ここ最近の、コロナウイルスによる影響、というかそれに伴う、様々な会社や学校による、従業員や学生への行動制限というものが、結構深刻だと思う。行動制限というのは、会社が従業員に対して、そして学校が学生に対して、県をまたぐ移動を禁じたり、特定の地域への移動を禁止したり、家族や友人同士集まることを禁じたり、ということだ。
政府や自治体がお店に休業「要請」を出して、それに伴って休業補償をすることや、住民に移動の自粛を「要請」することは、必ずしも悪いとは思っていない。政府や自治体は、住民から選ばれた政治家によって運営されているからだ。俺らが選んだ人たちが決めたこと、だからある程度行動を自粛してもらうよう「要請」することは理解できなくはない。とはいえ、それもやりすぎはどうかと思うが。しかし、立法機関でも行政機関でもなんでもない学校や企業が、従業員や学生に移動の制限を半ば「強制」していること、これは結構やばいのではないか、と本気で思う。
感染症によって俺らの自由が脅かされる。自由って、健康と同じくらい、大切で、人々が、戦い抜いて勝ち取ってきたものだ。国によっては、その昔、一般市民は移動の自由がない、という時代もあったのだ。着るものや住む家まで、自由ではなかった時代もある。もちろん、今だって、公共の福祉やら、景観やら、安全上の理由があって、なんでも着ていい、どんな家でもいい、ってことはなくて、制限はされることはある。でも、その制限は、合理的な理由がなくてはならないし、だからこそ政府や自治体といった公的機関が慎重に決めている。そして、その政府や自治体ですら、「要請」するのが精いっぱいであるのに、立法機関でも行政機関でもない学校や企業のお偉いさん達が、鶴の一声のような形で、職員や学生の行動を「禁止」している、って、マジで結構怖いことだと思う。
例えば、日本の刑罰は、罰金刑といった財産刑と、禁固懲役といった自由刑がある。自由の制限というのは、刑罰にも値するということだ。企業が、命令をして職員を職場に留めれば、何もしなくても給料が発生する。人の行動を制限するということは、そのくらい重大なことなのだ。
ところで、俺は不思議でならない。なぜ、コロナウイルスのリスクだけがここまでクローズアップされるのか。生きていれば常にリスクが伴う。ただ歩くだけで、事故にあう可能性がある。外にでなくても、明日地震がおこれば室内にいても危ない。雪国だったら、落雪や雪崩のリスクも結構大きい(雪国を知る人ならわかると思うが、屋根からのちょっとした落雪だけでも、ものすごく怖い)。車なんて運転した日には、それこそめちゃくちゃリスク高い。自分が被害者になる可能性も加害者になる可能性も、怪我する可能性や最悪命にかかわる可能性も。それなのに、みんな平気でスピード違反をする、平常時はおろか雪が積もってもスピード違反をする。コロナウイルス以外の感染症だって、俺らが気付いていないだけで、これまでだって知らない人に病気を移していたかもしれないし、移されていたかもしれない。将来的な疾患の原因になるかもしれないのに、脂肪が多い食事や塩分の多い食事やアルコールを喜んで摂取する。性交渉で罹患する疾患も数多あるのに、多くの人が喜んで性交渉をする。
ただ生きるだけで、俺らは病人にも怪我人にも死人にも、被害者にも加害者にもなりうるリスクがある。でも、これまでの社会で、これらの行動をそこまで深く咎めることはなかったであろう。
もちろん、感染症対策は重要なことだ。健康と命はかけがえのない大切なものだ。医療崩壊を防ぐために対策をする必要はある。しかし、そもそも、軽症者や無症状者までをも医療機関に隔離していたら、パンクしそうになるのは当然のことなのではないか。他国では状況が異なるが、少なくとも日本国内では、コロナウイルスはそこまで大きな致死率があるわけではない。このレベルの致死率の疾患で、無症状者すら医療機関に隔離していたら、いたずらに医療機関の負担を増やすことになってはしまいか。コロナウイルスの感染症を、現在の特定感染症から、五類感染症へ変更するなどの措置で、医療機関の負担を軽減させるなど、様々な方策があるのだと思う。医療機関の負担が少なくなれば、コロナウイルスのみならず、様々な疾患で重症化したときに患者が速やかに医療を受けられるだろう。
コロナウイルス以外の疾患で亡くなられる方はたくさんいる。それなのに、なぜ、その他の疾患は恐れない?
感染症のリスクの高い性交渉を、なぜ人々は喜んでする?そしてなぜ性交渉は咎められない?
なぜ、リスクがあるのに遊び目的で車に乗ることはこれまで咎められなかった?
なぜ、他のリスクは全く見向きもされない?
なぜ他のリスクに関しては行動を制限されない?
人は、ただ生きるだけで、様々なリスクに瀕している。そのリスクを負いながら生活している。リスクを負わなければ、生きていけない。これまでの人類の歴史の中で、生きるための食料を得るためにリスクを冒し、誰かを守るためにリスクを負ってきた。リスクを避けて閉じこもっていたら、生きるための糧を得られず、貧困というリスクが生じる。それのみならず、精神的なダメージのリスクも負うだろう。リスクを減らすために行動を制限しても、はっきりってそれは別のリスクを増加させるだけだと思う。例をいうと、感染予防のために電車ではなく車で移動したら、事故のリスクはぐんと上がる。なにもかものリスクを避けようとずっと家にいても、家にいるだけでも地震や災害などのリスクがあるうえに、貧困や精神疾患のリスクが上がる、ということ。
だから俺らはリスクがあっても勇気を出して行動していかなければならないのではないか?
そして、だから俺らは、誰かが困っているときに助け合わなければならないし、誰かが意図せず人を傷つけてしまったときに、許し合って生きていかなければならないのではないか?
不用意に人の行動を制限することはやめるべきではないか。
俺はなにも全ての感染症対策に反対しているわけではない。リスクを低くする対策は、なされてしかるべきだと思う。だた、不用意な行動の制限はどうか、という話。きちんと、リスクと自由のバランスを考えて、慎重に議論して感染対策をしていくべきだと思うのだ。
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ななしさん
わかります、私もそう思っています。共感です。
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