どれだけ取り繕ったところで人間の本質は悪なんだな
と感じることが自他含め多くて
神様はなんでこんな状態の人間を生かしておくんだろう
どれだけ頑張ったところで悪いままなのに
いっそ滅ぼした方がいいのに
とか思ったけど
創世記には
「それは非常によかった」って書いてあるんだよな
「よかった」ものに立ち返るのに
並々ならぬ努力がいるんだろうけど
人間は本質的に神様なしでは生きられないし離れられないのも分かってる
この苦しい努力は生きてる限り続けなきゃいけない
最後に喜びがあることも分かってるけど
この苦しみを喜びとか糧とする道は
相当マゾじゃないとやってけないと思う(^^;)
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わい牧師。まじで牧師。信じて。
どれだけ取り繕っても人間は所詮悪。ぶっちゃけこの世は地獄。自他含めて本当の安心なんて天国でも行かなきゃないですよね。他人がいつ自分に悪を働くか、自分がいつ他人に悪を働くか、なんの保証もないのがこの世の中です。
主さんの言う通り、神様はこの世界を造った当初「見よ、それは非常に良かった」と喜んでいます。というか造っている過程からウキウキがこぼれています。
聖書の価値観から申しますが、その状態には人間の努力では戻れません。戻れていたら聖書はないでしょう。
聖書が言うのはただ一つ、この地獄という世の中を生きろ。神であるわたしがともにいる。ちな、努力はそこまでいらん。とワイは思ってるしそうやって生きてる。
てか、神様、ワイらが寄っていかないといないお方じゃないし、ワイが望もうと望まないと共にいてくださるお方。いい人でいようとか、いい行いしようとか、それは無理が来ると思う。
無理ー!ってときは「そんでも神様一緒にいてくれるんやね、(´Д⊂グスン」で十分。あと苦しみは苦しみでしかないで。自分の心に嘘ついてまで喜びとか糧にする必要は一切なし!それはただの錯覚であり、嘘や。自分の心に嘘つかなくていい。神様はその嘘さえも知ってるし。辛かったら辛いでいいし、苦しいは苦しいでいい。そこから何か信仰的にいい方向につなげようとか無理にしない方がいい。それでぶっ壊れてるクリスチャン何人も見てる。苦しみでポシャっても神様はあなたの味方であり続ける。
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