あの時死んでいたなら、【名前の有る小瓶】は存在しなかったのだ。
いや、この名自体はもしかしたら誰かが付けたのかもしれないが。
宛メに来る前に、死んでいた可能性はあって。そうしたら、知ることのなかった人たちがいて……
精神科の、現在の主治医に会うこともなくて……
でも
それで
「生きててよかったな」とはならないのが、悲しいなと思う。切ないな、とか 冷たいな、とか
失礼に感じたり
申し訳なさがあったり
いろいろ考えてしまう。いつもどおり。
「あの時死ねてたらなあ」という思いのほうが強いんだ。
そこから先の未来、現在の私からすると過去になるその時間、それより死ぬことのほうがよほど大切に思ってるなんて、死に取り憑かれすぎでは?魅了されすぎでは?周りのこと蔑ろにして、己と死のことしか考えてなさすぎでは?
そんなわたしが好きだなんて、終わってるのかなあ。
【生】があって、【死】があるのに。
それでも、「生きててよかった」とはならないよ。死に想いを寄せ続けられる今を、愛してるわけではないのか。
あーあ。
また意味わからんこと言ってそう。
しかし、「生きててよかった」という小瓶を流したこともあった気がするような……どうだったか。
思考としてはあるんだ。
嘘ではなくて。わたしの中の誰かは、まあ本当にそう思ってるだろう。みたいな。
だって、あれからどれだけの作品を見てきた?どれだけのゲームをやってきた?
どれだけ美味しいものを食べて、外の空気に幸せを感じた?
たくさん最高の時間があったでしょう?
瞬間、瞬間、愛しい時があったでしょう?
ほら、「生きててよかった」ね?
うるせー、だまれ、死なせろ。
なんて。
めんどくさい思考ね。
なにもかもを欲しすぎなのよ。
どうして【生】も【死】も
【幸】も【不幸】も欲しがるのかしら?
それでいて、体を動かして努力しなきゃ手に入らないものはほとんどいらないの。
なにかしらこの生き物。あまりにもわがままで、絶望的に最低最悪。……だめだ。最低最悪に失礼だ。その枠を、わたしで埋めるなんて烏滸がましい。その席は、欲しい人がたくさんいるのかもしれない。その席を、与えてやりたい相手がたくさんいるのかもしれない。
わたしが座っても、「どけ!」ってなるかも……(わたしが座っていいのなら、座るけれど)
ウザくてキモくて、でも面白い考え方なのか。
ウザくてキモくて、それでいてつまらない考え方なのか。
快か不快か。
本日の執筆おしまい。
ありがとうございました
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