『ぼくがいま、死について思うこと』に次いで、椎名さんの死生観について書かれてます。
私の父は35歳の時、私がまだ4歳、弟は生まれたばかりの頃、腎臓を患い、このままでは…と診断されました。
家族も増え、まだまだこれからだというのに…。
家を建てる計画で購入してあった土地を売り、母の実家を頼って移り住むことになり、父は透析のある病院へ即入院となりました。
汚れた血を機械で洗浄し、また体に戻すのですが、当時は負担も大きく、朝、目覚めるたびに…
「…今日も生きられたか……」
と思ったそうです。
息子二人が学校へ入学するまで…
卒業するまで…
社会人になるまで…
そう希望を持ちながら、仕事の合間に透析を受け、家族のために1時間と立っていられなくなるまで働き続けました。
透析中や家に帰ってから容態が急変し、死線をさ迷ったことも幾度かあり、医師から話を聞いている時、看護師が意識が戻ったと駆け込んで来たことも…。
ベッドのまま運ばれて来た父が、私たちの顔を見て、ニヤッと笑い、
「また死にはぐっちまったよ。…俺は余程、娑婆に縁があるんだなぁ」
その時は何を呑気な!と憤りを感じましたが、常に死と隣り合わせの日々を送ってきたことを想えば、その言葉に大きな意味を感じます。
だからでしょうか……
人の死に関して興味を持ったのは。
とはいえ、のめり込むタイプではないので、浅くではありますが。
そんな人間なので、死にたいと思う人や、死にゆく人にかける言葉は分かりません。
私自身、別れて死のうとしたことはあるし、パニックを起こし続けることに嫌気がさし、自分の首を締めたこともあります。
だから、その様な人にかける言葉は見つからなくても、傍にいるくらいは出来ます……。
鬱陶しいと思われるかもしれませんが
動物行動学の日高敏隆さんの著書に、
「人間とそれ以外の生物との決定的な違いは何か?」
という問いかけがあり、答えは
「人間は自分がいつか死ぬ、ということを知っているが、その他の生物はそのことを知らない」
だそうです。
四十、五十は洟垂れ小僧と言われても、私だっていつ、どうなるか分かったもんじゃありません。深く考えなくても、浅く見るべきところにいると思われるのです。
私にも会えないとはいえ娘がいるので、絶望している子どもたちを見るのは辛い…
どう言葉をかければいいのか悩み、自分の無力さに頭を垂れるばかりです…
それでも…
何かきっかけとなるものをあげられたら……
そう願いながら小瓶を流します。
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
小瓶主さんの想いを優しく受け止めてあげてください
“昼庵吞”主
うめこさん、そう言っていただけて嬉しいです。
余計なお節介、要らぬお世話…。
見返りなんて求めていないのに、結果的にはそうなってしまい、その度に「もう、誰も助けない!」と決めたはずなのに……
でも、これまで幾度も人に救われてきたので、結局またお節介をやいてしまうんです。
それでも、それが誰かの心に僅かでも明かりを灯せるのなら……
こんなに嬉しいことはないですね。
ありがとう。
名前のない小瓶
昼庵呑さんの文章を読むことで、ホッとする人もいるのではないでしょうか?…私もその1人です…。
直接的な答えも良いでしょう。
でも、誰かのつぶやきも暗闇の中の明かりとなるのではないでしょうか
“昼庵吞”主
昭和の歌です。
今日で全てが終わるさ
今日で全てが変わる
今日で報われる
今日で全てが始まるさ
(春夏秋冬 泉谷しげる)
“昼庵呑”を思いついた時からずっと、そんな場にしたいと考えてました。
また寄ってくださいな(⌒‐⌒)
ななしさん
こんにちは。
また来てしまいました。
縁側に座って、昼庵呑主さんのお話聞くのが好きです。
傍にいるくらいは…。
まさに、そんな感じで、私にとってはとてもありがたいです。
小瓶を見かけると、つい立ち寄って、となりに座ってぼんやりと耳を傾ける。
それだけでも、不思議ととても心が和らぎます。
いつも、ありがとうございます。
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
小瓶主さんの想いを優しく受け止めてあげてください