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たけ さんの小瓶箱
たけ
たけさんのお返事(59通)
たけ
僕も最初は勉強嫌いでした.最も苦手だったのは数学と理科.勉強しても全然点数あがんないし,そもそも何のために数学や理科を勉強しているんだろうって思っていました.

ところで,僕は幼い頃から工作が好きでした.父も母も電気を専門としていませんが,父が休みの日によく家電製品や僕が壊したおもちゃ(プラレール)をはんだごてを握って修理してくれていました.その背中を見て育った僕は,不要になった段ボールで工作したり,プラレールに太陽電池や豆電球を搭載してライトアップ仕様に改造したりと,自身の興味のベクトルが向くままに工作に熱中していきました.特に後者については面白く,これがきっかけで電気が好きになりました.

残念ながら,これが受験のための成績アップに直接つながることはあまりなかったように思います(電気といっても理科の授業でオームの法則に少し触れた記憶しかありません).ただ,幸いなことに中学校の技術家庭科の授業でラジオ基板の製作に没頭し,電気のことをもっと知りたいといったモチベーションが向上しました.僕はこの経験をきっかけとして後に工学部電気電子工学科への進学を志すようになります.

しかしながら,工学部は理系の学部です.進学するためには僕が苦手とする数学と理科を身に着けることが必要条件となります.高校に入学してからも相変わらず数学と理科が苦手だった僕はどうすればこれらの科目を得意にできるかを考えました.

まず一つはライバルを作ることでした.高校の友達の中に模試で常に数学の偏差値を70以上マークする強者がいました.僕はまず彼と競うことからはじめ,彼に追いつこうと必死に問題を解きまくりました.良薬口に苦しとはよくいいますが,これは自身の修行の一環だと考え取り組みました.結果,僕は数学の偏差値を20も上げることができました.また,手を動かす中で解けなかった問題を解ける喜びを味わい,数学が好きになりました.ただし,好きと得意は違います.僕は好きだけど苦手な部類だったといえます.でも好きだから数学の勉強を続けることができました.

次に,試験の点数にあまり左右されないことでした.先述のとおり,僕にとって数学は好き科目ではある一方で,そのテストの点数はあまりよくなかったように思います(先述の模試の結果はたまたまで,その後の定期テストや模試の結果は散々なものでした).ここで一つお伺いしたいことがあります.あなたは,なぜ勉強するのか考えたことがありますか.成績を上げて親を喜ばせるため?それとも自身の可能性を広げるため?いま一度考えてみてほしいと思います(まわりがこうだからというのはあなたの答えではありません,あなたの答えはあなた自身の中にあるはずです).

それと大事なことは,学校で学ぶ科目があなたにとって学びとなる科目のすべてではないということです.日常生活でも学べることはたくさんあります.僕は日常生活の「なぜ?」に疑問を持ちながら,それをうまく高校の理科(物理)の勉強に組み込むようにしました.「ペンは手から離すと落ちていくのに,なぜ月は落ちてこないんだろう?」と万有引力の法則を疑いながら学んだ記憶があります(突き詰めた結果,先生は大学物理の内容を教えてくださいました).しかしながら,こういう学びって点数化されませんよね.もちろん成績が上がることもありませんでしたが,僕は自身の好奇心を満たせたことが一番の喜びでした.

勉強というものをひとくくりにしていませんか?国語,数学,英語,理科,社会.これらがあなたの学びのすべてではありません.僕にとっての電気・鉄道・科学教育・異文化,あなたにとっての教育・メディア・歌.学べるソースはいくらでもあります.まずは一度,学校の勉強以外であなた自身の興味につながる学びを,それこそ本やインターネット等を通して見つけて試しに学んでみるのがいいのかなと思います.それこそ,たとえば研究者の方々はすべての科目をオールマイティにできなくとも,ある一分野で他人に負けないぐらいの深く突き詰める能力を持たれているからこそ,研究というお仕事をされているわけですから.もし学校の勉強を頑張りたい,好きになりたいと思うのなら,あなた自身の興味と学校で学ぶ科目との共通点を(少しでいいと思うので)見つける努力をされると少しは好きになれるのではないかと思います(実際に僕も高校物理で電気回路の章に入ってからとても楽しく学んだ記憶があります).あと,本当に自身のやりたいこと,学びたいこと,好きなことが明確化しているなら,あなた自身の興味や将来の夢につながるような学びができる大学や専門学校について調べてみるのもよいかもしれません.オープンキャンパスなどもあることですしね.

それから,僕自身もそうでしたが,学びのきっかけや興味の対象を得られるか否かはなんだかんだ人との出会いに依存する部分,運の要素が大きいのかなと思います.僕が父の背中を見て,技術の授業を通して工学部への進学を志し,高校の友達との出会いを経て数学が好きになったように,まずは若いうちにできるだけいろんな価値観やバックグラウンドを持った人々と交流していくのが大切だと思います.いままでの話からすると僕の人生は順風満帆のように聞こえるかもしれませんが,実際は成績が思うように上がらなかったり,第一志望の学校に不合格となったり,いじめで苦しんだりといろいろありました.でも,これらの挫折や失敗があったからこそ出会えた方々もいますし,その方々との出会いを通して新たな志を立てることができた経験も多いです.むしろ,挫折や失敗から得られたもののほうがこれまで生きてきた中で多かったのではないかといまの僕は振り返ります.いじめの経験を例にとると,僕はどうも空気を読むのが苦手なようで,それが原因で同級生や先輩,先生のいじめの標的にされました.その苦難を乗り越え,大学生になった僕はこのいじめは日本の陰湿な空気が作り出していたのではないかと考え,一度違う世界を見てみようと思い立ち,カナダに留学しました.その結果,日本ではいじめの標的となっていた僕の個性を尊重してくれる先生や友達に出会うことができました.特に往路の機内で隣に座っていた女性の方が「そんなこと(いじめ等)に加担する人と関わる必要なんてない」と声をかけてくれたこと,帰国の前日に友達が「たけはたけらしく生きていい」と声をかけてくれたことがとても印象に残っています.これが一つ,いじめの経験から得られた宝物です(結果論ですが).

あなたのこと(好きなものからセンスがないところまで),あなたの個性そのものを愛し,受け入れ,尊重してくれる人が必ずしも日本にいるとは限りません.ましてや高校なんてただでさえ人口が少ない社会である日本のさらに細分化されたごくごく小さなコミュニティにすぎない.そこで可能性を狭めてしまうことのほうがもったいない.これからあなたはいろんな人に出会っていきます.もちろん反面教師にしたくなるぐらい嫌な人との出会いもあるとは思いますが,あなた自身ができる最大限のことを頑張りつつ,いろんな人々との出会いや交流を大切にしていってください.そこでなにかきっかけが得られるかもしれません.ちなみに僕はこれまで「海外進出なんてもってのほか!」と思ってきましたが,カナダから帰国してからは「海外進出してやる!」と思っています.また,いま好きで学んでいる学問は大学に入学してから出会い,興味を持った学問です.長い人生,いつどこでどうなるかなんて誰にもわからない.無理せず,できることからやっていきましょう.あなたはあなたらしく.あなたはあなたです.あなたという人はこの世でたった一人しかいません.まわりは関係ありません.あなたの思い描く,あなた自身ができるだけ後悔しないような人生を送られるよう祈っていますし,応援しています.

長文失礼いたしました.答えになっていない可能性が高い,僕の稚拙な文章を最後まで読んでくださいまして本当にありがとうございました.
・・・小瓶の中の手紙を読む

たけ
同じ思いです.まず今日までよく無事で生きてこられましたね.小瓶主さまは強い.

私自身も長い間,同級生や先輩からはもちろん,先生からもいじめられていました.また,高校生の頃には父をパワハラで亡くしました.

人の痛みを知らない人たちばかりが社会に残り続け,本当の意味で優秀な人たちは淘汰され,挙句の果てにうつ病に苦しみ,最悪の場合は自殺に追い込まれる.なんなんでしょうね,憎まれっ子ばかりがはばかりつづけるこの世界は.

ちなみにバチが当たらなくて残念やと思うことも多いことと存じますが,彼らはいまだけあえて泳がされているだけでそのツケは裏で少しずつ溜まっているらしいです.自分の施したことはいいことも悪いことも遅かれ早かれいつか必ず自分に返ってきます.その辛酸を舐めるのが遅くなればなるほどしんどいこと間違いなしです.

とはいえ私は悔しすぎて仕方がないので,なにがなんでも私が父のぶんまで生きて,成長することで父の仇を討ちたいと思います(行動ではなく成長した姿で淡々と示したいです).生きていけるのなら海外にでも出ていくぐらいの覚悟でいます(むしろ出ていきたいので英語を勉強しています).

小瓶主さま,あなたは決して一人じゃありません.お互い遠く離れた場所にいることと思いますが,無理せずお互い前向きに少しずつ歩いていきましょう.

もう一度言います.味わってきた痛みの数が多い小瓶主さまは強い.あなたはこれまであなたを救ってきたのだからいま生きているのです.そして,あなたがこれまで味わってきた痛みを優しさに変えてこれからのあなた自身はもちろんのこと,弱い立場の人々を救えるのはあなたにしかできないこと.あなたはまわりの人たち以上に多くの人々を救うことのできる計り知れないほどの強さを持っていることに誇りを持ってください.
・・・小瓶の中の手紙を読む

たけ
国公立大生の僕も今年盛大に大失敗かましましたよ~.気にすんな!

ありのままの自分を受け入れてくれるところがいいんじゃないかな.仮に面接で偽りの自分を演じて合格できたとしても,その先40年以上も自分を偽り続けなけりゃならないってきっとしんどいぜ.

好き嫌いが生まれたのも実際まわりの人たちからもらったきっかけがあったからこそじゃないかな.つまり,人生には人間関係が大きく左右してくる可能性が高いということ.好きだと思っていたことを仕事にできたとしても,まわりの人間関係などに苦しめられることで嫌いになることもよくある話(まさしく僕がそう).逆に最初は嫌だったけど試行錯誤を繰り返していくうちに好きになっていくこともある.

まわりの意見に流されても彼らはあなたの人生に対して何かしてくれるわけじゃないでしょう.だったら自分の思うようにやってみてもいいかもよ(あまり無責任なことは言えませんが).

あと,今回の選択であなたの人生のすべてが決まるわけじゃない.可能性だって自身が努力していればいくらでも広がっていくはず.僕も今回は失敗したけど,まだまだ人生長いからあきらめないよ!

お互い前向いていきまっしょい!
・・・小瓶の中の手紙を読む

たけ
こんばんは.現在,とある国公立大学大学院で学んでいる理系学生です.主さまはいま学生さんでしょうか.もし主さまが高校生,もしくはそれ以下(小・中学生)ならそう考えてしまうのも無理もないと思います.私もいま主さまが抱え込んでいる悩みに似た考えに縛り付けられ胸が張り裂けそうになったことが何度もあります.

小学生になる頃に「友達100人できるかな」という歌詞を含んだ曲を聴いたことがあると思います.当時の私はこの歌詞の呪縛に見事に捕らえられてしまいました.「友達は多くいたほうがいい,少ないのはダメだ」.誰かがはっきりそういわなくとも,空気が私にそう思い込ませてきました.

しかしながら,私はいわゆる少数派に属する人間でして,まわりとは違う考えをもつ傾向にあるようです.そのため,友達をたくさん作ることができないどころか,小学生の頃からいじめに苦しめられてきました.また,さらに悪いことにそのいじめが徐々にエスカレートし,中学生になる頃にはなんと何人かの先生からもいじめられました.うわさで耳にしたことなのですが,その中の1人に含まれるとある先生は,他クラスの授業で「あいつ(私のこと)は友達少ないからダメだな」と陰口を吐いていたらしいです.部活動ではいじめっ子たちからテニスボールをぶつけられても先生は見て見ぬふり,勉強を頑張って総合評定(成績)は5を取っているのに関心・意欲・態度の評価はBのまま,授業で挙手しても「手,臭いの?」とからかわれる始末.そんなくだらないことをする先生からいじめを受け,苦しむことがいかにばかばかしいことか.いまの私ならそう思えますが,当時の私はその悩みからどうしても抜け出せずにいました.結論からいえば,視野が狭かったんだと思います.でもそんなことをいじめで悩んでいる小・中学生に伝えても実体験が伴わないのであまり意味がないと思います.難しいですね.でも,少しでも早く知ってほしい.あなたが生きている場所が,地球規模で見たらどれほどちっぽけで狭い世界あるかということを.

話を戻しましょう.私はこの環境から抜け出さないといけないと思い,勉強をさらに頑張り,いじめっ子を勉強面で大きく突き放しました.その結果,高校は市外の地域最上位校に進学し,最終的には国公立大学に現役で合格しました.しかしながら,大学では都合のいいときだけ私に話しかけてきてレポートをコピペする人が私のまわりに群がるようになりました.彼らは私自身には興味を持ってくれません.コピペという用が済んだら無視するという,道具みたいな扱いを受けました.ここで私は再度,彼らを大きく突き放すために勉強をさらに頑張り,結果的に学科を首席で卒業できました.工夫した具体例を1つ上げると,私のレポートをコピペして提出したら私が書いたものをコピペしたということがバレるような,独創性の高いレポートを書くように心がけました.ちなみにコピペした人たちは,それがバレなくとも後々いつか苦しむことになると思います.大学という好きなだけ学べる場で学ぶ機会を放棄したのですから.目先の利益だけにとらわれていては,自身を成長させる大きな機会を逃してしまいます.自身の行いはいつか必ず自身に返ってきます.たとえそれがすぐでなくとも,それに対する罪悪感を背負って生きることになるでしょう.

こういった都合のいいときだけ絡んでくる人,もっといえば薄い関係のまま終わってしまう人はまわりにたくさんいます.しかしながら,彼らのことを友達といえるでしょうか.私はそうは思いません.(残念ながら関係も続いていません).逆に数こそ少ないですが,私の努力や個性を認め,足を引っ張り合うのではなく背中を押し合い切磋琢磨できる友達が何人かできました.本当に手の指で数えられるくらいの数ですが,計り知れないくらい深い関係が構築されています.なぜなら彼らとは楽しい時間はもちろん,苦しい時間も共にし,なおかつその時間の中で味わう苦楽を分かち合ってきたからです.

話は変わりますが,私はこの日本の空気や常識に疑問を呈し,見分を広げるためにカナダ(バンクーバー)に留学しました.カナダには日本とはほぼ真逆の文化,すなわちいいたいことははっきりいう,私みたいな変わり者(個性が尖がっている人間)の個性が尊重される文化が形成されていました.いや,その雰囲気はカナダにたどり着く前の機内から少しずつ漂っていたかもしれません.往路において,私は両サイド2人の女の子に席を挟まれました.(もちろん知り合いでも何でもありません).最初は話しかけづらかったのですが,トイレの移動もしくは機内食がきっかけで自然に打ち解けあいました.私は彼女たちにカナダ留学のきっかけ,すなわち小・中学校で受けたいじめで苦しめられてきたこと,大学でレポートをコピペするような人たちに苦しめられたことなどを話しました.すると,一人がこういったのです.「そんなヤツは放っておけばいい,絡む必要なんてない」と.このようなことを真剣なまなざしでいってくれた人は彼女がはじめてだったかもしれません.カナダに到着してからは韓国人,ブラジル人,日本人含めいろんな国から来た留学生の方々と一緒に楽しく英語を学びました.帰国時の空港では友達がハグして見送ってくれたり,「キミはキミらしくいていいよ」といってくれたり.日本では味わったことのない新鮮な感覚を味わうことができ,なおかつかつていじめの標的となった個性を持つ自身の活路を見いだせた気がします.

さて,前置きが長くなりましたが,ここで1つ例え話をしましょう.いま主さまの目の前に10人の人間がいて,主さまが彼らを笑わせるとします.さて,主さまは彼らのうち何人が笑ってくれたら満足ですか.ちなみに私はその中の1人が笑ってくれたらそれで十分だと考えます.人間,どう生きようと必ず自身のことを好きになる人と嫌いになる人が出てきます.自分がどのように性格を変えてもです.仮にも嫌いな人のほうに合わせた結果,いままで嫌いだと思っていた人が好きだと思うようになったとしても,いままで好きだと思っていた人が嫌いだと思うようになるというようなことも珍しくありません.質こそ変われど,量は変わらないと思います.だったら自分らしく生きてみませんか.

いまの私は「友達が少ないことは決して悪いことではない」と自信を持っていえます.それこそ,海外には日本の人口の何十何百倍もの人がいるわけで,なおかつその人の数だけ考え方や文化的背景,価値観があるわけで.もしかしたら海の向こうで彼らが私たちを待っているかもしれない.日本人や日本の文化に合わないだけかもしれない.私はそう考えているので,海外進出を目指して今日に至るまで5年以上,継続して英会話を学んでいます.主さまも英語というパッケージでぜひ学んでみてください.もう日本という狭い国の中で,みんなと同じように前に倣えする必要なんてないのです.ちなみに,もしいまの私が10年前に戻れるならいじめに加担した先生に問いただしたいことがあります.「先生がおっしゃる友達って何ですか」と.(おそらく嫌われるタイプの生徒だと思います).

簡潔な回答にならなくてごめんなさい.いま日本は,世界は大きな転換期を迎えつつあります.なおかつ新型コロナウイルスの影響でいままで常識だと思われていたことが,大人たちが作り上げてきたよくわからない常識が通用しなくなってきていると思います.目まぐるしく情勢が変化する現代社会に新たな常識や考え方を刻み込み,世界を股にかける新たな時代のパイオニアとなり,これまで非常識だと考えられてきたことを新たな常識とするための風を巻き起こしてやりましょう!

すみません,だいぶん前に別の小瓶にお返事させていただいたものと同じ内容になりましたが,答えの一つになる(もしくはそれに近い答えの一つになる)かなと考え,お返事させていただきました.
・・・小瓶の中の手紙を読む

たけ
名無しの小瓶さま,ちゅーるさま

たけです.温かいお言葉をくださいまして本当にありがとうございました.

私は私自身がその店員さんの立場に立ったとき,どのような気持ちになるかを考えずにはいられなくなり,対応させていただいたまでのことです.

無意識のうちに傷つけられている人の立場になって考えてしまう私のこの性格と付き合うのは正直しんどいです.でも,それで誰かの力になれるのならばこれに勝る喜びはありません.神様から与えられた私の人生の試練の一つかもしれませんね.しかしながら,お金や学歴,地位,名誉などを得ることよりも大事なことだと思っています.

かつて私自身もいじめられていましたし,いまのバイト先でも理不尽な扱いを受けることがあります.だからこそ,ただただその店員さんに「あんな幼稚な人のことなんて気にしないでください」と声をかけたかった.その気持ちが私の気持ちを大きく動かしたのです.私があのような理不尽な対応をされた後にどうされたらうれしいか.そればかり考えていました.お二方のお返事を頂戴し,人を傷つける立場じゃなくて,そして傷ついた人のことを思える人であってよかったと改めて感じましたし,今後もそうありたいと志を新たにすることができました.

このようなほんのちょっとの温かい気持ちのやり取りを少しずつでも増やしていきたいですね.お金で買えない,プライスレスなこの気持ちのやりとりを.

お二方まとめてのお返事,恐れ入りますがご容赦ください.私の稚拙なメッセージに対して温かい心のこもったお返事をくださいまして本当にありがとうございました.
・・・小瓶の中の手紙を読む

たけ
こんばんは.現在,とある国公立大学大学院で学んでいる理系学生です.主さまはいま学生さんでしょうか.もし主さまが高校生,もしくはそれ以下(小・中学生)ならそう考えてしまうのも無理もないと思います.私もいま主さまが抱え込んでいる悩みに似た考えに縛り付けられ胸が張り裂けそうになったことが何度もあります.

小学生になる頃に「友達100人できるかな」という歌詞を含んだ曲を聴いたことがあると思います.当時の私はこの歌詞の呪縛に見事に捕らえられてしまいました.「友達は多くいたほうがいい,少ないのはダメだ」.誰かがはっきりそういわなくとも,空気が私にそう思い込ませてきました.

しかしながら,私はいわゆる少数派に属する人間でして,まわりとは違う考えをもつ傾向にあるようです.そのため,友達をたくさん作ることができないどころか,小学生の頃からいじめに苦しめられてきました.また,さらに悪いことにそのいじめが徐々にエスカレートし,中学生になる頃にはなんと何人かの先生からもいじめられました.うわさで耳にしたことなのですが,その中の1人に含まれるとある先生は,他クラスの授業で「あいつ(私のこと)は友達少ないからダメだな」と陰口を吐いていたらしいです.部活動ではいじめっ子たちからテニスボールをぶつけられても先生は見て見ぬふり,勉強を頑張って総合評定(成績)は5を取っているのに関心・意欲・態度の評価はBのまま,授業で挙手しても「手,臭いの?」とからかわれる始末.そんなくだらないことをする先生からいじめを受け,苦しむことがいかにばかばかしいことか.いまの私ならそう思えますが,当時の私はその悩みからどうしても抜け出せずにいました.結論からいえば,視野が狭かったんだと思います.でもそんなことをいじめで悩んでいる小・中学生に伝えても実体験が伴わないのであまり意味がないと思います.難しいですね.でも,少しでも早く知ってほしい.あなたが生きている場所が,地球規模で見たらどれほどちっぽけで狭い世界あるかということを.

話を戻しましょう.私はこの環境から抜け出さないといけないと思い,勉強をさらに頑張り,いじめっ子を勉強面で大きく突き放しました.その結果,高校は市外の地域最上位校に進学し,最終的には国公立大学に現役で合格しました.しかしながら,大学では都合のいいときだけ私に話しかけてきてレポートをコピペする人が私のまわりに群がるようになりました.彼らは私自身には興味を持ってくれません.コピペという用が済んだら無視するという,道具みたいな扱いを受けました.ここで私は再度,彼らを大きく突き放すために勉強をさらに頑張り,結果的に学科を首席で卒業できました.工夫した具体例を1つ上げると,私のレポートをコピペして提出したら私が書いたものをコピペしたということがバレるような,独創性の高いレポートを書くように心がけました.ちなみにコピペした人たちは,それがバレなくとも後々いつか苦しむことになると思います.大学という好きなだけ学べる場で学ぶ機会を放棄したのですから.目先の利益だけにとらわれていては,自身を成長させる大きな機会を逃してしまいます.自身の行いはいつか必ず自身に返ってきます.たとえそれがすぐでなくとも,それに対する罪悪感を背負って生きることになるでしょう.

こういった都合のいいときだけ絡んでくる人,もっといえば薄い関係のまま終わってしまう人はまわりにたくさんいます.しかしながら,彼らのことを友達といえるでしょうか.私はそうは思いません.(残念ながら関係も続いていません).逆に数こそ少ないですが,私の努力や個性を認め,足を引っ張り合うのではなく背中を押し合い切磋琢磨できる友達が何人かできました.本当に手の指で数えられるくらいの数ですが,計り知れないくらい深い関係が構築されています.なぜなら彼らとは楽しい時間はもちろん,苦しい時間も共にし,なおかつその時間の中で味わう苦楽を分かち合ってきたからです.

話は変わりますが,私はこの日本の空気や常識に疑問を呈し,見分を広げるためにカナダ(バンクーバー)に留学しました.カナダには日本とはほぼ真逆の文化,すなわちいいたいことははっきりいう,私みたいな変わり者(個性が尖がっている人間)の個性が尊重される文化が形成されていました.いや,その雰囲気はカナダにたどり着く前の機内から少しずつ漂っていたかもしれません.往路において,私は両サイド2人の女の子に席を挟まれました.(もちろん知り合いでも何でもありません).最初は話しかけづらかったのですが,トイレの移動もしくは機内食がきっかけで自然に打ち解けあいました.私は彼女たちにカナダ留学のきっかけ,すなわち小・中学校で受けたいじめで苦しめられてきたこと,大学でレポートをコピペするような人たちに苦しめられたことなどを話しました.すると,一人がこういったのです.「そんなヤツは放っておけばいい,絡む必要なんてない」と.このようなことを真剣なまなざしでいってくれた人は彼女がはじめてだったかもしれません.カナダに到着してからは韓国人,ブラジル人,日本人含めいろんな国から来た留学生の方々と一緒に楽しく英語を学びました.帰国時の空港では友達がハグして見送ってくれたり,「キミはキミらしくいていいよ」といってくれたり.日本では味わったことのない新鮮な感覚を味わうことができ,なおかつかつていじめの標的となった個性を持つ自身の活路を見いだせた気がします.

さて,前置きが長くなりましたが,ここで1つ例え話をしましょう.いま主さまの目の前に10人の人間がいて,主さまが彼らを笑わせるとします.さて,主さまは彼らのうち何人が笑ってくれたら満足ですか.ちなみに私はその中の1人が笑ってくれたらそれで十分だと考えます.人間,どう生きようと必ず自身のことを好きになる人と嫌いになる人が出てきます.自分がどのように性格を変えてもです.仮にも嫌いな人のほうに合わせた結果,いままで嫌いだと思っていた人が好きだと思うようになったとしても,いままで好きだと思っていた人が嫌いだと思うようになるというようなことも珍しくありません.質こそ変われど,量は変わらないと思います.だったら自分らしく生きてみませんか.

いまの私は「友達が少ないことは決して悪いことではない」と自信を持っていえます.それこそ,海外には日本の人口の何十何百倍もの人がいるわけで,なおかつその人の数だけ考え方や文化的背景,価値観があるわけで.もしかしたら海の向こうで彼らが私たちを待っているかもしれない.日本人や日本の文化に合わないだけかもしれない.私はそう考えているので,海外進出を目指して今日に至るまで5年以上,継続して英会話を学んでいます.主さまも英語というパッケージでぜひ学んでみてください.もう日本という狭い国の中で,みんなと同じように前に倣えする必要なんてないのです.ちなみに,もしいまの私が10年前に戻れるならいじめに加担した先生に問いただしたいことがあります.「先生がおっしゃる友達って何ですか」と.(おそらく嫌われるタイプの生徒だと思います).

簡潔な回答にならなくてごめんなさい.いま日本は,世界は大きな転換期を迎えつつあります.なおかつ新型コロナウイルスの影響でいままで常識だと思われていたことが,大人たちが作り上げてきたよくわからない常識が通用しなくなってきていると思います.目まぐるしく情勢が変化する現代社会に新たな常識や考え方を刻み込み,世界を股にかける新たな時代のパイオニアとなり,これまで非常識だと考えられてきたことを新たな常識とするための風を巻き起こしてやりましょう!
・・・小瓶の中の手紙を読む

たけ
ゆみさま

こんにちは.ご無沙汰ですね.

まずは高校合格おめでとうございます.本当によく頑張りましたね.高校生活,思いっきり楽しんでください.

この先もゆみさんの前には多くの試練が立ちはだかることでしょう.しかしながら,この試練を通してゆみさんはきっと誰よりもゆみさん自身が生きていることを実感できると思います.

僕もこれまでいじめやハラスメントでたくさん苦しんできました.でもその苦しみから抜け出した今だからこそ思えることがあります.人間は苦しんでいるときに一番成長できる生きものなのだと.

私はとある国公立大学の大学院で研究しています.勉強・研究できる人たちが集まりやすい場所ではありますが,彼ら全員が人間的に優れているかどうかは別の問題です.僕を傷つけてきた人たちはその大学院の先輩や先生でした.苦しみから抜け出したときにその理由を自分なりに考えてみたのです.僕が出した答えは,彼らがある程度成功し続けているからということでした.大学受験でも失敗することなく国公立大学に進学し,そのまま一流企業に内定.大きな挫折を味わっていない人に限って,人の苦しみを理解しないどころか平気で人を傷つけるような言葉を口にする傾向にあるというのが僕の見解です.

また,僕はこの苦しみを通して以下のような考えを抱くようになりました.

成功し続けた先で不幸になる人がたくさんいるように,人生は何が幸不幸に転がるかは本当にわからない.大切なのは失敗し転んだときに立ち上がる力で成功する力よりもはるかに重要.これは失敗をある程度経験しない限り身につかない.だから失敗し続けているそこの君は今まさに大きく成長している人間であるといえる.僕の成功している姿(大学院進学やカナダ留学など)しか見ていない人がそこそこいると思うけど,その裏でそれを遥かに超えるくらいの苦しみ(いじめやハラスメントなど)を味わってきているのだ.その経験を生きる力に変換してきただけの話.幾多の挫折や失敗を積み重ねてきたからこそ得られたわずかな成功にすぎないのであって,そのスケールは大きく異なる.逆にいえば,成功がかえって大きな仇やしがらみとなることもあるのが人生.僕が成功者に嫉妬しない理由はそこにある.

また,これまで味わってきた挫折経験をうまく英語学習に活かすことができています.なぜか,英語を話せるようになると日本の人口の何十倍もの人々と交流できるようになるということを知っているからです.小・中学校でいじめられ,大学で仲間はずれにされてきたことも英語学習を進めるモチベーションにつながっています.カナダ留学を通して,世界的に見ても小さい日本の中のさらに狭い人間関係のことで悩むのが心底バカバカしく感じるようになりました.そんなくだらない日本人ごときに仲間はずれにされたところで大したことない,いろんな価値観や文化的背景を持った人々とたくさん交流し,友達になればいいだけの話だと.英語を通して過去のネガティブな経験と世界を味方に付けたのです.英語と付き合いはじめてからかれこれ11年になります.そして,その歩みそのものが今の,未来の自分につながっています.英語を学べば学ぶほど出会える人や文化,価値観,さらには自分の居場所が増えるということです.

いろいろ話が脱線してしまってごめんなさい.ちなみに今のところ僕の人生で最高に楽しかったのは高校時代だったと思っています.小・中学校でいじめられていた僕は受験勉強を頑張り,自身が住んでいる地域を飛び出して隣の地域の公立高校に進学しました.そこでは今日に至るまで付き合いと切磋琢磨を続けているマブダチとの出会いはもちろん,親友とよべる友達との出会いにたくさん恵まれました.彼らのおかげで僕は勉強や部活動を頑張り,(第一志望ではなかったけど)無事に国公立大学に進学することができました.苦しいことも多かったけど,それ以上に彼らと支え合い困難を乗り越える面白さ,協力することのすばらしさを心の底から味わうことができました.苦楽を共にした友達こそ本当の友達であると僕は思っています.

一度きりの高校生活.ゆみさんが様々なことに果敢に挑戦され,それが悔いのない充実したものとなるよう心から願っています.欲を言えばせめて英語の勉強だけは3年間頑張ってみてほしいです.今後,ゆみさん自身がもつ可能性を日本から世界に大きく広げるための土台となりますから.僕も今では日本人の友達に負けないくらいの数の外国人の友達がいます.

生きづらい時代ではあると思いますが,「困難はそれを乗り越えられる人にだけやってくる」という僕の恩師(工学部に進学するきっかけをくださった中学技術の先生)の言葉と最近の僕を応援してくれている「紅蓮華」(鬼滅の刃のオープニングテーマ)というLiSAさんの曲をお贈りし,終わります(ちなみにこの曲を聴くとめっちゃ元気出ます).

十分頑張ってるから,大丈夫だよ.
・・・小瓶の中の手紙を読む

たけ
怒りと憎しみからは何も生まれない.何の解決にもならない.そんなことわかってる.

でも,さすがの私もこの社会の汚さについに呆れてしまったんだ.本当に心ある人が心ない人に傷つけられる社会に.道徳で人のこと思えよって教えられたはずなのにな.何で心ない人が多いんだろう.心ない人にトゲを突きつけられる人間関係はもうたくさんだ.体が,心が悲鳴を上げている.

もうこれまでの平常心を保てなくなってしまった.人間界を,私自身が人間界に生まれてきたことを恨みはじめた.

もう生きることに疲れたよ.
こんな理不尽が正当化されている社会なんて滅びてしまえばいいのに.
こんな汚い社会なんて消えてなくなってしまえばいいのに.

優しい人もときどきいるけど,人の弱みにつけこんでやり込もうとする汚い大人が多いと最近感じる.そんな大人たちに心を汚され続けて生きるぐらいならもういいかなって思う.汚い大人たちに心を汚されていまの子どもの?新鮮な?澄んだ?感覚が麻痺してしまいそうで怖い.汚された心の僕はもはや僕じゃない.心を汚してまでお金を稼ぐことが,社会が発展することが本当に幸せなのかなって最近よく思う.まわりの大人たちの感覚は生きてることが当たり前になって,生きてることに対する感謝を忘れて効率とか地位とか求めすぎて,心の底から生きててくれてありがとうって思うのなら弱い人や立場の低い人をやり込めることなんてないのに.優しくしたら逆に道具のように扱われるし,もう嫌になっちゃった.生きることなんて,自分の命なんてどうなってもいいやって.死ぬのを止めるのはまわりのためとかまわりが悲しむからとか.そうじゃなくてさ,苦しんでいる本人のことを一番に考えてあげてほしいんだよ.その苦しんでいる本人がこれまでいつも一番にまわりのことを考えてくれていたんだからさ.わがままだけど.そういうところも汚いよな,大人は. マスコミもくだらないニュースしか流さないし.弱い人を徹底的に袋叩きにして飯食ってるようなものだからな.いじめと同じだよ.理不尽を正当化しているんだよ.頭おかしいよ.大人は思考停止してる.楽だもん,考えなくていいから.だから平気で理不尽が当たり前とかそれを受け入れろとかいってくる.頭おかしいんじゃないかってすごく思う.働くために生きているのかよ.僕の父さんはパワハラで殺された.その優しい,温かい一つの命が消えても何事もなかったかのように時間が流れることのむなしさよ.その事実から全く学ぶ気がないよな.だからパワハラも無くならない.自殺者も増える.日本は終わっている.

あなたのまわりにあるコンビニや飲食店,いまでは海外出身の人々がたくさん働いているだろう.それだけいまの日本は労働者を,人を大切に思っていないということだ.所詮,金なんだよ,いまの日本は.命ありきの効率,生産性なんだよ.人が何のために生命を授かり生まれてくるのか,わかっていないのは汚い大人のほうだよ.人は,社会を物質的に豊かに便利にするために,モノを生産するために生まれてきたんじゃない.愛し,愛されながらいろんな人々と苦楽を共にしながら少しずつ成長するために生まれてくるんだよ.

もうそろそろ日本,諸外国に乗っ取られてしまうのでは?うん,いいと思う.いっそのこと植民地化されていいんじゃないかな.現時点で欧米諸国に負けてるしな,勉強も仕事も人間関係も.

それこそ,自分のまわりのいじめ問題を解決できないような大人たちが,子どものいじめ問題を解決できるはずないよな.おい,いじめられて苦しんでいる小中学生の頃の自分!相談する相手を間違えているぞ!なんでいじめに加担している先生になんか相談しているんだ!

弱い人をこぞって袋叩きにする日本の大人の,日本人のみなさんの腐りに腐りきったその汚い心,植民地化されて諸外国に一から叩き直してもらったらいいと思う.

いまの日本に未来はない.だから僕は日本脱出に向けてかれこれ5年間英会話を勉強している.本気で出ていこうと考えている.さようなら日本.日本で友達出来なくとも,海外で作ればいいだけの話.世界は広い,日本がすべてじゃない.いろんな文化や価値観があなたを待っている.広い世界をみよう.僕はカナダに留学したことがあるけれど,もう価値観がすっかり変わってしまって海外に出ていきたいと思うようになった.人間関係が楽だから.個性が尊重される.みんな優しい.日本の汚い大人たちよりも優しいと思う.もう一度戻りたい,カナダに.いや戻るぞ.
・・・小瓶の中の手紙を読む

たけ
ゆみさま

こんにちは.そういうやりとりは大事だと思います.ここにいるみんなで励ましあって,少しずつでいいからいい方向へ,それぞれの次のステップへ進んでいけるといいですね^ ^

私もゆみさまはじめ,ここにいるみんなに励ましてもらって今を生きることができています.極端な話,命を落とさずに済みました.ありがとう.

私が小学生の頃に見ていたポケットモンスターの「君のそばで ~ヒカリのテーマ~」という曲で次のようなフレーズがあります.

「ガンバレ」っていうより 「ダイジョウブ」って伝えたい

これからもこの場所が「ガンバレ」よりも 「ダイジョウブ」という気持ちを伝えられるような場所であることを願っています.(余談ながら,最近になってなんとなく聴いていたポケモンやドラえもんのテーマ曲の歌詞の奥深さを知って元気づけられるようになりました).

だんだん寒くなってきましたね.くれぐれもお体だけは大切に.受験勉強,大変だと思います.私もそうでした.でも焦らず,無理なく進めていってください.目の前の小さな壁を,乗り越えられそうなものから少しずつ突破していくこと.ダイジョウブ!ゆみさまならきっと乗り越えられる!応援しています!

Believe in yourself!
・・・小瓶の中の手紙を読む

たけ
(あ)さま

はじめまして.お返事ありがとうございます!

そうなんですよね.生きづらさを感じますし,まわりの人から考えすぎとよく言われますね...

私がもしHSPだとしたら,(あ)さまほど深刻なものではないかもしれないのですが,特に音(音楽)と感触に敏感な部分がある気がします.

いま思いつく範囲でお話しさせていただくと...

(音)
例えばある楽曲があるとすると,その楽曲とはまったく関係のないものをイメージングし,それを勝手にその楽曲と結び付け,テーマ化してしまいます.そしてその楽曲を通して良くも悪くも物事に対する深い感動やあこがれを無意識のうちに味わうことが多いです.それ以外にも,雨の音をはじめとする環境音などにも敏感であるような気がします.

(感触)
服を着ていて無性にくすぐったさを感じることが多いです.だから,せっかく買ったのに,着たいのに着ることができない服を持っています.また,普通に外出しているときもときどきくすぐったくなって,不自然な動きをしてしまうことがあります.とても恥ずかしいのですが...

思い当たる節はこれぐらいですが,もしかしたらほかにもあるかもしれません.

お互い,カウンセリングの依頼はじめ,少しでも気持ちが楽になるようなアクションをこれから起こしていけるといいですね.

現在,私は家族や先生,友達に話を聞いてもらうことで少し気持ちを楽に保つことができています.

生きづらさを感じることが多いと思いますが,お互いぼちぼち参りましょう.

ちなみに私は海外移住の可能性についても考えていますよ(日本ではどうしても生きづらさを感じずにはいられないので).

本当にありがとうございました.
・・・小瓶の中の手紙を読む

たけ
凛愛(りあ)さま

はじめまして.私も今は辛い状況にあります.だから,ここに来ることが数少ない癒しの一つになっています.

凛愛(りあ)さまが経験されている辛さとはまた別のものではありますが,お互い澄んだ心を大切に,これからも元気に参りましょう.

最後に一つアドバイス.友達を作る場所は,日本じゃなくてもいいと思います.日本が全てじゃない.苦しいのは,日本という狭い世界の中でしか生きていないからかもしれない.一度,世界に目を向けてみてはいかがでしょうか.私も一年前にカナダのバンクーバーに留学しましたが,視野が大きく広がりました.日本のように,他人を気取ったり,忖度したりする必要なんてゼロに近かったです.私も日本の学校や社会ではいじめられたり,批判されたり,嫌われたり,騙されたりしてきましたが,少なくともバンクーバーの学校では私の個性を認めて仲良くしてくれる友達や先生が多かったです.いまでもバンクーバーで出会った友達(主に日本人と韓国人)とは英語で連絡を取り合っています.このまま日本で苦しみ続けるくらいなら,私はこのまま英語を頑張って勉強して海外に出て行ってやろうと思っています.

世界を見れば,心が浄化されるかも!私たちが想像している以上に世界は広いですよ!最近は日本でも海外出身の方をよく見かけるようになったので,海外に飛び出せなくとも日本でコミュニケーションをとることは可能だと思います.英会話カフェとか英会話サークルとかお金がかかるスクールではない異文化コミュニティに顔を出してみるのもいいかも!まだ凛愛(りあ)さまはもちろん私でさえも知らない新しい価値観が世界にはたくさんあふれていると思うのであきらめないで!いまの時代,グローバル化が叫ばれているからこそ日本だけにとらわれる必要はないと思います.時間とお金とリスクがかかることなのであまり無責任なことはいえませんが,機会があれば海外に行ってみてください.そして日本とは大きく異なる文化や価値観の面白さを学んでみてください.そうすれば,その国の良いところはもちろん日本の良いところも自然にわかるようになると思います.(初級者ですが)英語の勉強法とか留学のこととか,聞きたいことあればまたいつでも声をかけてみてください.力になれる範囲で協力させてもらえると嬉しいです.

最後にもう一度.日本が全てじゃない.
・・・小瓶の中の手紙を読む

たけ
ゆみさま

こんにちは.私もゆみさまと同じようになかなか強くなりたくてもなれなくて,とても歯がゆい思いをしています.

私自身,もしかしたらHSPかもしれません.病気ではない(診断書もない)らしいですが,やはりまわりと心の状態が違いすぎるらしいです.

まわりの些細な一言を必要以上に深く受け止めてしまい,流したくても流せない.すぐに深く傷つく.まわりよりもずっと,何度も.さらに言えば,怒られている人や悲しんでいる人を見ると無意識のうちに自分のことのように受け取ってしまうことも多くてしんどい.だから,ゆみさまみたいに勉強も人間関係もなかなかうまくいかなくて自己嫌悪に陥ってしまいます.生きてる意味あるのかなって.

バイトも性格検査で落とされてしまいました.すべての質問に対して素直に答えてしまって.「少しずるくならないと.相手の望むような回答をしないと.」ってまわりの大人は言うけど,それがすごく難しいんです.

私は誰かを助けるために,世界を救うために,この汚れた世界をきれいにするために,神さまからHSPという特性を与えられたんだと心の中で解釈して,今日も無理やり前を向いて歩んでいます.

お互い,なかなかうまくやっていくことは難しいかもしれませんが,今日も元気に参りましょう.焦らず,静かに流れる川のように清く,優しく吹く風のように穏やかに.
・・・小瓶の中の手紙を読む

たけ
学力,身体能力,性格など埋めたくても埋められない差が時にコンプレックスとなり,いじめが起こるのではないかと,かつていじめられていた私は考えます.すなわち,人間一人一人に個性がある以上,いじめは"完全には"なくならないと思います.でも,それを減らす努力はできると思います.

あと,よく「社会は理不尽なものだ.割り切って,受け入れるしかない.」と私のまわりの大人たちはよく言いますが,そもそも理不尽な社会を受け入れるために発せられる言葉そのものがいつの間にか皆が望んでいない理不尽な社会を創りだしているのではないかと思うこともあります.パワハラで,いじめで自殺者がたくさん出ているのにも関わらず「割り切って,その社会を受け入れろ」という言葉を口にする大人たちのことが信じられないのです.「強く生きろ」ってよく言われるけど,そんなことできたら弱い私は,悩んだり自殺したりする人々は苦労などしないのです.騙したほうじゃなくて騙されたほうが悪い.ドラえもんでいう,ジャイアンじゃなくてのび太が悪い.理不尽を正当化するなんていじめているのと同じだと思います.正義の味方か悪者かは知らないがとりあえず力の強い者にいつもコバンザメのようにひっついて機嫌をうまくとり,弱い者を見つけたらこぞって袋叩きにする.社会の一員として恥ずかしくないのでしょうか.こういう大人たちが創った社会だから,学校のいじめもなくなることはないと思います.「尊い命」,「かけがえのない命」などという言葉を口にする資格がある人なんていまの日本の社会にどれくらいいるんでしょうね.
・・・小瓶の中の手紙を読む

たけ
私も小学校,中学校と長いこといじめられてましたねー.あるマブダチ(以下,彼をMくんとします)と一緒に.それこそ,小瓶主さまのように.クラス内ではもちろんですが,部活でもテニスボールぶつけられたり,胸倉つかまれたり.そんなの日常茶飯事でしたよ.それでも中学校の先生はほとんど見て見ぬふりでしたし.それどころか(言っちゃ悪いけど)レベル低いほうに合わせて仲間外れにしてきましたよ.英語の先生は,陰口で「だからあいつは友達少ないんやろうなー」って言ってたらしい.数学の先生(担任)には,雑巾がけ全くしてくれないいじめっ子のことを相談しても「それは私たちが決めることではないから」と全く取り合ってくれませんでしたね.国語の先生には,積極的に挙手してもまともに相手してもらえませんでしたし.おかげで国語の成績は5段階中5の評価をとっても関心・意欲・態度の評価がAになることは一度もありませんでした.中学校でのいい思い出なんて,技術の先生や理科の先生に工学部進学を志すきっかけをもらったことぐらいでしょうか.この経験だけは,私の人生の宝物です.ただし,これが中学校で手に入れた「唯一の」宝物であるということだけ断っておきます.それ以外は何の思いれもないし,その中学校に対する愛着もない.悔しいですけどね.

でもね,いじめられっ子の私たちはいつの間にかその先生たちを見返していたようです.Mくんは地元のA高校進学後,学年トップを維持しながら中国語を独学.その後,専門学校に進学し,国家資格を取得.現在は頑張って働いているとのことです.私も地元トップレベルのB高校に進学し,二人目のマブダチに出会い,志通り(第一志望校ではありませんでしたが)国公立大学工学部に合格.その後,第一志望校であった大学(大学院)工学研究科に合格.現在に至ります.B高校に進学したことが勉強や部活などを一緒に頑張る友達がたくさんできたのが人生の大きな転機の一つだったように感じます.カリキュラムはハードでしたが,それこそいじめみたいなしょーもないことに時間を割く人はいませんでした.そんなことする時間なんてなかった.「みんなで勉強,部活頑張ろー!」みたいな感じでしたね.(レベルの高い学校に行けば,それだけ意識の高い友達と出会える可能性も高くなるのではないかと思います).

私もこれまで生きてきて何度も死にたいと思いましたし,今でもそう思うことがあります.冷静に考えるとそもそもそんなレベルの低い,狭い日本の中の狭い狭いコミュニティの中で苦しんで自殺するなんてもったいないって言えるんですけどね.

おそらくこの先,社会に出てもこれに似た試練は何度も私たちの前に立ちはだかってくることでしょう.それこそ,いじめは形を変えて起こってくると思います.現に私の父もパワハラで殺されていますから.でも今の時代,生きていくフィールドを日本に限定する必要はない.死ぬのは,海外を,広い世界を見てからでも遅くない!カナダとか行ってみてくださいよ!優しい人たちばかりですよ!多文化社会のいいところの一つだと思います!世界規模で友達つくろうぜ!英語使って!

みんなー!置かれている状況はちげーかもしんねーけど,くじけず負けずに頑張ろうぜー!もし日本で生きていくのがしんどくなったら,それこそ海外に出ていくつもりで!日本が全てじゃないぞー!みんな一人じゃないぞー!無限の可能性あるよー!おっしゃ,元気出てきたぜー!あんがとよー!センキュー!
・・・小瓶の中の手紙を読む

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