長文です。
この度も弱肉強食だけではなく、被食者を選別して思いやりを持ち出すことは驕りだと思うと意見をいただいたので、それについての私見も書いた方がいいのかなと思い、そうすることにしました。
以前に他の方への返事でも書いたことがあるけど。
ここでは動物メインの話にして触れたことは無いけど植物にも命があるとは思ってたし、あるとは思うから、「弱肉強食」だからだけでは皆にとって何が最良な答えなのか?出せることはないと思う。各人で重要視する点も違うので齟齬が埋まることは無いだろうとも思う。
確かに地球上で生きてく上での自然の摂理として弱肉強食は避けられない側面もあることは否めないが。
だが、無自覚かもしれないけど弱肉強食という言葉を翳すことで殺生を正当化させるための免罪符にしている人達もいるだろうとも思う。
その方が人間のご都合主義の一員として生きていることに罪悪感を感じずに済むだろうし。
それに、人間の命を繋ぐためにやむを得ずに弱肉強食で命を食すという形でいただくだけならまだしも、装飾品などの必要が無いことまで人間は動物を利用してるじゃん。
それについてはどう思うんだ?と問いたいわ。
自分の感情の不協和音を解消させたいが故などにより、先述した正当化をさせたい気持ちから彼らの心は無視して弱肉強食を盾にして動物搾取を肯定出来る考えの人には、じゃあ、貴方の大切なペットも動物だから「食肉のために屠殺するので引き渡して下さい」と要請が来たら抵抗せずに渡せるはずだよな?自分のペットは別だと拒否出来る訳ないよな?ペットであろうが動物であることにかわりはないのだから。
いや、渡したくないと拒否したら矛盾したことをしてるし自分勝手でもあるよな。そのようにも俺は思う。
それに、人間だけが生きてる世界ではないのに、人間がやってることは倫理観としての線引がされてないし、度が過ぎてるよなとも思う。
双方にある社会生活の領域に違う種族が勝手に足を踏み入れて秩序を乱すことはしないようにしてるよな、人間社会では。モラルとしてそのように人間関係でも越えてはいけないラインがあることを人間は分かってるからだろうよ。
まず、そこの部分で人間は足を止めるべきだったと思う。
明治時代から現代に通じる食肉文化が始まったことを考えても、この時代から人間のエゴが生み出した慣行ということじゃん。すると、狩りの時代のようにやむを得ずに必要最低限分だけをとも違うじゃん。寧ろ逆で、動物搾取の慣行を能動的に取り込んでとやってるのが現実じゃん。
こんなことは他者に対してやったらいけないことじゃんと俺は思うが。
だが人間は身勝手さでその越えてはならない一線を越えて、彼らに対して尊重と
礼節を欠いたことをしてると思う。
だからまず、人間は人間生活の世界を完璧に構築させることだけに専念した。その結果、余剰として余った少ない部分に彼らは追いやられ、追い詰められてしまった現実がある。それが絶滅危惧種や熊などの問題として露呈されてきたじゃんとも思うわ。
人間同士だと問題視されるだろうに、これが人間対動物の対峙となったら抵抗に
反論も出来ない相手だからだろ、丸め込んで問題視させない点も人間の利己的で小賢い汚い部分だなと思うし、こんなのは間違ってるとも思うわ。
何から何まで同じ人はいないから誰にでも同意を得てもらえることはあり得ないし、だから、同じ目線を持てる人にだけ響いてくれるものがあったらいいなという気持ちで書いてる。
小瓶を拾って読んでくださり、ありがとうございました。
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
小瓶主さんの想いを優しく受け止めてあげてください