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カーラーを巻いた頭にスカーフを被ってスリップ姿にサンダルの女の人たち。夜になると美しい蝶に変身する。芸者さん達の置き屋から聴こえる三味線の音。
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カーラーを巻いた頭にスカーフを被ってスリップ姿にサンダルの女の人たち。夜になると美しい蝶に変身する。
芸者さん達の置き屋から聴こえる三味線の音。
母の踊りのお師匠さんや、私のお琴のお師匠さんも、芸者さんや置き屋の人だった。
うちにはお風呂があるけれど、商売で忙しい私の両親に代わって飲み屋のお姐さん達が、私をよく銭湯に連れて行ってくれて、帰りに美味しいものを食べさせてくれた。
夕方前になると、店々の前に氷屋から大きな氷の塊が運ばれて来る。
アメリカ音楽、イギリスのロック、ゴーゴーバー。バーテンさんが夕方過ぎの暇な時間にまだ幼かった私と従兄弟のお兄ちゃんに作ってくれたチョコレートバナナパフェ。搾りたてのオレンジジュース。赤いチェリーが乗っかったクリームソーダ。
洋服をプレゼントしてもらったり、1mくらいある、でっかいぬいぐるみのクマさんを買ってもらった事もあった。
洋服屋さんや靴屋さんのショーウィンドウを覗くのも大好きだった。自分で見つけたリボンの付いた赤いエナメルの靴や、膝まである編み上げのブーツを買ってもらった。それらの靴は幼稚園に履いて行くのは禁止だったけれど。
友達のお父さんのやっていたクラブで聴かせてもらったジャズのレコード。
別の友達のお父さんのやっていた喫茶店で飲ませてもらったレモンスカッシュや、スライスレモンの浮かんだコカ・コーラ。有線放送で好きな曲をリクエストしてくれたりもした。
毎日どこかしらの飲み屋の人達が、私と従兄弟のお兄ちゃんを呼んで遊んでくれた。
残業が終わった両親は、暗くなっても私達が家にいない時、近所の飲み屋を探せば絶対そこにいたと言っていた。
祖母の友人にも、料亭経営者の人達が何人かいた。その人達からも可愛がられた。祖母と一緒に遊びに行くたびに美味しいお菓子をいただいたり、洋服などをいただいたりした。
結婚話をいただいた事もある。今でも、そのうちのある方からいただいた青磁の皿を愛用している。
昭和の夜の世界の人達。どこか寂しさを抱えていた人達も多かったのかもしれない。
その頃のその地区には、1000軒を超える夜のお店が密集していた。
その地区に住んでいた頃の母は、まだ大人しかった。郊外の元地主の農家から嫁いで来た母にとって、その繁華街の地区の人達は結構怖かったんだそうだ。
でもたまに、私がみんなから可愛がられ過ぎだと言って、キレて泣き叫んで怒っていた。
小学生の頃に、家の商売をやるのに手狭だという事で、そこから郊外に引っ越した。以前の家に帰りたかった。毎日そこに帰りたくて泣いていた。可愛がってくれた近所の人達とも、それまでの友達とも別れて、賑やかな街の中から田んぼばっかりの郊外に来て寂しかった。
引っ越してから母が怖がっていた近所の人達の目が無くなったからか、母からの虐待はひどくなった。
従兄弟のお兄ちゃんとも、家が遠くなってからは年に何回かしか会えなくなってしまった。
祖母のお葬式の日、いつも一緒に飲み屋の人達に呼ばれて遊んでもらった従兄弟のお兄ちゃんと、その頃の話が出た。
「俺たち、小さな頃にあんなに毎日飲み屋に行っていたのに、大人になったら二人とも下戸って、なんだか面白いよね。
あのチョコレートバナナパフェ、美味しかったよな。」
って言ってた。
うん、あの頃はしあわせだったね。
とりす
163085通目の宛名のないメール
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とりす
(小瓶主)
ななしさん、お返事ありがとうございます。
そうだったのですね。
昔の街には、そういう情のある人達がたくさんいましたよね。
ご近所ぐるみで子供の世話をするような所がありました。
たしかに、いろんな所から集まって来た、いろんな人達が肩寄せ合って、助け合いながら暮らしていました。
その頃の繁華街には、子供の頃に売られて来たという人達や、置き屋の養女になったという人達もいました。
私の育ったその場所も、今では寂れてしまい、一部再開発もあり、昔からのお店も大分減ってしまいました。亡くなられた方々も多くて寂しいです。
本当に生きるって記憶を折り重ねて行く事でもありますよね。
こちらこそ、ありがとうございました。
ななしさん
私も、小さいころは周りに血縁のない大人たちがいっぱいいる環境で、商店街の豆腐屋さん、果物屋さん、魚屋さん、布団屋さん…色んなお店の店先に預けられて、そこで育ててもらったようなものでした。
小学校時分で郊外に越したというのも、とりすさんと同じです。
私の生まれ育った街は、とりすさんの地元のように華やかではなかったけれど、みんな面倒見の良い、気安くて明るい、気難しい人も寡黙な人もいたけれど情のある人たちばかりでした。
都会の街は、様々な背景や過去を持つ人たちが方々から集まって出来た所も多いから、狭い地域で肩寄せ合いつつ、ぶつかり合わず、上手に生活していく術が身についていたのかもしれない、なんて思います。
その街も年月を経てすっかり様変わり、お世話になったあの店もあの店も、跡地でお洒落な雑貨屋やカレー屋なんかを、遠くから来た若い人がやってたりします。
地図を検索してみても、分かるのは、駅と道だけ。
生きるって、記憶を折り重ねていくことですね。
やかましくてしあわせだった、あの頃のこと、この小瓶で想い出しました。
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