人間同士間だと相手の権利を侵害しないように遵守しようとするのに、相手が人間以外の生き物となるとタガが外れたようになる。
勿論、全員がそうだという訳ではありませんが、人間は浅はかで身勝手な上に、人間が一番秀逸な高等生物だという奢りあがった気持ちがあるから、それが、現代の生き物達に対する扱い(動物搾取)として表出されているのだと思います。
人間は鳥のように飛翔することは出来ない。駆ける速さでも人間よりも優れた走力の動物もいる。人間が全ての面に於いて一番なんてことはない。
この地球上は生物多様性の世界であると思います。
人間に対して何も悪さを働いていないにもかかわらず、鼠、ゴキブリ、蛞蝓などに対しては見た目で毛嫌いしたり、不快さを感じる生き物だからと人間の都合で害虫扱いして罠を仕掛けたり薬剤などで殺処分し、ゴミのように廃棄する。それは人間の身勝手さによる種差別という偏見であり、命に対する冒涜であるとも思います。
彼らは好き好んで人間達から毛嫌いされる生き物として生まれてきた訳では無いはずです。
自分はこういう生き物として生まれてきた命を、与えられた命を彼らなりに生き生きと生きてきた・生きてるだけなのではないでしょうか?
地球の面積は人間の居場所としてだけ用意されているのではないのに、鼠やゴキブリなどがいるのは迷惑だと感じるのも人間のご都合主義的思考であると思います。
それによって殺処分を余儀なくされた彼らは悔しくて堪らない思いをしながら息絶えていくしかなかったことだとも思います。
生物としての種類が異なっているだけで、与えられている命の重さは皆同じであり、人間の種差別意識から命ある生き物としての尊厳を踏み躙られたり、命そのものを蔑ろにされてたりしても構わない命は1つもないと思います。
彼らは彼らの生息地で生きている。人間だけの生息地ではないのに、彼らの生息地にまでもズカズカと侵入して、人間中心の生活圏になるように風景を変えてしまうことを人間は続けているのに、そこに招かれざる客という生き物が登場したら彼らの方を悪者扱いにするのも違うよね、とも個人的には思います。
まだ子供だったから浅薄でしかなかったとはいえ、彼らの生態を思いやってあげられずに、命を蝉取りという夏休みの子供の遊びの1つにしてしまったことも悔やまれる思いです。
実際に自分も同じ立場に立たされてみなければ相手の痛みや苦しみがいかほどなものであるか身を以て分からないのが人間ですが、それでも相手が置かれている状況などについて慮ることである程度は相手の痛みや苦しみを自分のことのように感じることを出来る能力も人間には備わっております。
その能力を生き物達と対等に共存していこうとする優しさという形で使ってくれる人がいたらいいなと思います。
小瓶を拾ってくださり、独り言みたいな話を一読してくださり、ありがとうございました。
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
小瓶主さんの想いを優しく受け止めてあげてください