「可愛くなる」も「優しくなる」も、
私の中では
・自分を削りながら頑張るもの
・私に価値がないことを思い知らせてくるもの
だったけど、
最近はほんの少し変化があって。
可愛くなるための行動に、ちょっとだけわくわくするの。
わくわくのエネルギーのまま行動をして、
行動をするから結果が出て、
結果が出るからまた行動したくなる。
そんなわくわくのループに、正のループの中にちょっとだけ入れた気がしてて。
それがとっても嬉しいです、
ー
(比較対象としての今までの思考回路。
前回書いたのと同じです↓↓)
ここしばらくは頑張れていたのだけど、
フッと動き続けるエネルギーが消えてしまって、
そのきっかけが社会にあふれる「こうすべき」だったの。
「こうすべき」と自分を比較して、
これができてない、これができてない、
でも自分にも「できてない」に至るまでの感情の機微とか背景がある。
そこをスルーされるのはおかしい気がする。
でもできてないのもまた事実で、
そんな自分はやっぱりダメ。
…って永遠にループして、
ループしてる間はエネルギーが「安全地帯を確保するための思考」に割かれてしまうの、
「そのままでも価値は消えないよ」
「大丈夫だよ」
そんな安全地帯がない状態だと、
ずーっと安全な場所を探してしまうんだな、
安全な場所を探すことを
最優先にして脳のエネルギーが使われるから、
そこにエネルギーが割かれてる間は、
頑張ることが下手くそになるんだな、って。
あとは、
「外の世界=こわい」がアップデートされるから、安全を求めて動かなくなる部分もある気がしてる。
動かなくなるというか、
ブレーキがすごくかかる感じかな。
ー
「遅刻を許せないひとは心がせまい」って自分に対しても他人に対しても思ってしまうのだけど、
中学までは、「遅刻するひとの方がダメ」って思っていたなっていうのを思い出しました。
(怒ってる自分が嫌いだから、ひとに対して怒ったりはしなかったけど、すっごくモヤモヤしてて。
でも怒るのは悪いことだ我慢しなきゃって抑えるのがほんとに大変でした。
我慢して我慢して
爆発して大反省するタイプです。
中学の頃からずっと。)
びっくりなことに、「遅刻を許せないひとは心が狭い」っていう価値観が当たり前の環境に間違えて飛び込んでしまってから、
そっちの価値観にまるきり染まってしまったのかも。
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
小瓶主さんの想いを優しく受け止めてあげてください