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烏羽 さんの小瓶箱
烏羽
少し頭のネジが外れていますが、私は元気です。
Vtuberはいいぞ…

名前は、解る人に解ればいいという気持ち等から。
伝える事をはなっから諦めてるという意味ではないのであしからず。
固定された小瓶
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烏羽
小瓶主さんからのお返事どうも。
(こちらも長文なので、お時間と気力のある際に読んで頂ければ)

夢はあるし、もう見えているんじゃないだろうか。
(なんとなく、探せば他にもやりたい事がありそうな気もするし)
まあ、無理やりポジティブになろうとするというか、ない夢や希望を見る必要があるとは思ってないので、見つからなければそれで良いとも思っていたが。

金銭の余裕がない辛さは辛いとしか言いようはないけど、やりたい事への認識はご自身で持たれているし、自覚もあるのだから、生きていて何もない、という事はないだろうと思う。
それこそ、生きている中、苦しみがあり、死ぬ事で楽になれるのではないかと思ったような中身だってある訳だしな。
揚げ足取りだと不快に思われたらすまないが。

(…因みに、詳しい事、条件やらは解らないので、病院へ聞いたり、調べてみたりしてほしいが、「無料低額診療施設」というものもあるらしい。
もしかするともう利用されているかもしれんし、改善の糸口に繋がるかは解らんが、他にも何かしら金銭的な負担を減らす方法はあるやもしれん)

で、変わる力そのものというか、先へ進む力は誰しも持っているものだ。
状況や余裕のなさから、夢や希望を保てなくなる事もあるけど、希望がないと考え、絶望するような認識をするのは控えた方が良いんじゃないかってのが、先程の返事で言いたかった部分よ。
(変えられる変えられない、という事が趣旨ではない)

「自分には何もできない、苦痛を受け入れる事しかできない」、そんな風に考えれば落ち込み、それで小瓶主さんは現状、心苦しくなっているのではないかと思う。

んで、この先、「良くも悪くもどうなるか解らない」という可能性を見なくなって、変化しようという気力もなくなっていく訳だから。
(また別件だが、精神も体の一部なので、強いストレスなどから気力が湧かなくなる事も確実にある)

そういう思考になっても仕方がない事が起きたのだと俺も理解できはするが、その考え方によって、現状出来ている事も見えにくくなってしまっているだろうし、見える選択肢が狭まる事で、手の届くと思える選択肢も少なくなる。
思考が悪循環を起こし、「死」というどうなるかも解らない状況に縋る以外の選択肢が取りにくくなって行くっていう。

「認識」ってのは、思考の基盤みたいな部分なので、「状況が良くなる事はない」と考えていると、見える情報の殆どをそう解釈してしまう、恐ろしさがある。

(小瓶主さんの容姿や年収が悪すぎると、結婚相談所のカウンセラーさんに言われたそうだが、文章そのまんまの言葉で言われたのだろうか?
そうだとしたら、そのカウンセラーさんの言い方が悪いとしか言いようがないけれど、事実だけを考えると「そこにいる女性が求めた条件に合わなかった」というだけではなかろうか)

だから、その考え方を変える事…、「変われる、と思える事」で、多少は心持ちが楽になるんじゃないかという事を伝えたかった。
(俺の文章力は低いので、まとまりのない返事で読みにくかったとは思うが、大雑把に書けば「くよくよし過ぎても辛くなるし、視野も狭くなりがちだからやめとけ」というか。「諦めても挫けても、立つ力を手放すな」というか。これで説明は足りるだろうか)

話は変わって、解釈次第と言えばそうかもしれんが、人生の中で親友だと思える関係性が出来る事って、なかなかないからな。
その関係性が出来た事自体が良い事だと思う。

大きなショックとなる苦しい出来事と並べば霞んでしまうのかもしれんが、他にも些細な嬉しさや小さな幸せといった、良かった事は多少なりともあったのではなかろうか。
希望があるかは確約できないが、これからの行き先が悪かろうとも、それらがないとは言えない。

それに、厳し目な事なのかもしれんが、どんなに辛くても、自分が動く事でしか変われないという意思を手放せば、それこそ辛いまま終わるだけなのは、冷静に考えてご自身で察せられるのではと思う。
(だからこそ先を見据えて貯金をしようとなされた訳だろうし)

まあ、人間なんてもんには、生まれた時から何もないしな。権力やら金やら力やら、あろうがなかろうが、同じ人間だろう。

強いていうのであれば、空っぽだからこそ、夢が持てる。
何を持っているか持っていないか、自他を比べたりして、それぞれの価値観を作る。内側を作っている。そう思う。

(俺も引きこもって、親族はハッパをかけるつもりだったのか単なる罵倒なのか知らんが、「あんたには何もない」という言葉を使われた事がある。元々人間なんてそんなものだと思っていたから「だからなんだ」という情感しか浮かばなかった)

だから、何もないんだという自覚から来る、それぞれの思い、苦しみを同列に扱う事は出来ないが、何もないと思う事が辛いなら、その考えに執着する事をやめて、あった事を思ったり、これからの事を求める事に重点を置いた方が良いんじゃないかね。

(辛い思いや考え方から距離を取るというか、自分の内側をそればかりで埋めないようにするというか。
悪い可能性やらは対処した方が良いだろうから、目を逸らすって事ではないが、俺はそうして平静を保とうとしてるし、個人差はあるかもしれんがそれなりに保てる。これがダメな時もあるので、その時は気が向けば、別の方法を見つけようとしたり、試したりする)

少なくとも、他人事だからと言えばそうなのかもしれんが、小瓶主さんの何が情けないのか俺には全く解らん。

先程の返事にも書いたが、俺は小瓶主さんの事を、苦難苦境を乗り越えて来られた、その力のあった立派な方だと思っている。
あなたの人生に、それだけの大きな事は、何もなかったのか?
あったから、ここまで生きているのだろう?

あなたがご自身の事をどう思おうと、今、苦しみの中で打ちひしがれていようと、行き先がどうであろうと、その生きた姿を情けないとも、惨めだとも、俺には思えん。
・・・小瓶を見る
烏羽
(長文のため、お時間や気力のある際に読んで頂ければ幸いです)

思った事を書かせて頂くと、その親友さんの気持ちが欠片なら解るかもしれないな。

もしその親友さんが色んな事を抱え込む感じの人だったら…、というか、人に気苦労をかけまいと、親しい中だからこそ言いたくない、頼りたくない、そういう時もあるもんなのよ。
(当人にとって重大であればある程)

俺自身抱え込むタイプで、何の因果か心臓病の友達もいてさ、その友達が、何の素振りも見せなかった俺が不登校になって、引きこもってた事に関して、小瓶主さんのように「俺は信用されてなかったのか」と直に言われたんだけども、そんな事はなかったと断言しておく。

…まあ、小瓶主さんの親友さんがどうなのかは、俺の話じゃないから解らんし、かすりもしない可能性もあるんだけどもね。

小瓶の話に戻ると、小瓶主さんの親も親で、心臓病が発覚した時のショックやらで、色々なストレスはあったと思う。
(あるいは、あくまでも例だが、自分の子供が受験や就職に失敗する筈がないとか、盲信的な期待をしていた反動だったり)

詳しくは知らんので、勝手なガバガバ推測で不快に思われたらすまないが、「自分の子供にそんな事があったなんて」的なショックはあったのやもしれんし、受験の失敗など、親としても受け入れられない程、冷静になれないぐらいには、余裕がない状態に陥ってしまったのかもしれん。
(そしてそれを子供に勘当という形でぶつけてしまったのだろう)

どこから目線の言い分なんだと変な自覚はあるが、タイミング悪く、世知辛い出来事が多くあり、色々あった中、本当によく頑張ってきたんだろうと思う。
心臓病の発覚だったり、受験で板挟みだったりで、相当の負荷はあっただろうし、親友が自殺したショックもあっただろう。

それで、ようやく頑張って、働いて、正社員になれたのに、会社がブラックだったり、糖尿病が発覚したりで、出鼻を挫かれるような思いをする。
そこまでの事があったら誰だって焦ったり、色んな事に手が付けられなくなったりするだろうよ。

他の方も仰られているように、それでもなんとか、ここまで生きて来られたのは、凄い事だと思う。
死ぬなとは言わん。生きろとも言わんが、他人から見たら、そこまでの事があって生きて来られた小瓶主さんに、価値があるというか、立派だと思えてならない。

解釈次第なんだろう事と、やや極端な皮肉なんだけど、容姿と年収だけが人間の価値ではないというか、それを人間の重きとするような人と小瓶主さんが出会わなくて良かったと思うよ。

余計なお節介が許されるのであれば…、もし、いつか、小瓶主さんに少しだけでもやる気が出てきたのなら…、ほんの少しでも生きたいと思えるのなら。

先の為に言っておきたい。夢と希望を捨ててしまうんじゃないぞ。(ポジティブであれ、という事ではなく)
夢と希望を言い換えれば、それは「良い可能性」だろう。

今の現状、小瓶主さんは、絶望を…、言い換えれば、この先、悪い可能性があるというように…、いや、それしかないという期待をしているのではないだろうか。
それに縋る事が、死にたいという思いを加速させているように思えてしまう。(そうなっても仕方ない状況だし、これを言う事で小瓶主さんを否定したり責めたい訳ではない)

確かに、どうあっても、人生というものは落ちたものに手厳しい。落ちてから上がる事の難しさは、間違いなくある。
だけど、そこで絶望に縋れば、状況は更に悪くなる一方でもある。

「辛い事があって、苦しい中、これから先にも辛い事、それだけしか待っていない。」…そう考えると、更に苦しくなるし、やる気だって削がれていく。
出来る選択も、自ずと思考の視野、視界が狭まり、死の方向へと向かって行くものではないだろうか。

そうなってしまった思考は仕方がないし、そうなるのも無理は無い程の事があったのだと思いはする。
だが、もしその思考が小瓶主さんの足枷となっているのなら、ご自身が困るだろう。
だから、前向きになるという事ではないが、少しでもその思考を控えられれば、そう努められれば、多少は精神的に良いのかもしれない。

小瓶主さんの内には、楽になれるなら、「死」という可能性に賭けてみてもいいという思いがあるのかもしれない。
でも、他の方とやりとりしていたお返事を読むに、それは、今ある状況から楽になりたい、そういう思いを発端にしているものであって、「死にたい」という思いのそのものではなかった。

他人なので代弁できる訳でもないが、強いて言えば「変わりたい」、そういう思いからくるものではないのだろうか。
(そうであるならば、何がどうなるのかも解らない「死」より、変わりたいというようなご自身の思いを大事にして、今ある、少しでも解っている事のある生の中で、良い可能性を求めて欲しい…、というのも他人事だから言えるだけなのかもしれんが)

今まで何のために生きてきたのかと、俺自身考えてみると解らん。
ただ、その瞬間、その時に思った事の為に、生きてきてはいる筈なのだ。

だから、その未来を全て、悪い可能性で塞がれているように見てしまうと、結果が出ていないのに苦しみ、悩んでしまう。

俺もそうだったし、そうして苦しんだ。
そこで得た対処やら、学びやらが、小瓶主さんに合うかは解らないが、情報として書くとすれば。

基本的には、解らない事は解らない、と諦める。
それか、予測してしまったならした、思い浮かんだなら浮かんだで、それに関しての対処法を考えたり、調べたりしておく(一度で見つからない時は、別の時に何度も、気が向いた時にでも)。という所だろうか。
(不安や懸念は起こらない可能性もあれば、起こりうる可能性もあるので、一先ず対処法を考えておけるなら持っておくというか)

例えば、俺の場合だが、引きこもっていて死にたくなった時、もし金がなくなったり、親に追い出されたりでもして、ホームレスになったとしたら生きる手段は何だろうと考えたり、生活保護を受けるためには何が必要なのかと調べようとしたりした。
(自殺もしようとしたが、死んでないからここにいる。死んだら死んだでいいと山で生活しようともしたが、行く途中警察に補導されたりもした)

予測がある程度できて、それが不安なら、対処しようとする他はないんじゃないだろうか。
俺自身、そこまでしっかり出来てはいないし、知識や学びがあった所で、実際その悪い出来事に直面すれば、その時思った通りに、練習などした通りに、上手く対処できるかどうかなんて解らない。
だが、避難訓練のようなもので、ないよりは要点を知れる場合もあるし、少しでもあれば、心持ちがマシにはなるだろう。

もし、先行きの不安に対する対策を講じたければ、少しでも元気があるなと思えた時や、気が向いた時、マイペースに考えるのが良いかもしれない。
(ショックな事が起きれば、辛い中、なかなかすぐには動けないかと思うし、考えればすぐに対処できるのか、そもそも、方法が見つかるのかというのも解らないので。他にも、そういう思考や、ストレスへの対処法はあるだろうし、ご自身で調べてみるのもあり。宗教勧誘ではないが、「瞑想」について調べてみるのも良いかもしれない。幾つか種類があったりもする)

ともあれ、ご自身の心の内、過去の出来事と折り合いを付けるというか、ゆっくりとでも、心を整理する時間が、時には必要なのではないかと思う。

小瓶主さんにとって合うか合わないかは解らず、やり方やらを強制したい訳でもないので、休める時はしっかり休んで、気力のある時に、やりたければ、ご自身で色々と調べたり、聞いたり、試してみるのが良いんじゃないかと。
(どうやっても情報のみで、物理的に画面の向こうに手は貸せないし)

少しでも、心持ちが軽く、楽になる時間があるといいな。

因みに、もう知ってるかも知れんが、食事の時は最初に食物繊維(根野菜以外の野菜等)を食べると、糖分の吸収が抑えられるらしいぞ。
・・・小瓶を見る
烏羽
何だろうな、文面から察するに、小瓶主さんが受けたのは真っ当な全否定というよりも、感情的な罵倒にしか見えない。

感情を抜きにして見て、反論の意味も、屁理屈の意味も、サイコパスの意味も、何にも中身を感じられない。
意味を理解して使われた言葉ではないのだろうな。(という根本からの否定的なヤジ)

まあ、多感な時期というか、そういった言葉の意味や、自分の意識を言葉に表して伝える能力が育っていく環境としても学校はある訳だから、未熟といえば未熟だったのだろう人に囲まれて、まともな意見の言い合いや、意思疎通が出来なかった、と推測はできるな。
(先生といえど、結局は子供から地続きの人間でしかないので、大人だからといって全て成熟する訳でもないしな)

その中でも小瓶主さんは、思考の、体型としての基礎が出来ていたのかもしれん。

少なくとも、世界の幸せを考えているのに、その場に居る人々の幸せは考えられなかった事が虚しいものだな。
(集団生活、人間関係を避けて通れない社会の基本というか、人権が大事なら、思いやりのあるコミュニケーションがいかに大事な事であるのか、そこになぜ要点を置かないのか俺は理解できない。災害やら住居や金銭面的な話以外だと、仕事を辞めていく原因や辛さの元なんて大抵が人間関係絡みだろうなのに)

そもそも、こういう漠然とした問いに対しては、まず「何が幸せなのか」という定義、前提が必要なので、意地悪な質問ではある。
(「教育」という観点上、選んだ方法なのかもしれないが、討論…というか、意見の出し合いで、定義がないと泥沼化するのは、理解がある人からすると目に見えていると思う)

状況をよく知らない上、他人事だからこそってのもあるのかもしれないが、俺はそんな感じの答えを出すかな。

そんな不愉快な過去よりも、幸せについて語ろうか。

お金に不自由しなければ、お金の意味がなくなる。
食後、腹が膨れた人間に食べ物を与えようとしても、それは幸せな事ではなく、単なる押し売りになってしまう。

家族がいてもいなくても、基本は人間関係だから、悪化すれば不幸、良い関係であれば幸せなんだろうとしか言えず。

差別のそのもの(言葉の意味の通り「差からなる区別」の意)は何の害もないのに、外れた先入観や偏見から差別し、攻撃的な行動や、やたらと排他的な行動から阻害したり、非難したり…、そういった行動を行う人間(以外の動物にもいるが)のせいで、他の人が困る。
これでは人間が変わらんので、行動としての、偏見などからなる差別や、能力としての差別がなくなれば(均一化)、今度は別の問題が起きそうな気もする訳で。

そもそも、自分自身の、己の幸せとは何なのか?
それを知るためには、自分自身の事を、成長とともに知っていかなければ解らないし、他の人の幸せとは何かと考えても、それは同様に一人一人の他の人そのものを知らなければ見えて来ない。

「もしも世界中の人が」などと、知らぬ存ぜぬのたられば話よりも、今実際にある現実の中で何が幸せか、などと、必要な事を求められる知恵、知識、人への思いやり、そして人との繋がりを含めた運こそ、幸せを形成できる要因ではないかと思う。

当然の如く、現実には様々な視点を持ち、それ故にそれぞれの解釈をし、そのために各々の主観を持つ。
そして、これまたそれぞれの環境、背景、生涯の中で、各々の主観から経験を感じ、一人一人、自身の価値観を作り続けていく訳だ。

だからこそ、一つの事柄において、他の者に完全に同じ経験などなく、多くの差や違いが生まれる。
ある種、一人一人は完全に孤立した、孤独な部分を持ち、同じ経験がなくとも、似たような経験があるからこそ、情報の共有が出来るという点も合わせ持つ。

自分では理解できないような視点を持つ人間がいる、というような事象については、これで多少理解が及ぶ事だろうか。

時代背景からくる事情もあったとは思うが、人が人として、それぞれとして尊重されるべき、的なものが人権に関わるものだったかと思うのだがな。

…すまんな、不愉快な話をぶり返して。俺もネチネチと角の立つ表現を繰り返すほどにはムカっ腹が立っていたんだろう。

正直、小瓶主さんの怒りは、こういう価値観からすると真っ当なものだと思う。俺は腹立だしいからな。
・・・小瓶を見る
烏羽
生きている意味…というか、読み返してみると、「生きている意味の出所が解った」って感じの内容だわな。

まとまりと脈絡のなさから、興味があって読んでくれた方は、途中で置いてきぼり食らってたようなもんかもしれんので申し訳ない。
(完全に小瓶をメモ扱いしている)

お返事への返事になります。
まず二通目の方へ。

あなたは、もしやあの時、山でそっとしておいた蛾の幼虫だったお方か!?(冗談)

いえいえ、とんでもない。
俺はただ好き勝手やらせて貰ってるだけなので、その感謝は心の中にしまっといてくだされ。

一通目のりぃふさんへ。

えい、どうも。

信じる事については俺自身の中で明確にはなってないから、まだまとまってないんだけども、その上で今言葉にしてみるのであれば…

なんだろな、「自分の主観でしかものを見れない」というのは俺の中で確かな事だし、「自分自身の主観」だからこそ、それを鵜呑みにする訳にはいかない。
そして、相手の言う事やら行動やらを、それもまた鵜呑みには出来ない。

それら全てを疑いつつも、現実とズレていないか確認しながらも、任せるというかね。
(主観に信頼を置くというか、自分が主観を作っていて、その瞬間、作った主観には頼るけれど、自分で修正できる事を忘れないというか。小瓶の文中だと、文脈やらまとまりやらがなかったりで解りにくいんだと思うけども)

で、「信じる」という事は俺にとって、「自分の主観への疑いを含めて受け入れる事」な訳だけど、そういう形を通じて、主観と離れた事実を受け止める事になる。

主観と離れた事実(客観的な事実)を受け止めるとすれば、どうしても、ある種の盲信を通過しなくちゃならん(主観では見れない為)ので、「自分とは切り離された事実」を拠り所にして、自分の主観が生まれているという事を理解するのが、俺の中で大事な事になったというか。
(カントさんについてはあんまり知らんのだけど、多分それと似たような、「主観を通した、ありのままの事物への認識」って認識だろうか)

理解できたら出来たで、信じる事で必ず通過するであろう、ある種の盲信が持つ強み(自分とは切り離されているので、良くも悪くもブレない主観を持つ事に繋がる≒人を信じる事の強さ)にも気付けたので 、そのメリットとデメリットを理解した上での信じる事(理解と覚悟)が、概念、体型としてじわじわ固まって来たというかね。そういう部分もある。

ともかく、その言葉を日めくりカレンダーみたいにするのはやめてくだされ…。
いやん、小っ恥ずかしい、もうこういう表現やめとこ。(冗談)

でも、なんとなく、どっかの宗教家さんやらが仰る、「マインド」的な話は解った気がする。
(あれはあれで年代というか、ある世代に特定の思想が流行ったからこそ、解いた方がいい思考があったんだろうから、故に俺には合わんのだけども)

まあ、「身体ではない」とは言ったけど、身体の一部だからね。俺も、この意識も。

信念や情、志を知る事、それらを生きて作り続ける事で、自分とは何か、どこにあるのかを理解する為の一助になる事などは知れたし、己の身を守る事への理解も、納得も、多少なりとも出来たかとは思う。

その時の感動はさっぱり忘れてしまったが、わしゃあ満足じゃよ…。

…とかなんとか思ってますが、こっからだろうねえ、俺が本当に、真剣に考えなきゃならんのは…。
・・・小瓶を見る
烏羽
(長文につき、お時間と気力のある際に読んで頂ければ幸いです)

個人的には、色んな方向性の意見があった方が良いんじゃないかなあと思ってる。
他の方が小瓶にしてるお返事を見て、あえてそれとは別の視点から返事を書いてみようって事もあるし。

なので、そういう話ではないかもしれんが、違って良いんじゃないかと俺は思う。

(仕方ないっちゃあ仕方ない余談だけど、少し他の人と似ていても、別の返事を書いたのに、似ているために小瓶主さん側から同じニュアンスで受け取られるという場合もあるし、そういったお返事が重なる事で「俺の返事は同調圧力みたいに感じてしまうんじゃないか」とか気にしちゃって、躊躇うこともある)

色んな意見があるとなれば、返事を受け取る小瓶主さんからすると、もしかしたら、様々だからこそ迷う事もあるかもしれないし、同じ考えや感覚をしてるんだと思う事も、ここは似てるけど違うなと感じる時もあるかもしれない。

言葉ってのは、感覚的に出てはくるけど、その感覚ってのは、言葉に完全に収まるほど決まりきった形をしてないものだから、誰かの意見に触れたり、時にはお互いに触れ合ったりして、細かく、明確になっていく側面があるんじゃないかと思う。

そういう観点から書くと、自分の状態というのか、立ち位置というのか、「何にどう思ってるのか」などの事が解りやすくなっていくと思うし、それが小瓶主さんや、お返事を書く方々にとって、なんらかの良いきっかけに結びつけばなあと、思ったりする。
(それが必ず良いきっかけになるかどうかは解らんけども)

タイミング的にそうなった時は仕方ないんだけど、他の人と完全に逆の意見だと気付けた時は…そうだなあ、昔は「他の方とは逆の視点になってしまうのですが」的な断りを、予め書いたりしてたような気もする。

…今はふっきれたというか、なんにも気にしてないので、(この小瓶の)小瓶主さんの方のような気持ちが欠片でも知れて助かる。
俺がそういう真逆な意見を書いてて気にしてたらすまない。

また、そういう視点からの配慮って、自分がどう思うかもあるけど、他の人を知らないとなかなか出てくるもんじゃないと思う。
その中で、小瓶主さん(You)はご自身の自信のなさ等からくる繊細さの、その良い側面から、この視点に気付いたとなると、凄い事だと感じる。

小瓶主さんを否定したい訳ではないけれど、気が効く言葉は無理に求めるものでもないというか、なんと言えばいいか。
ご自身の感情や気配りに追いつく言葉の表現や遣い方、あるいは行動を掴めていないだけで、思いやりを持って気を回している事自体は出来ているんじゃないだろうか。

初心者でも長くいる人でも、表現力に違いはあれど、真心を発端にした行動の中身に違いはほぼないのではないかな。
なので、気が効く言葉は欲しければ後から付いてくるというか、そこまで重要でもない気がする。(「自分の気持ちを表す」とかだったら、言葉の表現がやや、大事になってくるとは思うけど)

ただ、文面から勝手推測するに、気を回しすぎているというか、「出来ていない」と思う事によって、少し過敏になっていて、「自分が間違っているんじゃないか」といったように、ご自身の根幹を揺らがせているのではないかと感じる。

出来ていない事…、ご自身の理想とする基準に満たない部分はあるのかもしれないが、「自分への自信や肯定は、あれば、自分自身を疑ったりしなくなる、というものではない」と思う。

(共感できたからこそ、過去にお返事を流せたのだろうし、それは自分が書きたかったから、流したかった行った筈。相手と自身の違いも線引きが出来ているし、ご自身の思いからなる小瓶も流しているし、これらこそ自己肯定のそのものではないかと個人的には思うんだけども)

というか、寧ろ、極端な話ではあるが、自信がつきまくって自己肯定感バリバリって事は、「誰の話も聞かず、自分自身の思ってる事しか信じてない」、という事ではないだろうか。

凄く厄介というか、少なくとも俺は怖くて近付きたいとは思えないし、そういう方に共感が出来るのか?と疑問にも思うし…
俺の考えすぎかもしれん、その上、嫌味な表現になってしまうが、そういう人こそ、人目を気にせず「つまらない」と言えるんじゃなかろうかというか。

そう仮定すると、人目を気にして、自分の根幹まで揺らいじゃうとなると困るんだろうけど、かといって自信や肯定に満ち溢れて内側にこもってしまうのも困る訳でね。
そういう、各々が困ってしまう所のデッドラインというか、最低限の基準の中でのバランスは取れた方が良いんだろうかな。

まあ、正解というかなんというか、この、小瓶主さんの小瓶は、間違いなく小瓶主さん自身の小瓶な訳でね。
ご自身の気持ちとか、そういうものが言葉に乗った意見な訳で、お返事も同じようなものだと思ってる。

文中に書かれた「正解」というものが、もし、「返事を受け取る小瓶主さんに対して、何が最善であろうか」という意味での「正解」なら、それは、受け取る当人にしか解らんし、判断できんので、俺としては、とりあえず意見や気持ちを伝えようとしてみる、という事しか出来ないかな。
(何に対しての「正解」や、「間違い」なのか、というのが明確になれば、ある程度の対応はご自身で出来るかなと思う)

それを、上手くいくかは解らんが、その時の自分が思う事、気を付けたほうがいい伝え方とか、言葉の表現などを意識して書いて、伝えようとしてみるという。

俺だったら、という事しか書けないんだけども、自分の流した返事を読み返してみて、何か小瓶主さんが違った解釈をしたり、それによって不快な思いをさせてしまうんじゃないかと思った時は、補足として追加の返事を書いたりする事もある。

(また、どれだけ予測して捕捉が出来ようとも、予測は予測なので…。起きた後じゃ、どうやっても後からしかフォロー出来ないので、そういう場合も書いたりする。諦める事もある)

その場合、小瓶主さんや他のお返事を書いた方が見るかは解らんけど(タイミングとかで)、もしかしたら見るかもしれんしな。
しないよりは、というだけなのかもしれんが、そういう事も一つの手ではある。

結局、俺の場合では、という事しか書けないように、自分の気持ちは、誰にも正確に代弁できない。
(かといって自分自身ででも、己の気持ちを細かに言葉で捉える事や、正確に伝えるのが難しい事もあるのが難点ではある)

自分が経験した事に対して感じるものもそうで、だからこそ自分なりの、その時にあった対処やら解決策やらが出てくる訳でもある。

(人に語れるものではないが、それが間違っていた事もあったし、だからこそ変えた事やら反省する事もあった。今も出来ていない事はあるし、この方法が間違いなんじゃないかとか、まだ抜けや、困る事に繋がる恐れはあるんじゃないかと、不安だし怖いものだよ。そういうものだと思ってる)

もちろん、簡単ではないとは思うけれど、そういった方法が解らない場合は、誰かから、見様見真似でも学べばいいと思うし、学べたなら、自分の状況にあったように、自分のやり方に馴染ませて行けばいいんじゃないかな。

(己の感情を上手く表せなかったりで、言葉に詰まって返事出来ない事もあるかもしれんが、宛メでお返事やら、小瓶流すなりで聞いても良い訳だし)

自分を責めて、苦しくなってしまうのは、あなたにとって困るだろうけれど、自分と比べて誰かの良い点を理解できるのは凄い事だと思う。

長々とまとまりもない文で読みづらかったかもしれんが、それはそれとして。もし読んでくれたならありがとうな。

ぶっちゃけ、何で返事を書いたのかって、俺の書いた知識が参考になるかはどうでもよくて、多少なりとも小瓶主さんの気が紛れればいいと思ってるだけなのかもしれん。
・・・小瓶を見る
烏羽
(長文につき、お時間と気力のある際に読んで頂ければ幸いです)

人間、誰しも、通り過ぎ去った軌跡を見れば過去。
過去に何かを感じているのは、過ぎ去った通り道を抜け、変化した自分だからこそ。

振り返ったその過去を、「もっと上手く出来たんじゃないか」と思うのは、過去を抜けた今の自分だからこそ出来ている事ではないのだろうかと思う。

少なくとも、出来なかった過去は、今現在の自分から見て当然になってしまうのだから、言い訳ではないと思うよ。
(強いて言うのであれば、「言い訳」ではなく、今現在に対する、「もっと出来るんじゃないか」という裏返しの気持ち…、期待や悔しさなどではないかと感じる)

生きていれば波はある。上手く行く時も、運悪く、どうやっても上手く行かない時だってある。
心身のバランスが取れない中ででも、その一瞬一瞬で、自分なりにできる限り、精一杯の動きをしていた。だから小瓶主さんはそこにいるんじゃなかろうか。
燃え尽き症候群のようになるまで、頑張ったんだろう。

(精神はあくまでも身体の一部なので、自律神経の失調から頑張るその気力が湧かない事はある。心身ともに過度のストレスがかかって、緊張状態が過剰に続いたり…、ちゃんと飯食ったり、太陽の光を多少なくとも浴びたり、ある程度のリズムで寝起きしないと、神経系のバランスが実際に乱れ、崩れるんよ。そのバランスを取る機構もあるんだけど、そのキャパシティというか、限度を越えちゃうと、いわゆる「やる気ではどうにもならない」身体の不調として現れるらしい)

何を小瓶主さんご自身の中で、「逃げた」としているのかは解らんが、防衛本能はストレス過剰な状態が続くと、対応として全ての行動を止めようとする事もあるらしいからな。(無気力)
大方、ご自身を守るために選択したのが、逃げであったのではないかと思うし、それこそ、その時点で取れる精一杯であったのではないかと思う。

人間誰しもが、皆それぞれの生を生きている。
皆生まれも、背景も、環境も、学びも、学ぶための思考も、心の機微も、何もかもが違い、そして、人間だという点において結びつき、似通う。

不快に感じられたらすまないが、「みんな乗り越えている」かとは、俺は思わないな。
みんな違うだろう。感じる事も、出会ったものも、経験から学ぶものも、そこから選択する行動も。
出会わず、乗り越えないものも。出会い、乗り越えるものも、乗り越えられないものも、往々にいる。
…そういう考えだから、小瓶主さんが乗り越えられなかったという条件を、誰かと等しく比べる事が出来るとは、俺には思えない。

そして、何を基準とするのか…、何を高いとし、何を低いとするのか。そういった価値観や、物事に対する解釈、考え方も違ってくる。
だから、様々な一つのものを、それぞれが、多面的な尺度で見ている。一人一人、目の当たりにするものが違い、乗り越えるものが変わってくる。俺はそう解釈している。

余談だが、よくよく世間を見れば、精神的に未熟なまま大人になった人間が、権力や立場につけ上がり、ただただ赤子のように怒鳴り散らしている事もある。
子供が人のために怒りを退け、理性で人を諭す様も見る。

誰だって、知らない事は知らないだろう?
そして、知らない高みを基準とすれば、幾らでも低くなるし、知らない低さを基準とすれば、幾らでも高くなる。
だからその認識、視点からすれば、皆未熟で、中途半端のなか、程度の大小があるだけ、という解釈もできる。
(知れば知るほど解らない事は増えるものだしな)

その上、学ぶ知識や歴史とは、日々人間の文明と共に、変化し続けている。
昔の人々にとって当然だった知識も、新たな事柄の発見により、更新しなければ間違っている事は多々ある。そして、新しい知識も基本はそうだ。
教科書で言えば、新たな発見や、そこからなる間違いの認識から、訂正される歴史の内容など五万とある訳でな。

所詮、社会人としての常識など、その場に居合わせた人間集団が作るグループ内の常識でしかない。(というのも、俺の中の常識的な認識でしかないが)

共有している言葉などの知識や、文明的な側面からして、そのグループ毎にコロコロと変わるものだ。
大したものだとは感じない。

歳による認識もそうで、その時代になにが流行ったか、地球規模などの何を経験したか、そういった共通の認識が役に立ち、共有できる経験はあれど、その世代の全てが同じ感覚で、同じ経験をした訳ではない。
(流行りに乗らなかった人は、その話題を知らないし、海外へ行ってた人は自国の特定時期の話など解らない)

だから、あなたが悪いだとか、そう言った否定のつもりは一切ないが、「不特定多数がある一定の時期の中、持つ事が当然な行動や、価値観がある」という感覚は、俺にはさっぱり解らない。
(歳でどうこう、というのが解らん)

俺もこの歳、25だったか、十数年程引きこもって、ニートになって、親に申し訳ない思いはあるが、別にその状態で生きている事そのものが悪い訳でもあるまい。
(生きる事そのものに良し悪しがあるんじゃなく、生きている中で良し悪しが生まれ、それを抱えて生きている)

強いていうのであれば、一人一人それぞれの背景があって、様々に違うのに、誰ぞわからん中身の「世間」を基準にする程、怖いものはないと思うぞ。

(基準の高低の話で触れたように、基準は幾らでも高く、そして低くできてしまう。そのため「〇〇は常識」という己の理想的基準から、目の前に起こっている状況を小さく感じ、「出来ている事はあるのに、基準に満たないものとして無視しやすくなったり」する。そこが関連して、自己嫌悪の悪循環の一要因となる事もある。小瓶主さんにもし心当たりがあるなら、ご自身を責めすぎないほうが良いかもな。もしくは、「常識」という言葉を「誰かの理想」と変えて考えた方が良いかもしれん)

学びのペースが個人差として遅かったり、知らなくて困る事はあるだろうが、解らなければ聞けばいいだけだ。
解っていなければ真に罰せられる事など、法と人に対する思いやりぐらいしかあるまい。

人間なんて幾つ歳をとっても、学ぼうと思えば学ぶ事だらけだし、忘れることも多い。学ぶ事そのものに、遅いも何もない。

大事なのは、今の小瓶主さんが、ご自身の状況をどう解釈していて、それに対して何をしたいのか、という志しの話ではないかと思う。

失敗から何かを学びたいのなら、その時々の自分にとって「失敗」とは何なのかを理解しておかなければ、少なくとも何を改善したいのかが見えてはこないだろう?

例にあげてみれば、失敗を「中途半端だと思った」のなら、そしてあなたがやってみたいと気が向いたのなら、今度は何かしたいことがあれば、長く続けてみようとすればいい。
十数年もあれば、俺のような足りない頭でも、この世の全てのものことが中途半端だという事には気付けたからな。

物事を始めるのに遅いも早いもないというか、そもそも、いくら経験があろうと、経験から何を学ぶのかは人それぞれだし、どんな基準を価値観として作ったり、持っているのかも人それぞれだ。

(例に挙げるのであれば、「何が遅いか早いか」を、「失敗」と似たように、なんらかの基準から、自分で価値観として作っているという。また、そこに良いも悪いもないので、小瓶主さんを責める意味もつもりもない。今の己の価値観が、自分に合わなければ変えられるしな)

だから、俺も思った事はあるが、「同年代の人間に追いつきたい」という目標があるのなら、まずその中身として、己が同年代の人間にどんなイメージをしているのか知る必要がある。
(やってみたければ)目標を定める必要がある訳だ。

はっきり言うと、自分の状況や条件にあった、思考に対する向き合い方であり、今の自分が必要とする能力、(就職とかのために求めているのであれば)資格、知識などになる。
…実の所、「自分がどうしたいのか」であって、「他人へのイメージ」はあまり関係がないと思う。(俺にはなかった)

で、意思の強弱に関してだが、これは人それぞれなのでなんとも言えん。
…ただ、俺個人の場合、意思が弱く、その意思を強くしたいがために厳しく叩けば、当然、弱い意思の芽が叩き潰れた事は言っておこう。最悪、自殺願望に繋がる。

俺のように、自傷も自殺未遂もした、鬱の初期症状診断食らった心(今は平気になった)に対してどれだけの休息が必要なのかはさっぱり解らなかったが、休憩も大事だ。

(何より休みや、栄養がないと、筋肉と似たようなもので、精神はすり減っていくばかりになる。だから、休息と栄養、心を整理する時間や、行動が必要になる。原因があるなら、どう対応できるのか、どうしたいのかと考えたり。あとはストレスへの対処や解消になるが、何で解消されやすいかは個人差があるので、自分が楽しめた事をするのが良い。俺の場合ならゲームとか、漫画なり小説なりの読書やら、動画やら音楽聴くやら体動かすやら歌うやら色々。いわゆる、趣味に近い部分)

頑張らなくてもええやろ。
頑張りたくない時に、無理やり頑張ろうとしたって、効率も落ちるわ気力もだだ下がりだわ、いい事ないしな。
まあ、やり方は何でもいいが、とにかく、自分の体調や気力と相談しながら、できる範囲で手を伸ばせる行動をするしかない。
(何度も書くが、精神も身体の一部なので、不調があれば出来ない時はできない)

状況もよく知らん身としては、参考になれるかも解らんが、ご自身がどうしたいのか、どういった変化や、改善を求めるのか、そこが具体的にならなければ、どう頑張ればいいのかも見えてこないだろうなので…
少しでも気が向いたら、気力のある内に、マイペースに、ゆっくりとでも考えてみて良いかと思う。

ご自身の、どこが嫌で、それを「どう変えていきたいのか」という所。
言いかえれば、「どういう人間に成長したいのか」という所をね。

そこが解れば、頑張りとはなにか…、どうする事が、今求める向上に、少しでも繋がる可能性のある行動なのか、見えてくるんじゃないかと思うよ。
・・・小瓶を見る
烏羽
大体の事について言えるが、一つずつ、達成したい目標は少ない数に絞って、やっていく方がこなしやすいし、身にも付きやすいかと思う。

人間が変わる、変えたいって事は、要は、今の自分にとって、「当然の状態」、当たり前を変えたい訳だから、時間は掛かる。

思考回路の話であれば、変化してから定着するまで、人それぞれの違いはあるが、最低でも三ヶ月くらいは、長い目で見積もるといいかも。

思考も物理的な神経系やらの都合なので、食べるなり動くなり考えるなり寝るなり、生命活動がなければ変わってはいかないし、その変化は目に見えないので気付きにくい。
だからこそ、焦りやすくもなるかと思うので、余裕を持てる状況であれば、気が向いた時にやる程度なゆったりペースをお勧めする。

(…すぐに変化を求めているのであれば、神経や体力は使うが、常日頃、考え続けよう、行動しようとするのも良いかもしれない。ただし、相応に、自分と向き合う覚悟がいる)

また、思考は行動の基礎となる部分でもあるので、行動は変わらずとも、過去と同じような、変化したい場面に遭遇したと考えた時、「どうしたいか」が決まっていたり、「どうしたいか考える余地」が存在すれば、既に内面からの変化は始まっているのだと思う。

(上手くいかず、イライラしたり、焦ったりしている時には、「追われている」というか、義務感が生まれると思う。
それも良いとは思うが、もとより「自分自身がしたい」と思ったからこその、追い求める動機だろうなので、切迫しているからこそ初心に帰る必要があるというか…、心の余裕は大事よ。自分自身が求めて、義務感に追われる状況を作り出したいと思えるのも、「そうしたい」と思い、受け止める余裕があってこそだろうし、自分に合った塩梅を大事にして欲しいかな)

同じ場面と、人間はよく捉えがちになるし、そうして落ち込む経験も俺自身あるが、よくよく考えてみると、全く同じ場面なんて二度とやっては来ない。

過去の自分がいたと、そう認識できている分だけでも、人間は一歩ずつ変化しているんだと思うよ。
(じゃなきゃイライラなんてしないし、俺の場合は落ち込みを繰り返すだけだろうし)

方向性がまだ見定まってないと気付けたのなら、どうしたいのか、考えてみるのも大事だろうかな。
そして、それを行動に移して、試してみるのも込みでね。

お節介だとは思うが、強いて言うのであれば、「イライラして食に逃げた」と、そう思った状況に対して、小瓶主さんが「どうしたいのか」という点が大事なんじゃないかね。

あくまでも自己啓発本は、知識や方法論、認識を啓発するものであって、変化のきっかけにはなっても、どうしたいのかは決めてくれない。
主体は読んだ人自身のものなのだから、変化したいという意思は小瓶主さんご自身にある筈。

そこがまだ明確ではないのなら、どんな状況の時に、どう変わりたいのか、どう行動したいのか。そこら辺を深掘りしてくのが良いんじゃないかと思う。
(それが、自分と向き合ったり、自分を知るって事でもあるだろうし。少なくとも、自分と向き合い、自分を知らなければ、小瓶主さんが変化したいという考えに至らなかったのだろうしな)
・・・小瓶を見る
烏羽
(例の如く好き勝手書いた、かなりの長乱文なので、お時間と余裕のある際に読んで頂ければ幸いです。大体は余談なので、興味がなかったり読み疲れてきたらすっ飛ばして構いません。なんだったらラップのリズム調で読んでみて下さい。暇は潰せます)

うーむ…。
少し込み入るが、人間の闇の話をしよう。(余談)

実はな、怒りや不快感に任せた衝動的な悪口や暴言というのは、心理学的に、人間の身体が戦いに明け暮れていた古い時代を思い出すのか解らんが、悪い意味で癖になりやすい側面があったりするそうな。(快感に近いものを脳が感じているとか何とか)

(己の状況に根ざした劣等感などから、心を、悪口で支えようとする場合、悪口暴言がストレスの発散にはなっても、心の支えとはならないので、解決にならない所か、自ら更に悪口の源となるストレス源を価値観として作り、現実にも作るリスクを抱える。
そのため、変わらない頭の中の価値観に対して、悪口を言い続けたり、更なるストレスを増やし続ける悪循環に陥りやすい。
悪口などは、「外が変化する事を待つ行動」である以上、自身の思考の一部を固定する。そして、悪口のために作ってしまった価値観へと、執着すればするほど、半永久的に解決しないストレスとなる。筋肉も思考も、基本的に使えば使うほど最適化されるので…、最終的には、取り返しがつかないとでも言えるほどになる。
…一応、そういった危険に気付けば何とかなるが、取り返しがつかなくなると、非常に、認めにくくなる。虚言癖もこの形式に近いと思う)

だから、「なんやかんやあって余裕がなく、悪口に頼った状態」もしくは、「悪口を言って当然の相手という価値観」などとなっていれば、そのハードルが下がって、「悪口暴言が当たり前のような自身」という構図が起こり得る。
(人間の機能としては正常であるが、倫理観や社会的に困る。俺自身がその悪口当然状態を軽く体感した感覚からして、まともだったとは思えない)

あれば良いってもんじゃないが、悪口に背景が乗っていないというか、勢いのままで、地に足のついた筋道、道理がない、というかね。
(また、「冗談」という解釈にもよるが、冗談で悪口を使う場合も起こり得るのが怖いところ)

だから、嘆かわしい事に自身の余裕がどうと関係なく、単純にヤジや中傷を飛ばしたいだけとか、相手を貶めたいが為に使っている人もいる。
(これらは、宛メではあんま見ない気がするが、見てる限りのネット内だと誹謗中傷の類として、名誉毀損やら侮辱罪やらで訴えられてたりするのをチラホラ目にする)

このご時世、ストレスが溜まりやすいかと思われるので、悪口を言う人と言わない人、という差が出やすくなるかと杞憂し、二極化しそうだな、とか思ったり思わなかったり。(知らんけど)

まあ、ともかく、現在的に(過去になんかあったのかもしれんが)余裕があるなし関わらず悪口暴言を言う人もいるにはいるようなので、注意喚起しとくぜ。
(俺自身もそうならぬよう気をつけにゃならん)

また別の話、悪口を言う人の周囲にいる人は、作業効率が落ちるという研究結果もあるそうな。

本当かどうかは解らんが、他、人間の原始的な、本能を司ってる部位の脳が主語を理解出来てないとかなんとかで…、小難しい話になるが、要は、「何か物事があった時に、自分に当てはめて考えてみる事が基本」だと思うんで、「自分に悪口を言われている」という状況が頭の中に、仮想的に発生するのかもしれんな。
(過去の情景やら新規やら)

そういう観点からして。
悪口を言ってる場面に遭遇すると、余裕がなくなるってのはそういう所などから来てるのかもしれん、というのと。
だからこそ、自身の心の距離を保とうとして「悪口を言う人は余裕がない」と考える場合、裏を返すと悪口暴言を言いまくる人に対し、情を持つなりで引っ掛かかりを覚え、さらに余裕を失いやすくなる可能性があるのは注意したい。

(話は逸れる上、事細かには端折るが、悪口があるかどうかに関わらず、正義感や優しさの強さが、宛メでのお返事に直結する方もいらっしゃるかと思うので…、実はそれも状況で似たようになる部類であって、己が身を削るほど「余裕がなくなっている≒どこかの効率が落ちている」事は言っておきたい)

また、「そんなこと言う奴は余裕がないんだ(嫌味)」と考えてしまう時は、自分自身に余裕がなくなっている兆しかもしれん。

…あんまり言いたくないが、ブラック企業とか、人間的な問題の話、そういうのを含め、理解した上で心理的な事を利用しようとする狡い…、いわゆる冗談でもなんでもないサイコパスな奴はいるんで、「この人には余裕がないんだな」という感覚や思いやりに漬け込んでくる上司、とかの状況もある。

(端的に言うと、普段は罵詈雑言なのに、ふと優しい一面を見せ、その流れを繰り返すような奴。人からの慈悲と、「上から、という心理的な立場」を利用している。自覚して自戒できる人は関係ない)

なので、基本的には、よっぽどその人との関係性が大事とかじゃない限り、自分の身を守る為にも関わらん方がええのや…。
宛メにいい人というか、良識的で自己犠牲感のあるように思われる方々はチラホラ見受けられるから、少し心配ではある。

(「大事な関係だったら、相手だって暴言吐いた後にフォロー入れてくる…」という事も、心理的知識があって尚、そこまでやる奴なら織り込んでくるだろうなので、「見極める」事のリスク考慮を含め、距離を取るのが堅実な気がしている)

重大だと感じ、いざ踏み込もうとすると、必ずエネルギーというのか、気力というのか、神経使うからね。
(長文書きまくる俺が言えた事でもないとは思うが)

その上、悪口に触れる事で、少なからず心身は戦闘態勢の準備段階みたいになるし…、そのせいで、また些細な事を自分の事として考えやすくなったりする。(防衛本能的に…、いわば、地雷が増えやすくなる)
…で、怒りやすくなったりする。んで、怒ったら怒ったで、戦闘態勢になるから、自分を守る為に攻撃…、悪口で口撃する、などの無限ループになる。(The不毛)

ここが問題を大きくしやすいというか、そういったデメリットを理解した方が、言葉の扱いそのものに意識が向きやすい、とは思う。
(自分自身について自覚しておくだけでも、多少なりとも取れる行動の違いや、回数による差は出るし)

あと、正義感に駆られて、自分の頭の中の「悪」を誰かに投影してしまった時、罵詈雑言を言いやすくなる、というのもあるので、俺も気をつけたい。

己の行動を変えるか変えないか、がそもそも人それぞれの決断や、その決断も自分の意思や他の人やらによるきっかけから得た流れなどでしかないので…、変わりたければ人は変わろうとするし、変わりたくとも変わるときゃ変わる。
他、修正力というか…、誠意というか、真心さえあれば意思や知識なくとも自然と沿うように変わっていくもんなんだろう。(脱線に次ぐ脱線)

理性というか、自制というか、宛メで人間関係を深く考えてから、活かし切れてはいないのだろうけど、それらをずいぶん学んだ気はするな。

そういう点から見ると、人によってこの場所は、人間関係の学び場になるのかもしれん、と思ったりする。
それも時や、文化や、人の流れの運絡みではあるのだろうけども。

「言葉を丁寧に扱う」という視点も、文字だらけの本に触れられた事や、何よりこの場所あってのお陰なのやもしれん。
そして、ユーザーとして、宛メに対して考える方々のお陰でもあるんだろうな。

『↓こっから本題』

…というクッソ長いどうでもいい余談はさておき、個人的に、感情そのままに出てきた言葉を小瓶に込めた事を、受け手自身が「受け手側の事を考えて書いて欲しい」的なのは違和感を覚えるな。

なんというか、表現が拙いので不快に思う方もいらっしゃるかもしれんが、お客自身が「お客様は神様だ」と言うのとか、働かせたいが為に「若い時の苦労は買ってでもしろ」という言葉を使うアレとかに似た感覚を覚える。
(だからといって、それ以上特に思う事がある訳でもないが)

ただ、それとは別に、感情は瞬間的なものなので(怒りは6秒だったか?10秒だったか、それぐらいしか持続しないらしい)少し冷静になってから言葉にしようとしてみると「態々この悪口を使わなくても、伝えたい事は伝わるんじゃないか?」という点に、発信者が気付く事もあったりする。

受け手としては、俺が小瓶を読んで、最近でも読んだ自分がムッとする事、感情的になる事はあるが…
そこはあくまで「登場人物の背景などを、自分が悪口を言われていると想定してから、状況を想像している」という点から来るという自覚がある事と、「正義感」とはあまり頼りにならないものだという認識からある程度、自制は効いていると思う。

(正義感うんぬん…というより…、まだよく解ってなくて、受け売りでしか言葉にできんが、自分や他人を守るためには、己を良しとする事で時に危うくもなる正義感より、利己的でない、心の内から出てきた信念や情、志の方が大事、みたいな認識?)

あとは、悪口を言われたりした時、自身の地雷が増えるというか…、俺の場合、戦闘態勢になって相手からの悪口という攻撃に敏感になる事と、それに対してやり返そうとする癖とか、その辺への…、自分周りへの理解、及び対処とかかね。
(自分自身、悪口を言う時は言うし、対処法は探し続けてる途中だけども)

小瓶主さん方々の事情背景や、(使っていたのであれば)悪口が出る程の余裕のなさを思慮した上で、自分を受け手として認識すると、「俺が出向いて小瓶を拾った」訳だから、それ以上求めるものはなく、その時返事が思い付かないか、する気がないか、見てるだけか、色々はあるが、機が合わなければブラウザバックしてる。

「小瓶を拾った後」は超(スーパー)個人的な部分になるのよね。

だけども、小瓶の内容…、もっと言えば、言葉から、自分が感じた事に対してムッと来て…。そこも解らんでもない。
(俺のこの返事で言えば、「誰かが長文を読むのに費やした気力と時間は帰ってこない」。…無論、そういった言葉も、個人的な解釈の範囲であって、それを俺の口から…というか手で書く事ではないのだが)

発信者の小瓶主さんは、「読み手が人それぞれいる訳で、誰が読むかも解らないからこそ」…、その状況をそれぞれ解釈して、「それぞれに」今の自分が思う読みやすさで書いたり、知られなくてもいいという思いなどから、書いたり書かなかったりする。
誰かに見られるとか、見せようとか、そういう視点にはならなかったり…、各々の尺度から書く訳でもある。

確かに、「書かれたものを見て、感じる」という、そこはどうしようもないが、それは受け手そのものにも「人それぞれの解釈」という要素があるからこそ。(誰が悪いとかではなく)

感じた事柄は自分のものなので、その対処をどうするのかって話ならできる。

俺の場合は、個人の中で収まる範囲なら、言葉の解釈、視点を変えてみたり、そうする為に、自分がどんな解釈や視点を持って見ているのか認識しようとするかなあ。

俺自身が、「〇〇が嫌い」って言葉に引っ掛かりを覚えて、否定的な反応をするなら、俺の過去にそれだけの背景があったってだけの事だし、冷静になってみれば他人とは関係ないからね。
強いて言うなら、そういう自覚から、「自分自身の解釈を変えられる」と自認する事も大事かもしれん。

また、りぃふさんも過去に似たような事を書かれていたと思うのだけど、引っ掛かりを覚えやすいのは、抽象的な言葉(受け手に判断が任されやすい言葉)だったり、(説明が端折られているのであろう)共有できる情報がなければ伝わりにくい、前後の脈絡が抜けた言葉だったりする。
(俺も文章なり、読む時なり、気を付けてはいるが、人間の仕組み上どうやっても起こるので、現時点で気を付けられる事をその都度気を付けるしかない)

勿論、強く引っ掛かりを覚える事もあるだろうけど、裏を返せばそれだけ己の思いが強いって事でもある。
モヤっとしたら運動なりゲームなり動画見るなり寝るなりで、発散できる分はする。(出来ない時は出来ないので、そういうもん)

個人で収まらない所というか、人と関わる範囲になると、人間関係で何に気を配るのか…、思いやりを持って、そこからどうするのか、って話になってくるよな。

発信者も受け手も、お互いがお互いの立場と、自分の立場の双方から見えるものを、理解した上、自他の区別をはっきりさせた上で、思いやりが通えば、理想なのかもしれんがね。

…なんで一々聞かれてもないアドバイス書いてんのかって、自分でもよく解らんが、慣れか甘えか、宛メを悪口や悪意の巣窟にはしたくないんだろう、多分。
(にしてもここまで、まとまりのない長文を書くのに8時間かけたのはやりすぎである。誰か文才をくれ)

宛メに対して環境的にデータ的にも、金銭的な支援も今んところ出来そうにないけど、俺も宛メという場所、そして一人一人のユーザーが長く、そして少しでも、こういう場所だからこそ、気張り過ぎず、真心の通う事があればと思う。

見なくなった人も、生きてるか死んでるかはさておき、まあ、そこそこでも元気にしてりゃあ嬉しいな。(気にはなるけどドライ)

ちなみにコーヒーや酒より、暖まるのはココアらしいんで、寒い時にはオススメだぞ。

(もしもここまでぶっ通しで読んだ方がいるのなら、ちゃんと目を休ませてな…)
・・・小瓶を見る
烏羽
すまんが、死ぬ方法は教えられん。
俺も何度か死のうとはしたが、失敗したし、顔も素性も知らんとは言え、小瓶主さんに死んで欲しいとは思わんからなあ。

なんでそんな辛い目にあってる人間が死ななきゃならん。
悪いのはやたら滅多に小瓶主さんを否定したり、陰口悪口をいう奴らじゃないんか?

詳しい事情は解らんし、状況の程度も解らん。
言いたくないなら言わんで良いが、その上での判断で書く返事になるから、誤解を承知で書くが、はっきり言って、そんなくだらん奴らのせいで死ぬ必要はないと思う。

いくら否定されようと(それが親でも)不登校になってみてもいいと思うしな。

原因がいじめとかだったら犯罪の領域だし、そうでなくとも、精神的な暴力だって犯罪に片足突っ込んでるからな。

(不登校になったとしても、本心から親が心配してくれているなら、小瓶主さんに暴言はこうが、頭ごなしに否定しようが、少なくとも家には置いておくべ。
人の心がなかったり、怒りで我を忘れたりすると追い出されるかもしれんが、そん時は学校とか、警察頼るのも手よ。
まともな警察なら「仕事」として動けなくとも、対処法ぐらいは教えてくれるかもしれん。「警察相談専用電話」っちゅーのもあるから、現状の対処法を聞きたかったら調べてその番号にかけるのもええよ。検索ですぐ出るから)

別に不登校だからって人生に何がある訳でもないし、強いて言うなら、不登校になった所で陰口叩いたり否定してくる奴らも変わらんからな。
どうせそんな奴らは、こっちが何したって、別の悪い所を探して同じように吠えるだけの猿だ。
言ってしまえばそういう思考回路の…、頭の病気でな、関わるだけ無駄よ。(…という極端な考え方もあるぞ)

俺がその行動の責任を取る事はできないが、逃げても良いと思うし…、そもそも死にたくなるぐらい辛い思いして学校へ行く意味ってある?
そんな奴らのいる場所へ行きたい程の意味はある?

俺にはなかったよ。

小瓶主さんの人生、延いては命に関わるような事なので、できれば、スクールカウンセラーなり、信頼できる大人がいれば、その人に真っ先に話して欲しい事ではあるのだけど…、難しいからこそ小瓶として流れて来たのだろうか。

もちろん、無理矢理不登校になるとすれば、親が不登校を許せないとかだと、親とのいざこざも出てきはするだろう。

(俺はそうだったし、急に不登校になるもんだから、親もパニクって暴言を吐かれたりもしたが、生きる事はできたし、何年か経った今はそれなりに元気よ。その後の勉学や、生活、職などについては、相応の努力次第というか、保証できんけども)

でも、一先ず、小瓶主さんのことが心配だったので、己の身を守るためには、不登校もありだと伝えたい。

死ぬ選択を選ぼうとするのもそうだが、自分の身を守る方法を選ぶ意思を持つのは、小瓶主さんにしか出来ない事だ。

本当の意味で、心の芯に迫る意味で、決意を他の人に止める事は、誰にも出来ん。
誰に否定されようと、引き止められようと、心に響かなければ…、小瓶主さんが振り向かなければ、良い意味でも悪い意味でも、誰にも変えられない。

だから、これから、死ぬか生きるかは解らんが、そこだけは、捨てるなよ。

生きるも死ぬも、小瓶主さん自身が、これからどうしたいのか…、どの道、あなたの意思が必要だからな。
・・・小瓶を見る
烏羽
空想の母親はいないけど、空想のキャラクターとかは複数いたなあ。

俺も甘えたり、心の拠り所というか、お世話になったよ。
(今は居なくなったというか、感じなくなった。俺にはもう必要じゃなくなったんだろう)

会いたいかどうかは…、そういうもんというか、心の中で会えるから、そんなに気にした事はなかったな。

(外に具現化というのは幼い頃に諦めたし、妄想で事足りた)

こう書くと、見る人によればイカれてるんじゃないかと思われても仕方ないというか…、正直、不快に思う事はあるかも知れんが、誰に何思われてももうどうでも良くて。
(これが俺にとっての当たり前だったし、他の人に別の「当然」があるのも当たり前だしな。そこでどう思おうが、それこそ人それぞれだし。だから俺は書いてる訳よ)

今も会えるような気さえするし…、というか、実際そう思った瞬間、笑顔を見せてくれたしなあ。

元気にしているかどうか心配になる…というか、俺の体調と根本が直結してるようなもんだから、ある程度、俺自身が元気でいたいというか、今そう思ったよ。

…必要としなくなってから、殆ど存在を忘れかけてた事は内緒な。

彼らというのか、あれらは俺たちの心を支えたり、補助したりで守ってくれてる、一種の…、身体の防衛機能らしい。
(人と場合によっては多重人格の形成に使われる機能っぽい)

でも、心というか、身体の奥底で繋がってる、他人のような自分の一部だと思う。

姿がイメージの中で感じられようが、いつも側にいてくれてるんじゃないかね。(物理的に)

小瓶主さんの「おかあさん」は多分、そういう事も含めて、知ってると思う。

だから、「外に出て、会う事は出来ない」と言えなかったり、小瓶主さんに優しくするだろうかと勝手推測する。
(VRやら脳波関連の研究が進んで実用段階になったら、具現化の可能性はあるかもしれんが)

別に何もおかしいとは思わんが、本来的にはあなたを支えるための存在なので、小瓶主さんが依存しすぎて立ち上がれなくなるのは不本意な筈。

愛想尽かすような事は絶対的にないんだろうけど、そこん所は注意な。

…ちなみに、抱き枕はおすすめだぞ。(暗黒微笑)
・・・小瓶を見る
烏羽
十一通目の方へ

いやん、怖い!
キョドっちゃうぅ。
…へへ、ありがとうとは言いませんぜ。

べっ、別に見ず知らずのあんたの事なんか好きな訳ないんだからねっ!(本心)

どうでも良いかもしれませんが、この小瓶についての進捗「ダメです」。

何考えたのか事細かなとこは忘れました故…
というのもありますが、正直な所、自分の人生設計や、人生の指針から行動などにも片足を突っ込んだ思考なので、おいそれと定まり、見て取れるものでもないというのが本音ですな。

(思考の中に、意思がある…!取りに、行く!

おぼぼぼ、この思考…深い…ッ!)

結果的に保留ですわ。
(真面目に、この手のものは思考だけでなく、行動などの外部的な動きが伴わないと見えてこないし形作られない。その上、思考の「きっかけ」としての運も絡む)

まあ、どこぞの何方かが、もしこの小瓶を拾った時に、惑いに惑っている時は…
せめて、その惑う歩みこそが、この小瓶のように、人生の一部だという事に、今も自分自身の人生を惑いつつも歩いているんだと気付くきっかけになれれば良いなと、不肖ながら思ったりします、はい。

因みに、小瓶の悩みとは別件(芯は近いかも)ですが、人にアドバイスなどのお返事される方々(もしくは人助けしたいという方々)は、くれぐれも、決して、相手が自分に「感謝してくれる」事を誇りにしないよう。

…思考過程云々の基礎がガッタガタになるみたいで、端的に言えば、そこからなる行動は思いやりではなくなり、自他共に、人生を狂わせますから…。

利己的な私欲なく、思いやりのあるお返事を送り、情が行き交い、もし相手がわざわざ感謝の返事を送ってくれたなら…
通い合った事や、情のやりとり、そして感謝の言葉を出してくれた事に対して、己が感謝できる心を持っているという事。
その「己が感謝できる心」を誇るのが精神衛生上良いらしいですな。
(どっかの偉い方が言ってた)

それでは。
・・・小瓶を見る
烏羽
『そしてまた遅い返信がやってくる…』

人とあんまり交流ないからわりと新鮮なんで、こちらこそ絡んでくれてありがとな。

コロナは今んとこ大丈夫だね。変わらずそこそこ元気にやっとるよ。(家からほぼ出ない)

Twitterやってないから詳しいこと解らんけど、ベルさん(名前変更助かる。最初の返事で無意識にベルさん呼びしてたの気付かんかったわ)も随分思い切った事したなあ。
(何かしらの意図はあるだろうけど、それはそれとして、踏ん切りついてるのと、付けたいのが半々って感じだろうか?)

…俺もTwitterやってみるか?

それはそうと、身体動かすのは良いよな。
俺の身体は寝そべってた時間が長いこともあってか、上半身に骨の歪みばっかりあるから、柔軟とかで筋肉の凝りをほぐしつつ、適切なバランスにならないか期待してる所だわ。
(そして柔軟によって筋肉の凝りが減り、動きが広がるのを楽しんでいる)

しかし、ダンス踊れるとは凄いな。
幼少期に俺がダンス踊るとなんか変な目で見られた事もあって、踊らなくなったもんだ…。俺は所詮ストレッチマンとラジオ体操の男よ…。(つってもシャドーボクシングもどきと柔軟ばかりでそういうのは最近やってないが)

人の想いと一緒ってのは、意外と真理に近いとこまで行ってるかもな。(流れみたいなもんだし)

このご時世、マスクは必須みたいなもんだから、意外と気にならないかもしれんが、部屋の中とかも乾燥してるんで、その点はご注意をば。

白ネギとか、みかんとかでビタミンCの補給も、免疫を保つ為に大事だぞ〜。(知ってるかもしれんが、ビタミンC取り過ぎると体が排出しちゃうのでみかんは2、3個まで)

…ついでに、どうでも良いかも知れんが、なんとなく、加湿器のフィルターとかもちゃんと手入れやら交換やらしないと、最悪カビの胞子を吸う事になるから、そこらへんも注意な。

んじゃ、またいつの日か。
・・・小瓶を見る
烏羽
俺も少し違う事だが、悩んでるなあ。
(結構長くなったんで、余裕や時間のある時に読んで頂ければ幸いです)

まず、「命」も、「責任」も、「行動のきっかけに、誰が何処まで責任を負えるのか」という事も曖昧かつ相関的なものだし、極めて個人の主観的なもの、それぞれの解釈でしかないものだ。

人それぞれの心構え、価値観、解釈という言葉で片付いてしまう部分ではあるが、しかし、現実に起こりうる現象であって、人とのコミュニケーションで、人は傷付いたり、悩んだり、時に死にもする。

自分だけの命とは呼べないし、他人の命とも呼べない。
強いて言うなら、俺は命やこの肉体を「借り物」だと、認識しているよ。(延いては、言葉も、知識も、受け継いだり、何かの断片から借りて育ったものでしかない。それを使わせて貰ってる)

俺たち生き物は代謝している。
この地球にある物質を利用して、体を固め、体を動かしている。
今この時ですら、酸素や鉄分の特性、体内の細菌などに頼らざるを得ない。

その上、そういった肉体を、子孫として受け継いできた訳だ。

それを命や体の「押し付け」と捉えるのか、降ってきた「どうしようもないもの」と捉えるのか、もう少し人間味のある捉え方をするのかは、関係性や価値観、人それぞれだろうけれども。

そして死ねば土に帰る。借りたものは還る訳だ。

そういった情報を総合、統合すれば、人それぞれの解釈から、人それぞれの言葉遣いによる表現の違いはあるだろうが、「命の在りどころ」については、大体同じような答えとなるのやもしれんな。

まあ、正確に言えば、「あなたの命は、あなた自身を含む、関わったみんなのものである」とでもなるのだろうが、そこに責任を問うとなると、個々人の関係性にも重さは関わるだろうし、その各々の主観にも関わる。

どれくらいの重さとして責任を見るのか、一律に判断する事は非常に難しく思うよ。
(死を踏みとどまった、そのきっかけとなった人か、踏みとどまった本人か。どう解釈するかで重みも変わるし、「どちらが」という主体も変わる。…個人的には、「どちらも」だと思うが)

その上、いくら自分に全責任があるとして、自死を選ぼうが、生命体の反応、理性と本能の織りなす一機能として、周りの人は気にするからな。

そもそも、「人生」って呼ぶものが、様々な人やものと接し、織りなされた軌跡でしかない。
だから、その人生から命を見出すのであれば、当然、様々なものと関わりをなくして、この人生、肉体知識、経験などは成り立っていないともなる。

(この考えを、そう思わない事、そう解釈しない事は出来るし、「そう解釈してない人にとっては当然でない」というのも、そういった経験や知識などから価値観が成り立っていなければ自然な事)

もしもの仮定だが、「誰とも接しなければ」と思うにしても、何か食わなければ生きては行けないし、誰かがいなければ産まれていない。
人じゃなくとも、生き物でなくとも、誰か何かからエネルギーを「借りなければ」生命の存続はできん。

…まあ、そもそも「借りる」という言葉が、俺の解釈、主観である訳だが…、「利用する」という言葉よりも、人間味を感じると思って使っているのだが、どうだろうか。

とにかく、「借りている」で、あるからこそ、俺は感謝するのだと思っているよ。

本来的には、不慮の事故もそうだ、医療が発達したとはいえど、いつ死ぬかなど誰にも解らん。このご時世ではなくとも、いつでも死は隣にあるものだ。
俺たちが食べているお菓子や主食とする炭水化物などの中の糖分の吸収率に血管が耐え切れず、何時くも膜下出血が起こるかなど、予測はできても確率で出せても、可能性でしかない。

俺たちの体の中では今も細胞やら菌類やらが協力したり、外から来た都合の悪い雑菌やウイルスを追い出したり、殺し殺され、生かし生かされ、微妙なバランスが渦巻いてる。そのおかげでここに生きている訳だ。
(これぞ正しく、なかなかない、有難い事)

だから、この情報がどうだ、といって、他の思想を押し付けたりという意図はないが…、ただ純粋に、コミュニケーションが取りたかったというのか…、明確にしようとすると、なんと言えばいいのか解らんな、これ。
(なんか伝えたかったんだろう、多分)

はは、思想を押し付けたくなくとも、裏腹に、言葉として情報を押し付けてはいるから、コミュニケーションとは難しいものだよなあ。

最後に、小瓶主さんご自身で存じてはいるかも知れんが、子をなす意味や、継いだ先の意味について、それこそは、人それぞれの人生じゃないか?

生まれた意味と比べて、今生きている事と、生きていく意味が根本から違うように、生きている内ではないと形成されないというかね。
軌跡を振り返ったら見えて来るものなのかもしれんが、生きている中、意味が変化して続けている上では、中々見えても来ないものなのかもなあ。
(というか、人それぞれの時間の中で、決めたり、作ったり、見えてくるものなのかもしれんな。そういった先の、「進みたい場所」という意味は)

少なくとも、「生きる意味」というのか、「生きて進んでいる意味」とは、何か食べたい、眠い、ケツがかゆい、遊びたい…、そういった些細な事も含めての連続だと思う。

延いては、思考や思想も同じく、今の自分が何に対してどう思うのかの表出だと思ってるよ。

なので、小瓶主さんが本当に思ってんのかは解らんが、「コロナとかで未来に不安が募るし、全体的な職に対して不信感もあるし、人間に対する不安もあるし…、血を継ぐ意味ある?やってらんね、みんなで考えようぜ」的な事はなんとなく感じた。

…いや、間違いなく俺自身が思ってるだけなんだけども…
職場やら、人の集まる場こそ、人間関係って重要だと思うんだけど、働く時間とか負担とか諸々で職場改善されねえかなあ、とただのアラサーニートは思いました。

すまんな、世間を知らんから、自己責任論やらはよう解らんかってん。
あくまで俺の個人主観というのか、人間それでしか語れないと思うけれども、結局、誰かなにかの手を借りてしかここに存在してないんだから、全部自分に責任があるというのも変だし、かと言って、全部自分で選択できるのか、責任を負える事しか存在しないのか、というのも少し違うしなあ。
(誰かに頼りきりになるというのも、不確定な運を考慮せずに自分一人で全てやれた気になるのもなんか違う気がしている)

人生に依存と自立が両立してる時点で、極端な解釈や理論に無理がでる事は、生を振り返れば気付くよ。
(要素の一つ一つはシンプルなんだけど、それらが折り重なって、影響し合って物事は出来ているからこそ、複雑になる訳で)

まあ、自分の意思も大事だし、相手の意思も横並びで、同様に大事って事なんかなあ。

そうなると、「死なないで」という言葉が身体中をぐるぐる回ってせめぎ合う訳だが、はてさて。
良いも悪いも決める事はできんが、その場の勢いというのか、ふと湧いた熱というのか、そういうものなのかねえ。
・・・小瓶を見る
烏羽
(長文につき、お時間や気力のある際に読んで頂ければ幸いです。)

まあ、運というか、タイミングが悪い時もあるよな…

(念のため書くと、詮索はしないのでご安心…、出来るかは解らんわな、自己申告だし。
でもまあ、そもそも久し振りに宛メに帰ってきた身なので、俺の知らん事だし、この広大なネットで詮索するほど労力を掛けようとも思わん。
スレ…というのは小瓶の事かと思うが、それもないから安心してけろ)

俺も悩んでた事を小瓶に流した時期に、それに近い内容で悩んで小瓶出してた人がいて、よくよく読むと俺のがその人への回答みたいに受け取られかねなかった訳よ。
(更によくよく読むと細かな違いは解るのだけれども)

いやあ、内心ビクビクものだったし、その人(元気にしてると良いが)も宛名やめちゃってたりで、何処へ行くあてもない後悔ってあるもんだなあと。

小瓶主さんとはケースが違うのだろうけども、やるせねえよな。

人間って便利な頭を持ってるから、共通の認識を持ってれば言葉数少なくても伝わるものは伝わるんだけど、言葉だけで顔も声色もなく、タイムリーなフォローも効かない世界では、補足というのか、状況やら心情やらを、その時に出来るだけ丁寧に書くのって、こういう事を回避する為には重要なのかもしれんなと思ったよ。

例として、単に「強い」とするのも、共有できる知識のある知人だったり、話の文脈やリアルタイムなフォローがあれば伝わるけど…

その話が「どこがどんな風に強いのか」って話だったら、通じたとしても「ゴリラ、(握力が)強いよな」→「たしかに(腕っぷしが強いよな)」みたいな、すれ違いが生まれたりもするしな。

タイムリーじゃない分、そのすれ違いって状況によっては割と致命的というか、怖いなって。

まあ、人の悩みがそれぞれであるように、人それぞれ価値観や解釈は違う。
だからこそ、何に対して幸不幸を感じるかも違うし、辛さの重みや尺度も違う。
どこにも同じような物差しで測れるものなんてないし、自分の知らない事こそ、世の中当たり前に転がっているのにな。

ただ、自分の無知から人を馬鹿にする奴は自分の事をバカだと公言してるようなもんなので、距離を取る尺度としては助かるな(バカ発見方法)

「学校が辛い奴はよっぽどの隠キャ」?
誰がどの口が言うんだかな。俺も悪口を言ってみようか。

「そりゃあいい、じゃあお前は隠キャを学校に居難くさせる人格破綻者だな。人間失格おめでとう!」

…いや、すまん、悪口にしては言い過ぎだったかもしれんが、実際そういう奴らからは離れた方が心穏やかに過ごせるし、時間を有意義に使えるからな。

少なくとも、悪口や暴言を言ってスッキリしたとしてもだ、自分で言ってみて良い気にはなれない。
(悪口からここまで、書いてから推敲を含めて5分以上かかるこの労力も無駄に思える)

小瓶主さんも、それらしい人間をピックアップしつつ、出来るだけ関わらないよう、つるまないよう自衛よ、自衛。

普段から何かとつけて人をバカにする奴はマジで百害あって一利なしだぞ〜。離れて損はないぞー。

小瓶主さんに少しでも心穏やかな日々がありますように。

(…とかなんとか言ってるけど悪口書いた理論で俺もバカという事に気付けただろうか。人は変わるものよ…およよ…)
・・・小瓶を見る
烏羽
おっと、またいつの間にかお返事が来ていた。
お二方、お返事ありがとう。

七通目の方から返信させて頂きます。

そうだなあ、俺がどうして「影響」に関して考えるようになったかは、自分でも明確には解らん上でのものです。

仰るとおり、揺るがされたから、という事や、知らず知らずのうちに、を後悔した蓄積もあると思いますし…

ただ、原型としては、その蓄積以前に、多分、関わるもの事(生命問わず)が、例えば太陽や地球が、どうしてこうも影響を与えて、その恩恵を受けているのに、自分自身は何も返せないのだろう、と、思った時からあったのかなあと考えたりします。

俺の内情を考えてもらった機会をありがたいとは思いますが、少しでも明確に、自身への理解を深めようとしてみると、ずっと前からあった気持ちが表出したというか、形として見えてきた、と言う感じかな。

(割と長い間思ってた事に対して、どう表せばいいかの表現が見えてこず、それがこの小瓶で「おこがましい」と言う言葉として表出した訳でありやして、それに対する答えというか、対応や考え方というか、上手く見えてこなかった。ただ、お返事している中で少しずつ見えてくるものもあったので、そこは今も変化進行中)

ぶっちゃけると、俺自身の本当の気持ちはずっと解ってないですし、これからも確実には解らないと思います。
現在進行形で変わり続けている以上、軌跡を見る事しか、見る事でしか、朧げなもの以上には、今の形を判断できないものだと、勝手に思っとりますので。
(その都度、理解に近付く努力はする)

多分、漂流する寂しさや、その先の疑心暗鬼地獄やらも割と経験済みなので、そこんとこは大丈夫ですぜ。
(一人の時間を長く経験している身でもあるので、思考が一人遊びの種ともなったし、その分思考が自分を傷付けたり、崩していく側面がある事も知ってますぞ。ついでに言うと、考えるテーマをメモしておくとか、宛メのように思考を雑記として残し、読み返すとかが具体的な対処法となります)

とはいえ、それ故に必ず落とし穴や、綻びが出る事も解っているつもりではあります。
幾ら自分を保つ方法や、足元、足をつけていた地を見返す方法があろうとも、ダメな時はダメでしたからね。
(概念づけるメリット、デメリットもある)

自分自身が何者で、どこにいるという自覚を保つ方法も、ダメならそれはそれで立ち直る方法も、生きている以上増え続けていくのかもしれませんな。
(自分自身が変化し続ける故の永久機関)

それに、見失っているという事は、新しく自分に要素を組み込めるという事と、背中合わせでもあるかと。

…だからこそ綻びも生まれるという話ではありますがね。

正直、思考、思案の、その終わりを作ろうと思えば、作る事は出来ます。(自分の内の事なので)
でも、生きている以上、変化し続ける以上…、一生涯という観点から見れば、幾ら終わりを作ろうとも、そのどれもが通過点にしかならんのだと、感じてますんでね。

満足はもう、十分なくらいしてますよ。
もっと、もっとと、心満ち足りる事を求めなければ、存外あっさりと満ち足りますからね。

…なんて、賢者ぶるのも面白いもんですな。

賢者はいいや、俺は脳筋戦士の方が性に合ってるんだよーい。

…いやまてよ、知的な筋肉を目指すと言うのもなかなか…。

↑このように、欲を追えば追うほど、目当ては湧き出し、完全な満足というのは永遠に出来ないものでもありますが、それはそれで原動力となりうるのが、良い所でもございます。

とりあえず、ありがとう。
もし七通目さんに、なんかしらつまづく事があっても、何かしらのきっかけや気付きがあるとええな。

俺は少し見えてきた事もあるし、もうちょっとゆっくり考えるわ。
・・・小瓶を見る
烏羽
多分、古くから、誰もが通る道よ。(漏らした後の悟ったような顔)

宛メに限らず、なんか、動画のコメント欄で自己顕示欲バリバリの訳わからんコメントをしていたとか、どっかの掲示板で厨二病めいた、意味深に見せようとでもしたのか、支離滅裂な事を書いていたとか…、夢小説やなりきりチャットとか、個人サイトのキリ番とか…、忘れたい過去はあるものさ。
(ネットに限らずともあるし)

むしろ、そういう失敗をしておいた方が…、それを失敗だと思える情報や、経験値も込みで学んでいた方が、身にはなるのだろう…(自分の黒歴史ノートを読み漁りながら)

恥を知ると言うのは、新たな概念を覚えたという事であり、成長の一つなのだよ(震え声)

こうやって、話のネタにもなるしな。

書き込まれたものを微笑ましく見守る者もいれば、同族嫌悪に陥る者もいれば、共感して、もだえる者もおるじゃろうて…

まあ、あれだ。人間ってのは狂気の生き物なんだ。
だからこその味も、あるもんなんだよ。(わさびとからし入りラー油掛け卵かけご飯を食いながら)

でも、あの頃の方がエネルギーというのか、熱はあった気がするんだよな。何も知らぬが故というのか。

あの熱が戻る訳ではないだろうが、たまには、馬鹿になるのも悪くないもんじゃて…

俺のように一周以上回ると、恥ずかしさも感じなくなってしまうからな…、あんたの初々しさが懐かしいぜ…

何年か前の小瓶や返事を漁ってみても、自分が何言ってるかサッパリわかんねぇ(白目)

俺は失禁晒し続けるからよ…、止まるんじゃねえぞじゃねえ、…止まれ俺の右指。(スマホのフリック)
・・・小瓶を見る
烏羽
単なる一意見として、お返事を書いてみたいと思う。
(なかなかに長いので、お時間や気力のある際に読んで頂ければ幸いです)

小瓶主さんの仰る、そいつらの言ってる事はさっぱり解らんが、俺が考える上では一理ある言葉だと思う。
(こういうのを見たりするのが嫌だって事だったら本当にすまない。俺も詳しい事情はさっぱり解らん上での返事なので、不快だったらなんだこいつと思って読み飛ばしてくれ)

予め書くと、これから書くのは「自身のせいだ」という、責任を押し付けるような意味合いは全くないので、そこはあしからず。

説明のため、プロセス的に書くと、人のせいにするって事は、まず、自分の中で「人のせいだと思う」という事だ。

そうすると、どうしても受け身な捉え方になるというか、「相手が変化する事」に目が行きがちではなかろうか。

自分で何か出来るかもしれない、という部分よりも、相手側を注視する事になりがちだ。
そうすると、相手を非難したり、相手が悪いと考える事から、怒りや憎しみの感情に繋がりがちになると予想される。

そうすると、どうなるかと言えば、自分自身が動ける改善策や、解決の一手となる糸口よりも、相手を攻撃したり、身を守る事の方に意識が行きがちになり、「相手が変化する事を待つ姿勢」に、更に縛りつけられてしまう。
そうなると、自分自身から動けば変えられる可能性を見落としがちになるので、ここが困った事に繋がる、問題点なんじゃないかと思う。

小瓶主さんの憤りはもっともだと思うし、それを否定するつもりはないが、これから書く事は嫌味として受け取られる可能性もあるかと思う。
その時は申し訳ないが、誤解を承知で書かせて頂けるなら…

怒りや憎しみ、執着など、激しい感情のある内は、戦闘体制に入っているようなものだと思われる。

サザエさん一家の、野球をしているカツオのボールが、たまたま盆栽を破壊する方向へ飛んで行き、怒る波平をイメージしてみて欲しい。
(ご存じなければ、少年カツオと、頑固なオヤジ波平、のイメージで)

問答無用なのだ。事情がどうあれ、たまたまだろうがなんだろうが、不愉快な感情をただカツオにぶつける。
カツオの言い分が幾ら正しかろうと、全て言い訳として受け取り、更なる怒りを加速させる。

相手側を注視する事により、受け取る全ての情報を「攻撃されている可能性」として捉えがちになってしまう。

人間の思考特性として、あるんじゃないかと思ってるのが、「自分の見たいように、情報を捉えている」という事だ。
「受け取る情報をどう解釈するかという方向性を決めるフィルター」のようなものが付いていて、怒りなどの感情や、そこからなる戦闘体制によって、その能力が加速する訳ね。

発言力が大きかろうと小さかろうと、人は見るものを、見たいもの(…というと少し違うので、詳しく書くと、「現状の感情や思考の流れに適したもの」)として都合よく捉えがちだし、勝手に調子付いていく。

つまり、まとめると、「人のせいにする」という事を続ければ、受け身にもなりやすいし、受け取る情報の処理(行動の選択)能力も一方向に絞られやすくなってしまう。
よって、自分自身を、抜け出しづらい、狭まった可能性の檻に閉じ込めるという事に繋がりうる。

例えば、見てもいないのに「自分のせいだと認めてないから幸せが来ない、何もできない」などと言う人や毒親と称される人は、相手のせいにする事で自分の首を知らず知らずに締めているわけだ。

そして、「相手が変わる」というのは、相手自身の問題であって、自分自身が直接どうこうできる問題ではない。(きっかけや、可能性にはなれるので、線引きを誤解しやすくもある)

なので、場合によっては、「あいつが変わらないから」などと言った、「自分の手の出せる範囲でない」、どうにも出来ない苦しみを抱え続け、自分から動く事もあまり出来ず、堂々巡りになる訳でもある。
(喧嘩したあとお互いに謝り辛くなって、疎遠になっていくのはこういう感じ)

そう言った点から考えると、人のせいにしない…というか、「人の変化を期待する事に重きをおくより、自分が行動したり、変化できるという事を忘れない」のは大事な事だと思う。

…一応書いとくと、この「自分の行動や変化」ってのは、相手の顔色を伺うとか、ゴマ擦りとか、こっちが一方的に割を食うような事ではなくて、「相手から離れる」とか「それってあなたの感想ですよね、と切り分ける心を持つ」とか、そういう、自分を守るための行動を含めての事ね。

ぶっちゃけ、人のせいにしても問題はないと思う。
問題なのは、相手を攻撃する事で更なる諍いに繋がるとか、受け身になり過ぎて、自分の行動を狭める事じゃないかと思うんよ。
要は、人のせいにした後の、次の行動が問題を引き起こす訳で。(そこに対して対処すれば良いという)

ただ、注意したい点として、心の中で「あいつが悪い」と思い続けるとなると、「人は自分の都合の良いものを見る」と書いた通り、それって「自分の視界のフィルターを、相手を攻撃する方へ向ける」とか、「自分を固める、守りに入る、相手の出方を伺う」って事なんよね。

(相手の持つものが原因になっちゃうから、自分では変えようがない理不尽な面が出てくるという、そこを理解したり、振り返っておかないと、「変えられないものを変えようとしている為に起こる苦しみ」などの堂々巡りになりやすい)

幼い頃に性格の芯は決まる、などと、世間では言われる事もあるけれど、芯の周りの部分は変化し続けるものだし、だからこそ変えていける事もある。
物理的に、脳の思考回路(考え方)や、脳構造(何に対してどう感じるかなどの価値観、性格に近いもの)は変わって行くからね。

当たり前と言えば当たり前なのかもしれないが、人のせいにして、動かなくなればなる程、自身の精神的な成長の機会が、遠ざかっていくものなんだろうさ。
(当然、人のせいばかりにして、文句や悪口ばかり言う者の周りからは、人が去ってもいくしな)

なので、「人のせいにしない考え方」の方が、「誰かのせいだと思う考え方」よりも、メリットはあると思う。

もう一度書くが、もちろん、環境やら運やら、相手から受けた事やらを、全て自分のせいにしろなんて思わんよ。
俺もそれはおかしいと思う。
・・・小瓶を見る
烏羽
三通目の方へ。

まず初めに、わしは烏羽(からすば)じゃよ…。
鳥羽という他の人も過去にいらっしゃった筈なので誤解なきよう。

うん、まあ、真摯や謙虚なのかは俺の体調にもよるかな。
自分を犠牲にしすぎる事はしたくないというか、割とデメリット多めなんじゃないかと思って。
(人に関わる事で、良くも悪くも、自分にも必ず影響はあるし、変化は付いて回るし、それが積もりもする)

残念ながら、俺は赤ん坊に感じる無垢な瞳への抵抗感とかはないかな。
(汚れていようが俺は俺だし、見るなら見ろっていう。個人的には、未分化の分、赤ん坊の方が混沌としているように捉える事も出来るような気もする。
…因みに、どうでもいいですが、生物的に赤ん坊は、赤ん坊自身にとって危険かそうでないかを見分けているそうな。なので、ある意味生物的に純粋というか、逆に成長した人間が本能から距離を置いているというか…、こちらが理性やら脳回路によって意味をそれだけ作っているという事でもあるかと)

どういう過程から薄まったかは詳しく解らんのですが、俺も自己顕示欲関係について他人に思う事はありましたし、ぶっちゃけ今はどうとも思わなくなりましたが、たまにあります。
(要因とか、起因とか、その周りの興味もあるので中々に考える)

猫のポチさんを否定するとかではない(寧ろ概ね同意)んだけど、意見として、自分自身を傲慢だと思う事と、相手を傲慢だと思う事は種類が違うように感じます。

相手の動きも含め、どこに何を感じるかという部分は自分自身にある訳でして。
自分自身が悪いとかいう話でもなく、自分自身の評価なんですよね。

難しいのが、知識をひけらかす事自体が何か、例え小瓶主さんの為にはならずとも、状況を含めて他の誰かの情報、参考になる可能性もある訳で。
(ここら辺、割とかなり悩んでるけど、納得いけそうな答えが見えてきてないし、人次第である訳で、確実性や確率もない事が解った)

逆に、幾ら影響や配慮を考え、行動に移しても、それらが確実に受け取られる訳ではなく、こちらとしてはどうしようもない、他者の領分もある。
ここら辺は、何を重要視するのか、どこを意識するのかで、発信者も受け手も同様に、かなり行動が変わるかと思います。

だもので、三通目の方のように見えない優しさの部分とでも言いますか、そこを汲み取ろうとしてくれる姿勢がとてもありがたく、同時に見習いたいと思いますな。

まあ、思いやりや愛情は目には見えませんし、形となるとは言えど、あくまでも推測でしか測れませんし。
だからこその嬉しいものではありますが、伝わらなければ、そこに意味があると感じる姿勢がなければ、正直、何もない事と同じというか、通り過ぎるだけでもあるので、そこは謙虚にいたい訳でもある。(そういうものに、私はなりたい)
・・・小瓶を見る
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