側から見れば「しっかりしている」「責任感がある」「他人に寄り添える」人、らしい。でもそれらが私を苦しめる要因であるように思う。
思えば小学生、中学生の頃、よくクラス内や学年で「連帯責任だ」と怒られることが多かった。もちろん原因である子に対しても指導はあったが、「どうして誰も止めなかったの?」など、周囲の子供達に対しても怒りを撒き散らされていた。私はこれが非常に怖かった。
人の「負のエネルギー」みたいなものが苦手な方だったのか、人が泣いていると自分も泣く、人が怒られていると自分も怒られているようで縮こまってしまう、そんな子供だった。
だから、なるべく皆んなが怒られないように、悲しまないように、そんなことを考えれば、周囲の状況に気を配るし、友人の話は聞くようにした。先生にも人当たり良く接していた。
適当なんて許されない、しっかりやらなきゃ怒られてしまう、愛想良くしなきゃ目をつけられてしまう、誰かが困っているなら自分がやればいい、と。
ずるずると、外面良く生活することだけに長け、自分を大事にすることが疎かになったまま大学を卒業し、介護業界に就職した。
介護職はベースとして気を遣う。それはわかっていたし、学生時代先生などに媚び諂っていたので別に苦ではないと思っていた。
しかし、案外そこが落とし穴になっているようだ。私の苦手な「負のエネルギー」を撒き散らす方がかなり多い。昔は…と涙したり、若者にはわからない!と激昂したり、今後の不安を口にされたり。それらを真っ向面から言われてしまうので、正直かなりヘロヘロになる。でもそこで「どうにかしてあげたい」「適当に流しちゃダメだ」と思ってしまうのである。これがかなり負担になっている。でもこれが自分の思考回路であるため、この負担がなかなかうまく処理できない。
どうしたものかな〜。
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ななしさん
解離性健忘になった私のおまじない。教訓。気付き。
「背負える分しか背負えない」
私も。相手の方も。
別にギリギリまで背負わなくてもいいし、誰かに愚痴ってもいいけれど。
相手にとっても自分にとっても、背負える分しか背負えない。
分け合ってキャパシティを超えないようにはするけれど、超える場合もなくはない。
相手にとっても自分にとっても「背負える分しか背負えない」
だから、自分が背負える分だけはしっかり受け止める。でも超えないように。
相手もおそらく大抵は大丈夫。背負える分を背負ってると考えるようにする。
「負のエネルギー」を撒き散らす方。その文字情報は人類の教訓になるかもしれない。ならないかもしれない。
まずはひとりの人としてアップで寄り添って、引きのアングルでも考えてみる。人類というと大袈裟だけど。
例えば、「70代の男性で、本人曰く、こういう経験をしたらしく、こう激昂していました。(小瓶主さんの感想があれば感想も)」と、ニュースを流すつもりでニュース原稿のように受け止めようとすると、感情の共感が弱まる気がする。おそらく、論理的思考の方が強くなるから。
ニュース原稿のようなメモは、もしかしたら今後、小瓶主さんの役に立つかもしれないし、後輩や同僚の方へ伝えると後輩たちの経験値がアップすると思う。
お仕事、お疲れ様です。
介護とは関係ないことを考える時間、頭を空っぽにぼーっとする時間も作ってくださいね。
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