人に感情が生まれたのは何故?
感情と本能の違いは?
私の価値を見出すのは結局他人で
人生に意味はないと謳う人もいれば
人生の意味を求める人がいて
他人は変わらないから自分が変わるしかないと言うくせに
人の本質は変わらないと突きつけてくる現実がある
人も所詮動物で
優劣をつけなければ生きていけない
平等平等と言うけれど
平等もまた、不幸な人間を生み出すこと
それは不平等な事と何ら変わりない
理性はその人を殺すが
本能は他人を殺す
自我は己自身であるが、自我を作ったのは誰だろうか
思考や感情なんてものは結局誰かの真似事に過ぎないような気がしてならない
ただ好きや嫌いなどの感情だけは、確かに自分の物だと思いたい
そもそも理性ってなんだ?
──
自由とは。
知識も経験も無い物を指針のない旅に出したとて、その人が得られるものなど何も無い。
現に私がそうだ。
この歳になって得られたものはただ一つ。
『何も得られなかったこと』を得られただけ。
私は昔と何も変わっていない。
過去の自分を客観視してるという点で、昔とは違うと信じたい。
けど生活していて思う。
やっぱり私は変わっていないと。
自由とは、自分で自分の行動を決められるようになってから手に入らないと意味の無い事
私は自由しかない時間を無駄に過ごしたこと
それに気づいた今、私に出来ることは?
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あなたのその思考力を大切にして下さい。
人生に意味が無いから、意味を求める。
人は誰しも、自分の行動に理由をつけたがるのだ。自分の行いに間違いが無いか考え、自分を正当化させる為に。だから意味を求める。
人間の本質は、
人間性と言われており、「理性動物」と定義されるらしい。
理性とは、
物事の道理を考える能力や、その物事に対して適切な判断をする事。
つまり、人の本質が変わらないのは、「他人が変わらないから自分が変わるしか無い」などという思考がそもそも人間味ある考え方なのだ。
平等とは、
差別なく、皆に等しいものを与える、扱うこと。
例えば、機転が利いて、判断力、行動力があり、運もよく、高い技術を持つ人をAさんとしよう。
そして、何も出来なくて、面倒くさがりで、動きが鈍か、運の悪い人をBさんとしよう。
では、AさんとBさんを闘わせるとする。
両者に、全く同じ武器を平等に渡す。
さぁ勝つのはどっちだ?
この場合勝つのはAさんだろう。
平等とはこのようなことである。
公平じゃない、だからまた格差ができて、優劣が付いてしまう。それを人は不平等というのだ。
理性は本当に自分を殺すのだろうか。
例えば、AさんとBさんがいたとしよう。
その2人を無人島に送り込むとする。
その島には木ノ実があり、2人以外の動物はいない。
AさんとBさんはお腹が空いたようだ。
Bさんはお腹が空きすぎて、よくわからない木ノ実を食べようとする。しかしそこて、Aさんは言った「その木ノ実は猛毒だ」と。それでも腹が減ったBさんはその木ノ実を食べた。さぁ、死ぬのはどっちだ?
僕はBさんが死ぬと思う。
(もしかするとBさんが毒耐性持ってるかもしれないけど。)
普通に考えるとAさんが生き残るだろう。
なので「理性は自分を殺さない」と言いたいがそうだろうか。何も食べないAさんは結局は死ぬのではないのか。
なので理性が自分を殺すという事に関してはよくわからない。(あくまで、肉体的な殺すって意味ね。)
人生において、何も得られないという事は無いと言いたいが実際はそうではない。
なんなら何も得られない方が多い。
だから結局人生なんてものに意味はない。
人間がただ自分の主観的な考えで創り上げた無意味な物なのだ。
だから、その無意味な人生をどれだけ馬鹿らしく生きれるかを楽しめばいいと思う。
悩める事はいい。考えることが出来るから。
何もない、意味のない人生を、自分なりの生きる意味を創れるキッカケになるから。
と言うただの僕の勝手な考えでした。
時間無駄にさせてすみません。
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