ASD(自閉スペクトラム症、長いので以下ASDと記します)の診断を受けました。様々な支援等を受けていく中で、疑問に感じたことがあります。
「私の持つ全てがASD・二次障害としてひっくるめられてしまっているのではないか」ということです。
例えば、【冗談を真に受けてしまう、感覚過敏、空気を読むのが苦手】などは、顕著なASDの特性といえるでしょう。これは受け止められます。
しかし、診断の無い人が持っていれば「性格・生育環境」とみなされるようなこと、一見長所に思えることすらも、「ASD・もしくは二次障害」で説明させられてしまいます。
【心配性、不安になりやすい】…診断の無い人がこうでも「心配性な性格なんですね」と言うでしょう。しかしひとたび診断が付けば「それもASDの特性です。二次障害で不安障害も起きやすいです」と言われます。
【ルールを守る、記憶力が高い】…診断の無い人ならただの長所でしょうが、ASDの人がもっていれば「ASDの特性です」と言われます。
何なら、「ルールを馬鹿真面目に守って周囲との調和が取れない」「記憶力が高くフラッシュバックを起こしやすい」と、短所として捉えられてしまうことも多いです。
【会話の中での誤解】…ASD診断の付いたAさんと、診断のないNさんがいるとします。
Aさんが話したことでNさんが誤解をしたら「Aさんの話し方に問題があったのでは」と言われるでしょう。
逆の場合で、Nさんが話したことでAさんが誤解をしたら「Aさんの受け取り方が良くなかったのでは」と言われるでしょう。
つまり、話せば話し方が悪い、聞けば受け取り方が悪いと、こちらにコミュニケーションの障害があるから悪いとさせられてしまいがちです。
生育環境によって培われたものもあるだろうに、それを無視して「全てASD特性」としてまとめようとしてくる支援員もいます。
その支援員と長くかかわってしまい、「家庭環境や生育環境ではなく、全て私の感じ方捉え方が通常の人と違うからいけないんだ」と考えるようになりました。これすらも、ASD特性のひとつなのでしょうか。
自閉スペクトラム症という名前の通り、虹の色のように境界線がない、誰しも大なり小なり特性的なところは持っている。という側面は理解しています。
その上で、「診断がついているから全部ASDとしてまとめて説明できるもんね」という見方やその前提での支援を受けてしまうことが非常に多く、わだかまりを感じてしまいます。
困りごとの解決や理解、支援のために診断がついていると思うのですが、今の私にとっては「私という人間イコールASD」と言われている感覚になっています。
私の違和感や疑問はおかしいでしょうか。病院の人、支援員、カウンセラー、誰も共感してくれませんでした。私イコールASDは実は正しいのでしょうか。
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