何もしなくてよくなるであろう「死」はすごく魅力的だ。
でもその魅力的だという感情は「生」の側にしかないとしたらそれを失うのはもったいないような気もする。
生きることが楽だという理想、幸せを手に入れたいという願望、死の先に天国を夢見る脳の働き、
全て消えて無くなってしまって本当にいいのか?って思う。
「私」が望んだ幸せは、死んでしまった「私」が感じることはないんだろうな……
後悔すらできなくて、
こんなことなら、苦しい日々も自分が生きてた証で、人間に生まれたからこそ、自分に生まれたからこそ、感じられたことだったのに……
思考できたことだったのに……
そんなことすら、もうなにも、そこに言葉は紡げなくなるのだろうな……
わたしはそれでいいと思ってるけれど
考えを放棄してない私はずっと葛藤してる。
わかってる。生きるのをやめたなら生きるための考えをしなくて済むのだから、どうやったら自殺しない生き方ができるかを考えなくて済むのだから、そのさきになにもなくても死ぬ価値はあると思うよ。
でも
私は、わたしを助けてあげる努力をまだ捨てたくないよ。
この世界に過去生まれてきた誰かが、
現在どこかで時を同じくしてる誰かが、
未来に生まれてくる誰かが、
わたしと同じような人物だったとして…
今回のわたしを救えなかったとしても、今後のためにまだ模索させてほしい。
頭で思い描く救いへの道はただの空想。
それができれば助かるのに……じゃあダメなんだ。
なんにもできないわたしができる方法じゃないと。
誰にも助けてもらえなくても救われる方法じゃないと。高望みでも、それができなきゃ自殺ルートが消えないというなら、私は奇跡を追わないと。
せめて
願わせて。祈らせて。
いまを生きる皆のために。
自分が自殺をしないために。
精一杯、ここに思いを込めさせて。
どうか、途中で自らを殺すことなく、
みんなと一緒に生きれますように……
誰でも無料でお返事をすることが出来ます。
お返事がもらえると小瓶主さんはすごくうれしいと思います
▶ お返事の注意事項