私のメンタルが崩壊した機会が、私が気づいているので2回あります。本当はもっとあるのかもしれません。
かろうじて残るのは、子供の頃教わった先生の言葉、自分なりの生きる指針のおかげなんだと思います。
1回目はほぼそうだろうと思っていたけど、姉の統合失調症が診断された時。もっともその後治療もせずに放置した毒親。
2回目はその毒親が…この世からいなくなった時。病死とか事故死ならそこまでショックにならなかっただろうに、どこまでも子供の心を傷つける生き方しかできない人。
宇多田ヒカルも母親がああいう死に方で、表面に見せない内面の葛藤は絶対ある。それは同じ状況じゃないとわからない。
一方的にひどいひどいとなじるだけじゃなく、どこかで自分の親への愛情、届かない思い、切なさ、いろんなものが入り混じって、言葉にできないもの。
そういう私は毒親から一度独立して、それなりの仕事についていました。女にしては収入がいい資格職でしたが、仕事に没頭していて、自分の給料が他の人と比べていいのかどうかも考えたことがありませんでした。
1回目のメンタル崩壊で鬱病発症、休職もしています。
なんとか持ちこたえようとした時に2回目の事態発生。
なにがなんだかわからない生活。仕事をしていても、しているのかどうか覚えていません。
いろんなことが重なって結局退職したのですが、お金に対する感覚が、他の人とものすごく違っていました。
例としてお金がないからと一時的な仕事を紹介してもらい、そこも資格がいるところで証明写真を取れと言われ…。お金がないのに、街中の写真館のスタジオで証明写真を撮り、万一のための保存CDまで購入、おそらく3千円ぐらい。
町によくある箱型の証明写真なら千円以内なのに。
それまでの私の生活で当たり前だったことが、もう当たり前じゃないんだと実感がなかったんです。
仕事をやめるということは、それまでの収入が途絶えるということ、わかっているようでわかっていませんでした。
人間の尊厳。私が子供の頃から支えられ、自分が仕事をしながら他の人に伝えたのはそれでした。
お金がなくても、人としての尊厳は守れる時代です。私は親にそれをぼろぼろにされたけど、自分ではなくしていない。
たとえメンタルがおかしくても、人として守るものは最後まで守ってやる。
それがあるから、私は自分に誇りを持てる。こんなくそ親から生まれたけど、望んでその親を選んで生まれてもない。
お金でそれは買えない。お金はあるのにそれがない人だっている。
お金のあるなしで判断するなら、私はその精神でもって判断する。
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