしいのだった。
しかし、殴る、という選択肢が自然と頭の中に湧いてきたことが我ながら驚きだった。
だけど今年の5月か6月ごろ、意味もなく身体中が暴れ出しそうになって何かに手を上げたい気持ちになっていたのを思い出した。
私は多分、ずっと何かに対して怒っていた。そして多分、今ほとんどその解に辿り着いていた。
あの日の私が受けてきた精神的な屈辱を、お前に突き返してやれたならどれだけいいのだろう
そう思ってする残酷な想像がとめどなく再生される。
私があなたから受けてきたものを十分の一返すだけでも、きっとあなたはどうにかなっちゃうのだろう。
ああ、まあでも、私よりあなたは心が弱いから、しょうがないか
とか嘲笑している私はきっと性格が悪いが、だけどそれがどうしようもない事実だった。
生まれつき姉は弱く、私は強かった。
そうじゃないともう説明がつかなかった。母はちゃんと姉を育てていた(と思う)。じゃあなんでこんなことになったのって、姉が弱かったからだ。きっと、そうに違いない。そう考えなきゃ、誰を責めたらいいのか、もう分からない。
たとえば仮に姉が受験生だったとして「お前は頭が悪いからどうせ受験にも落ちるよ」とか私が姉にでも敵意を剥き出しにして言ってみた日には、最大限メンブレ笑してギャーギャー喚き散らかしてお前のせいだお前のせいでとか怒鳴りつけてくるだろうけれど
私はそうされたとき無言でその場を立ち去った。あとで謝罪されたら本当は悔しくて悲しくてたまらなくて到底許せない気持ちだったとしても「いいよ、許したよ」と言ってあげた。
それは周りに半ば強制されてきたことではあるが、少なくとも言われたことを実行するだけの強さが私にはあった。そして姉にはなかった。だからあなたはそうなった。
ああ、そうか。
姉は、弱い人だった。
真に可哀想な人だった。
誰の被害者でもない、ただ自らの被害者だった。
弱くて、頭もその弱さを凌駕するほどにはそんなに良くなくて、だから多分病気になった。その弱さを1人で受け止めることもできず、だから人に撒き散らした。
かつての私は姉を恐れ、そして半ば神聖視していた。姉に吐かれた酷い言葉や対等な人間関係としておかしすぎる規制を天啓のように受け止め、自己を常に省みつづけ、その自意識過剰さを以ってして「彼女」を生き延びてきた。
だけど、姉は弱い人だった。
神聖視なんて全くできないような心の弱い、頭の弱い、自制心のない、見えるべきものが見えない、そういう不安に苛まれ、外界や容姿の秩序を創りあげ保つことに囚われた、可哀想な人だった。
そう思うことが、本来どれだけ残酷なことなのか、今の私には分からない。
ただ、もう疲れていた。
姉の弱さに向き合うことでしか、私は私を納得させることができなかった。
姉には姉の負の部分の穴埋めをしてくれるような優れた部分が何一つない。
先天的にも、後天的にも。
だからその自分ではどうしようもない負の部分を人にただ処理させるしかない。
そしてそれをそこまで悪いことだとすら思っていない。
弱い、無知、欠けている。
そんな人間に何を説いたって、無駄なのだ。いや、本当は無駄ではないはずだけれど、それをやるには技量と覚悟と権利が必要であるし、私にはその権利がなかった。
だから私にとっては、やはり何を説いたって無駄だった。
姉を諦めよう。
私は多分、他の家族、つまり親にできていて、私にできなかったことを、今やっとできた、許せたのだった。
姉を諦めよう。
私はそれを、許せた。
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
▶ お返事の注意事項