スワンプマンとか、哲学的ゾンビみたいな思考実験を読むといかに人間という生物が自分達を特別視しているかがわかる。
スワンプマンはつまるところ我々には物質以外には何もないのかという問いで、哲学的ゾンビは我々の意識は脳の電気信号の産物なのかという問いだと言える。
結局両方の思考実験から見えるように、人間は現実が分かっていてなお何処かでそれを受け入れる事を拒んでいる。
人間が所詮はエントロピーが拡散していく宇宙の流れの中で、局所的に存在するエントロピーの歪みによって生じた散逸構造体の延長線上にある現象でしか無いという事を多分受け入れる事ができない。
(詳しく知りたい方は散逸構造と生命で検索してください)
これを書いている自分もまた、何処かでそれの受け入れを拒否しようとしているように感じる。
でも結局はこれを書いている私も私という存在があると思いこんでいるだけでその実は脳内の電気信号とその記録でしかない。
そもそも明日起きる私がスワンプマンじゃないと言い切れるだろうか?
人間の細胞は絶えず交換されている。今日の夜寝た瞬間から次の朝起きるまでに私が完全に同じ物質状態を保つ事はできない。
では私とはなんなのか。明日朝起きた自分は紛れもなく自分が自分だと思い込むだろうがそれは真実なのだろうか?
結局自分は自分の脳内電気信号の同一性と連続性を自我だと思いこんでいるだけなのかもしれない。
そもそもそんなものなんて無いというのが受け入れられない過去しれないが答えなんだと思う
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ななしさん
人間はその程度のものだと思います。
だからこそ理解できない意識の存在や命について敬意をはらう必要がある。存在意義について考えなければならない。実はそれが一番大切な事なんじゃないかと思うんです。突き詰めれば、生に対してそれしか出来ないのだから。他の行動や思考は死に対するものであり、空白のように感じます。ただ一つ、その空白の中で芸術を見出せるのは人間だけであるように感じます。ただの電気信号や細胞の循環の中で、芸術は命の象徴になり、生は意味を見出すといっていいのではないでしょうか。
不毛を知らないうちに受け入れ、不毛に無理やり価値を見出し、死んでいく事が美しいと感じます。
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