「精神病」と言いますが、メカニズム的に言えば「精神」が病んでいるのではなく、「脳の神経間伝達物質」(セロトニン・コリン・ドーパミン・アドレナリン等)に異常が生じている結果として「精神」に異常や変調が生じています。
カフェインを取れば「脳」は覚醒しアルコールを取れば「脳」は酩酊するのと全く同じ事です。事実麻薬や覚せい剤を取れば統合失調症と同じ状態に「脳」はなります。
一方で「健康な脳の神経」を持っていても「精神・心」が病み腐っている「健常者」はゴロゴロといます。
この様に「精神病患者」は「精神」をもともと病んでいるのではなく「脳という肉体の病」な故に「精神」に異常や変調が生じています。
この様なメカニズムは幼稚園児や小学生でもわかる事であるにもかかわらずに、「精神病患者」は「社会・人々」から非常で不当な「差別」を受けるという「理不尽」がまかり通っています。
こういったところに私は「人間は虐めや差別をしたい生き物なのだな」と思いますが、皆さんはどう思われますか。
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精神系の病状への理解は周知のものであって欲しいよな。
人間である以上、この大脳、神経系からなる感情の構造上、避けては通れないどころか、常に片足を突っ込んでいるような状態だという事でもある。
決して対岸の火事ではなく、差別できるものでもない。
根性や、やる気という言葉で片付けられるなら良いが、それが効かない状態であるのが精神的な病である訳で。
精神といっても、神経系を含めた、伝達物質や細胞の繋がり、体の一部からなるものであって、それ故に身体として、微妙なバランスから成り立っている。
ただ少し、小瓶主さんの文章を読む中、気を付けたいと思ったのが、「人間は」という部分だな。
俺も便宜上よく使う言葉だが、やはり人間の全てがそうだとは思えない。
何故って、別に差別やいじめをしたくない人間もいるだろう、例えそういった状況下にある人間がいたとしても、年がら年中、常にその状態である訳でもない。
人間は、いじめや差別をしたい生き物なのかどうかは解らないが、いじめや差別をする可能性のある生き物ではあると思う。
個人的に思うに、何故差別やいじめが起こるのかと考えれば、自身がストレスを感じた際の対処法として、「他へ当たる」という発露の方法があるからなのだと思う。
(実はこの方法では、ストレスが解消されない場合が多いらしい)
だから、誰にだって状況が状況であれば、そういった可能性はあると思いはする。
(「差別」や「いじめ」というものが、受け手側の認識を無視できない、2人以上の関係からなる言葉という点もある)
正直な所…、国(文化)が違えば、その発露の方法こそ、「神経の異常」「病」だと捉えられてもおかしくはない。
つまりは「何が異常なのか」など、人それぞれが決めてしまえる、という事でもある。
だから、専門的な医療定義における「精神病」を、一般の人(俺もそうだが)が判断する際、勝手なイメージを付けて見てしまう事もある。
その結果、自分と他者を見比べる比較の際や、噂などの情報など、現実との齟齬が生まれる。
その軌道修正がなされず、問題へと発展すると、これも、いじめや差別へと繋がってくるのだろう。
人間は恐らく、脳の処理上、情報や、言葉の表現が省略されやすかったり、「己が考える、都合の良い(悪い)方向へ、自動的に思考や行動を修正しようとする」能力が少なからずある。
つまり、それがあくまで推論である事を忘れ、推論を正しいと、いつの間にか思い込み、思考や行動に移してしまう危険性を持っている。
その危険性を理解した上で行動(確認とか、反省とか、謙虚的な)出来れば、多少はそこへと繋がる齟齬的問題、延いてはいじめや差別的問題を減らせるのではないかとも思う。
…ただ、この方法の欠点として、何故脳が省略しやすい処理方法を取るのかというと、省略しない、手探り状態の処理では、多くのエネルギーを使う事になるのだろう。
確認作業など、気を付ける事に多くのエネルギーが必要な場合がある点、疲れやすいと思われる点を理解した上で、無理はしない、休息を適度に取るなどを含め、行動に移したり、状況判断の材料としたい。
ななしさん
そうですよね、差別は、本能ですよね。
本能レベル、という用語もありますし。
是認はしませんが。
人には理性がありますから、本能だけで行動や判断をしませんので。
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