誰かに打算のないハグをされたい。
死にたい。
なにも考えたくない。頭の中がふわふわしていて、その状態を維持したい。強烈な何かを確定させたくない。
お酒。お酒が飲める年齢だったら私はきっととっくに依存しているだろう。
この前有名なアル中小説を読み直した時に「何かに依存するやつは見たくない現実から逃れようとしているだけだ」と書かれていたので、きっとそうだ。
何もかもを諦めて逃避して、アウトサイダーになるか、死ぬかしたい。
まあ逃げ続けたところでなにがあるんだよって話で、特になにもないんだけど。
客観的な功績もないくせに自分は本質的にカスではないと思い続ける人生ほど滑稽なものはないと思うけど、別に最初から自分はカスだと思ってればなかなかいい人生なんじゃないかと思えるから、私はそこら辺のゴミになりたい。
なんだか誰かを困らせたい気持ちになってくる。分かった気になられるくらいなら、全部ぶっ壊れて仕しまえばいい。
どうせ誰も私のこと見ないし。
誰かの注目を集めるための最終手段である自殺をする前にちょっとくらい他人に迷惑をかける形で行動を起こしてみないと、私の人生の採算合わなすぎるでしょって、無意識に考えてしまう。
誰も見ないのはあなたが悪いからです、という言葉を目の前にぶら下がる人参にして頑張ることももう限界だった。今の私には前向きな方向に何かを改善させる気力なんて残ってない。「私を見て!」しか、ない。
なんだかすました頭の弱い綺麗事ばかり言ったり所詮他人事とでも言いたいかのようにつめたいくせして干渉したりしてくる大人に噛みつきたい気分だし、自分の快不快だけを判断基準に教師の人格否定をするクラスメイトに「ばっかじゃねーの!」って言いたい気分だ。
「みんな一瞬でも世界を疑ってみることすらしないんだな」なんて考える私が世界を最初から疑ってかかるのは、自分がしょせん世界の枠組みからあぶれた側の人間だからにすぎないんだろうけど、それでも「結局みんな物事の記号性に反応しているだけじゃないか」とか、ひねくれた視野の狭い考え方をしてしまう。
〇〇という私の名前、私という生徒、私というクラスメイト、私という娘、私というクライアント。
私の人間性が私の位置する立場の説明書きからこぼれ落ちつづけて、それに誰も気が付かない。
それは仕方のないことかもしれない。
だけどそれと同時に、そのことに私が抱く感情だってしかたがなくてどうしようもない。
「誰かの思う通りの私」を演じ続けることに疲れてしまった。
すると、演じていたときには気が付かなかったことに気がついてくる。
それは、私が演じることができなくなったことにすら社会は決して気づかないということ。
「私はずっとだれにもみられていなかった!」
私はそのことに気がつきたくなかった。
だから自分自身を見ないふりして以前の自分に戻ろうとした、自分がこの社会の記号性を身につけてさえいれば誰かが見てくれるし、応答してくれるから。
でも、戻れなかった。もう、動かなかった。
〜そして冒頭へ〜 笑。
私の秘密らしきものをすべて一人で抱え込んでいるからきっと私の頭はキャパオーバーしてて、
だからこの頭の中はこんなにもサイケデリクスな様相を呈しているんだろう。
だから私は周りの人間に、記号なんかじゃ決してない「自分」を投げつけようとしてるんだろう。それってテロだね。
さみしさと絶望が恐ろしいくらいのスピードで迫ってくる。
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
小瓶主さんの想いを優しく受け止めてあげてください
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
小瓶主さんの想いを優しく受け止めてあげてください