年下のいとこがいるんだけど、私が小学生低学年のときにおばあちゃん家で一緒に人形で遊ぶことが多かった。あるとき、いつものように遊んでたんだけど、いとこにあげるって言われた人形の服を断っちゃったの。要らなかったとしても、年上として穏便にありがとうって言って受け取ることもできたんだけど、そのときはなんとなく言いたくなかったんだと思う。そしたらいとこが泣き出して、大人が集まってきて最終的に私が怒られた。そんなことで泣いちゃうんだってちょっと驚きながら、親に一方的に責められて辛かったな。私の親含めた大人たちだって、私が故意にいじめたわけじゃなくて、ただ年上としての対応をしなかっただけだって分かってたはずなのに。いとこの親も、私に対してなにかフォローしてくれてもよかったのにな。「お姉ちゃんだから」本音を言うのを禁止されたように感じてしんどかった。遊ぶときも「お姉ちゃん」でいなきゃいけないのかって思った。
今考えると、ありがちな子ども同士のトラブルかなって思うけど、でも少しは私の気持ちに寄り添ってくれる大人がいてほしかったなって思う。あのときのことを今でも覚えてて、思い出して泣けるくらいには、やっぱりあのときの私は辛かったんだよ。
私の家族は転勤が多くて、何回も引越ししたことがあるんだけど、たぶん最後の引越しのときに親が私に「我慢してない?」って聞いてきたのも覚えてる。親にそういう聞き方されて、「うん。我慢してる」って答えられる子供がどれくらいいるんだろうねって今なら思うよ。私の親は私に「我慢してないよ」って答えが聞きたかっただけじゃないのって思っちゃった。
私の好きなYouTuberの方が、「自分の親は、子供が幸せになってくれるだけで満足って言ってくれる(孫の顔が見たいとかは言わない)」って動画で言ってて、号泣しちゃった。羨ましくてしかたなくて。私の親もそう思ってててほしかった。その土台があってはじめて、子供の方から親孝行がしたいとか、孫の顔を親に見せてあげたいとかっていう恩返しの気持ちが生まれてくるんじゃないの。親の方から孫の顔見せろとか親孝行しろとか要求するの、なんか違くないか。でも世の中じゃそれが普通で、そうしなかった子供は親不孝なんだもんな。親至上主義。子供世代より親世代の人数の方が多いから仕方ないか…
こうやって小さい時の嫌な記憶を何回も思い出してると、やっぱり私子供産みたくないかもって気持ちが強くなる。私は楽しいことも嫌なことも、どちらも同じくらいの経験してきたと思うんだけど、そうまでして生きる価値とか意味があるのか疑問になる。子供に生きる価値とか意味を聞かれて、自信もって答えられないと思う。人が生まれた以上は、誰にも等しく生きる価値みたいなものがあるとは思うんだけど、じゃあ子供を産みたいかって聞かれると正直渋る。
そういうことなんて考えずに子供を産んでも全然問題ないんだろうけど、私は考えちゃうな。それは私が、過去のことを引きずっていたり、今の私に満足していないからなのかもしれないけど。私が私を受け入れられるようになったら、子供が欲しくなったりするのかな。でも現時点、私が私を幸せにするために頑張るので精一杯だよ。それ以上求められたくないよ。
でももし、万が一にでも子供を産んだときは、あなたが生きてるだけで嬉しいよってちゃんと言葉にして伝えたい。たくさんハグして、あなたが大切でたまらないよって言葉でも行動でも表してあげたい。全然恥ずかしいことじゃない。
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