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流産のはなし。妊娠している人は読まない方がいいかもしれません。また、もしかすると誰かの辛い気持ちを思い出させる話になるかもしれないので、それを承知の上で読んで頂ければ幸いです

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はじめに妊娠している人は読まない方がいいかもしれません。
また、もしかすると誰かの辛い気持ちを思い出させる話になるかもしれないので、それを承知の上で読んで頂ければ幸いです。
自分の気持ちの整理用に書くので長いです。





私は一昨年の夏に妊娠した。
生理が来なくて病院に行ったら妊娠していた。
でも心音は止まっていた。6週の双子だった。
翌朝これまでに経験したことのない腹痛に襲われた。布団は見たことのない液体でびっしょり濡れていた。トイレで何かが2回ほど体から出ていくのがわかった。きっと流産した子だったのかな。産婦人科に連絡して救急車を呼ぶか訊かれたが、断った。
仕事は3日程休んだ。自身の体の中に初めて宿った命が消えてしまったことがとても悲しかった。メンタルはボロボロだった。

それから時は流れた。
今年の1月頃、妊娠の兆候のようなものを感じて検査薬を使った。妊娠していた。嬉しくて、今度は流産させないようにしようという気持ちでいっぱいだった。

検査を受けて、心音聞いて、検査が楽しみだけど、仕事が忙しくて、子どもに影響ないか心配で。
それでも順調に大きくなっていってた。しばらくして母子手帳を貰った。でも職場には前回の流産があったから、まだ言えなかった。着る服が日に日にタイトなものを選ばなくなっていて、薄々勘付かれていたみたいだけど。

3月中旬の検査で頭が小さいと言われた。出生前検査のパンフレットを3つくらいもらったけど、小顔ってことだよねって自分に言い聞かせて帰った。でも正直不安でいっぱいだった。子どもを持つ知り合いにも話をして、出産前っていろいろ言われるけど気にしない方がいいよ!どうにかなるよ!って言われた。3人くらいに言ったけど、みんなそんな風に言ってた。

検査の1週間後、再度検査をした。主人に病院まで送ってもらった。不安でいっぱいだった。たくさん励ましてもらった。主人を車の中で待たせて、1人で検査に行った。

同じ病気の別のお医者さんに診てもらった。
でもはっきりと言われてしまった。頭蓋骨がないと。頭が真っ白になった。中絶をするか、出生前検査を受けても良いけど、受けてももうほぼ意味はないと言われた。

産婦人科は付き添い不可だったのだが、特例で主人も病院に入らせてもらい、診断のことや、これからのことを一緒に聞いた。涙が止まらなくて病院の箱ティッシュ全部使い切ってしまった。涙の止め方がわからないほど、涙が止まってくれなかった。

我々は中絶を選んだ。
手術は2日後になった。

12週を超えるかぁ〜とお医者さんに言われて、最初はその意味がわからなかった。

急遽職場に行って、急遽手術をすることになったこと、3月末なので抱える仕事や今後やらないといけない仕事を早口で引き継いだ。その際に、自身が産後休暇に入り、1ヶ月以上休暇になることを知った。
家に帰ってメールで引継ぎを急いで行った。職場の人からは仕事をするなと怒られた。仕事をしているときは、苦しい気持ちから一瞬逃げることができた。

引き継ぎのメールが終わったら、また涙が止まらなくなった。泣き続けた。


翌朝、中絶の同意書に2人でサインして病院に向かった。桜が見える季節なのに、自分の世界はモノクロだった。

入院は個室だった。それは本当にありがたかった。
主人と暫く一緒にいた。年度末で忙しいのに、一緒にいてくれた。

手術前の処置の前に主人を帰らせた。
処置をすると子どもがいなくなってしまう階段を登っているようで、心が猛烈に痛かった。そのせいでか、肉体的にも痛みで苦しかった。年甲斐もなく、叫んでしまった。ごめんなさいって謝り続けた。情けなさと虚しさと悲しさと惨めさで地獄のような時間だった。

2回目の処置は痛みもなく放心状態で終わった。


処置の段階では子どもは生きているから、つわりはあった。つわりは相変わらずしんどかった。でも生きている証拠なんだって思った。つわりさえも愛しい時間だった。

夜のご飯はとてもご馳走だった。たぶん、出産された方達と同じものなのだろうな。豪華なご飯だった。ただ、半熟卵とかコーヒーがあったのだが、最後までこれらを食べるのを躊躇ってしまった。
妊娠中は食べられないから。明日いなくなってしまうということをわかっていても。
そしてその豪華なご飯も、味はしなかった。次は幸せな気分で食べたいなと思った。


夜は不安を消すためにいろんな音楽を聴いた。
それからずっといろんなことを思っていた。思うというか、お腹の子に話をしていた。


あなたのお父さんに会わせたかった。
本当に優しくてかっこいいのよ。抱っこさせてあげたかった。おばあちゃんやおじいちゃんも優しいから会わせてあげたかった。いとこにも会わせてあげたかった。生きづらい世の中になってきたけど、それでも素晴らしいものは沢山あって、それらに触れてほしかった。うちの家族の鳥たちにも会ってほしかった。
またあなたに会いたい。最後まで私はあなたと一緒だから。

そんなこと言ってた気がする。

その晩は眠ることはできなかった。


翌朝の9時半に手術をすることになった。
主人も仕事を休んで来た。3人で手術室へ行った。
手術室に入る前に主人を入院している部屋に戻した。廊下でバイバイして、手術室に向かった。ガッツリ手術室かと思ったら、初日に処置をした小さな部屋だった。

手術の準備がされる中で、どうしても伝えたかったことがあった。麻酔で眠ってしまう前に看護婦さんに伝えた。

私は痛くても構わないから、せめて子どもは出来るだけ痛みを少なくしてあげてほしい。

心からそう願った。涙が止まらなかった。自分より痛くて苦しい思いをするのはこの子なのに。
苦しかった。

目を開けたら手術は終わっていた。自分の状況をわかっていなかった。終わりましたからね。ってお医者さんに言われて、車椅子に乗せられて、意識が朦朧としながら部屋まで運ばれる記憶がうっすらとある。

部屋について、フラフラな私をベッドに寝かせて主人と2人っきりになった。
手の甲についている点滴が痛かった。多分、主人と話した最初の一言は、点滴が痛いだったかもしれない。

いろいろからっぽになってしまった私が話ができるようになったのは数時間後だったかな。
それから自宅へ帰った。主人は途中でマクドナルドに寄ってくれた。お昼ご飯はマクドナルドだったな。帰り道の桜がモノクロだった。

家に帰って、ああ、家だって思った。3人と鳥たちが一緒にいたあの時間を思い出す。
待っている鳥たちが何かを察してくれていた。
マクドナルドを食べて痛み止めを飲んで、ソファで横になって、自宅にいる時間をゆっくりと噛み締めた。

その後猛烈な腹痛に襲われて、病院に連絡した。痛み止めを飲んでも痛みが強すぎて、冷や汗が出た。病院に戻るか聞かれたけど、もう少し我慢してみますと答えた。数時間後には痛みは引いた。それが、3月31日だった。

翌日からからっぽの産後休暇に入った。4月はずっと泣いていた。泣かない日はなかった。窓の空だけ見つめて1日が終わる日を続けた。同じ音楽をずっとループしてた。

5月の中旬に職場復帰した。なにもかもついていけなかったけど、みんなの優しさが本当に暖かかった。

もう帰ってこないんじゃないかと思ったよって言われたのが一番来たな。たくさんの人に支えられて、自分は幸せ者だった。

子どもはいなくなってしまったけど、それを一つ教えてくれた。

それから暫くして、主人は私を旅行にたくさん連れて行ってくれた。私の地元にも一緒に帰ってくれた。この週末もちょっと遠出してた。来月はもっと遠いところに行く予定になっている。
ムカつくところもあるけど、なんだかんだ優しい主人。



本当は10月8日が出産日だったんだ。

それを思い出して、ときどき苦しくなったりしてる。
姉の子や義理の妹の子の誕生日が近いのだけど、心から祝えない自分がどこかいる。
芸能人の妊娠出産のニュースを見ると、年齢を見てしまう自分がいる。

2回流産して、次また流産するかもわからない。なんらかの障害を持って生まれるのかもしれない。自分の年齢も30中盤で、何かに焦りつつも、子どもはいらないと言えば嘘になるし、子どもが欲しいと言うのもどこか嘘になる。

自分の流産した子達を否定はしないけど、正直妊娠することが今怖くなっている。

主人は子どもが大好きで、いつか子どもができたら良いなって言ってるけど、それも本音を言えばプレッシャーで。でもゆっくりしている時間はなくて。

自分がどうすれば良いか、わからない。
早くこのトラウマがなくなれば良いのに。
どうしたらいいのかわからない。
助けてほしい。
涙が止まらない。
名前のない小瓶
151483通目の宛名のないメール
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ななしさん (小瓶主)
2通目の小瓶主さま

数ある小瓶の中から私の小瓶を拾ってくださいまして、ありがとうございます。
小瓶もありがとうございます。拝読させていただきました。

主人には自分の本心を伝えていません。伝えるべきなのでしょうが、伝えるのが怖いのです。主人の悲しい顔を見るのが怖いのです。

愛しているからこそ、傷つけたくない。でもこのままではいけないとは分かっています。
いつか時が解決してくれるかなと、無責任な自分がいつもそばにいて、プレッシャーや現実にただただ押しつぶされそうです。

このままなにもかも、なかったことになってほしいなって最近思うことが増えました。
ななしさん (小瓶主)
1通目の小瓶主さま

数ある小瓶の中から私の小瓶を拾ってくださいまして、ありがとうございます。また、小瓶もありがとうございますした。小瓶を拝読させていただきました。涙が止まりません。

栄養ですね…。多忙で偏りがちなので、ちょっと気を付けてみようかな…
ななしさん
気にしない方がいい、どうにかなる人が多いと思っていました。そうじゃないときがこんなにつらいとは。
つらい中タイムリミットのある決断を迫られるのもつらい。つらいことをご主人にお話はされていますか?
ななしさん
大変辛かったですね。

主さんのお気持ちと共感できる思いたくさんありました。

流産は、このまま生まれてきても何らかの理由で
長く生きられないと赤ちゃんが知って
赤ちゃんが自分たちで決めたのかもしれません。

私も今子ども2人いますが
その前に2度流産しました。

正社員でご飯を食べる時間がなく、その時はかなり痩せてました。
水も普通に水道水を飲んでましたが、もしかするとサビなどあり今思えば、毎日飲む水がよくなかったのかな、とも思います。

やはり、子どもを望んでいるのであれば
母体の栄養状態は大切です。

たぶん、みなさん黙っているだけかと思いますが
流産を経験してる人はそれなりにいらっしゃると思います。


主さんは何度か妊娠してらっしゃるので
また、お子さんができる可能性は十分にあります。

後々、後悔しないように
できる時に、最善を尽くした方がいいと思います。

亡くなったお子さんのことは、
決して忘れず
本当はね、あなたにはお兄ちゃんやお姉ちゃんがいたんだよ、って話してあげられるようになったらいいですね。

私も子どもたちが小さい頃、時々そのように話していました。

誰もがみな、ではないかもしれませんが女性が通る道、悩みだと思います。


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