「正解」は自分で決めていいと思うし、それを信じることは権利だと思うのだけれど、
(法律などのしがらみからは逃れられないので他人から「不正解」だと言われることは許容せざるをえないけどね)
自分は自分の良いように正解を作ったので世間さまとはだいぶ違うんだよね
自分はいわゆる「だめ人間」に相当するし、めんどくさいのでそれを否定しようなんて思わない
自分が嫌いで他人が嫌いで誰も信じられなくても、それをまるごと包み込めちゃうような正解のフレームを作ったらそれだけで勝ちな気がしてる
まぁ、自分は自己嫌悪や人間不信の状態から正解の枠組みを完成させるまでに6年もかかっちゃったんだけど
難しいよね、何も信じられないって言ってるのに自分で決めた正解だけは信じなきゃ意味が無いんだもの
自分はなにか傷ついているひとにことばをかけたいと思うし、小瓶にも自分も救済する意味を込めて誰かを助けたいと禿筆を呵してみたりするのだけど、
自分が24時間365.25日「死にたい」と思わなくていいように、数時間でも「消えたい」を消せるようにって紡いだロジックだから、
もっともらしいことを書いてるし嘘じゃないよって言えるんだけど、それを胸に置くと自分みたいなだめ人間になっちゃうよってそこが心配
だめ人間なんのそのって自分は生きてるけど、もちろん自分と他人は違うので、もしあなたに届いちゃいけないことばだったら本当にごめんねって思う
こんなこと言ってるけど社会経験もないようなもう少し18歳になる普通の少女だから、まだまだ考えは変えるし10年も経てばあの頃は馬鹿なこと言ってた、とか思うかもしれない
救済の意味はひとによって違ってて、
自分の使うようなこころを軽くする手助けをすることをそう呼ぶひとも自分のようにいると思ってるし、
社会の平均かそれ以上の人間に仕立てることをそう呼ぶひとや、「善行」や「徳」を大事にした先にあるものをそう呼ぶひともいると思ってる
だから自分のする「救済」があなたにとっての「堕落させる」になったらそれもごめん
自分は傷ついたひとの味方になりたいし自分なりにそうあろうとはしているけど、
間違いなく「腐ったりんご」ではあるから、そこはよろしくね
自分に言わせれば「腐る」って楽しいんですけど
まぁ、自分みたいなのばっかだと人間滅びちゃいますし
働きアリの法則的に自分の存在を許されないこともないとは思うんですけどね
(ちなみに自分は人間が滅んでも良いとは思ってます、逆に滅んではいけない理由が思いつかないので)
敬体と常体混じっちゃった、やっぱり何も考えずに書くといけませんね
ひとりひとり、「受けとる自由」を持ち合わせてるし、そこは相手を信頼していいと思う。
だからあなたは自由に、あなたのオリジナルな生き方や存在を表現してほしいなって思ったよ。
ちなみに私も世間一般からみたら「だめ人間」と呼ばれる大人かな!w
でも私自身はそんなふうに思ってないし、日々をたのしく生きてる。
堂々と「ダメ」でいいんだと思う。
「こんな人もいるの!?いいの!?」
って、常識に染まった人々をビックリさせながら、生きていけばいいんだと思う。
それが嫌な人は、当然真似しないだろうしね。
まあ、引かれても否定されても、どこ吹く風で堂々としてることはがんばってるともいえるのかな…?
でも自分の調子が良くない時、そういう否定的な人々に若干好戦的になってしまい論破してしまう事があるので、そこは本当にやめたい。
否定に否定で返して支配しようとするのは、私の望む世界じゃない。
「ダメ」「良い」なんて、どこかの誰かが人々をコントロールしやすくするために作ったシステムでしかないと、個人的には思ってる。
「世間一般」なんていう、ロボットみたいに固定された人なんて存在しなくて、みんなひとりひとり違う、自由な心や受けとり方を持つ唯一無二の存在だしな!
何も考えずに心のままに表現する人、わたしはすきだよ。