店頭では元々は動物として生きていた命であったことを覆い隠したかのような状態にして、肉製品として並べられている。
それだけに、元々は最近まで生きていた動物であったことを忘れたまま、ただ一食品としてカゴに入れる人が多いのではないだろうか?
彼らのことを「誰か」だったと表現する人もいる。同意出来る。ペットを飼ったことがある人なら分かるだろうけど、確かに誰かだと思う。
十姉妹の性格も個々によって違いがあり、女子達からモテる子もいたり、喜怒哀楽の感情も人間と同じだった。親子が離れ離れになりたがらない愛情関係も人間と同じだったから。
食肉製品化されている彼らは最初からスライス肉やミンチ肉などではなかった。食肉加工されていい気持ちで生まれて来た命は無いとも思う。
元は〇〇という種の中で、偶々種が人間とは違っただけで人間と同じ1つの命として生まれてきた命だった。
それは、元々は大地の上で自然に触れながら生きたかった、限られた生の時間の中で命を謳歌したかったであろう無数の命だったことを忘れないでいて欲しくも思う。
人間は動物を食さなくても生命維持が可能なようなので。
それでも人間の欲のためなら、彼らに対してこんなにもテイカーであってもいいものか?倫理的観点からしても俺は現存の動物搾取が容認されている体制に肯定的な見解は出来ないので。
プロモーションマーケティング戦略だか、なんだかと言ってたと思うけど。
広告などで実情とは全く異なる愛らしい動物の絵などを用いることで、裏で行われている残虐行為を想起させないようにイメージを塗り替えるみたいな。
俺としても、そういう戦略にも惑わされないで欲しくも思います。本当に広告の動物達のように笑顔でいられるような感情で過ごしてるのはサンクチュアリで心優しい人達から愛されている動物達の方ですから。
小瓶を拾い上げて一読してくださり、ありがとうございました。
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
小瓶主さんの想いを優しく受け止めてあげてください