こんにちは
初めて小瓶を流します。分かりにくかったらごめんなさい。
私は現在一人暮らしの車椅子ユーザーです。先天性の四肢麻痺(CP)と発達障害(ASD)を抱えながら大学で学んでいます。二次障害のため心療内科に通院中です
幼少期から大きく「みんなと違っていた」私。母親は、「できるだけ普通に」と奮闘していたようです。出来るはずもないのに。何よりとても無意味なのに。
「急いでいるようには見えないよ(当時の私は必死)」「何、遊んでるの?(お皿洗いのお手伝い中)」「車椅子を車に積むのがめんどくさいから杖で行きなさい(私が楽しむ余裕は皆無)」etc 「(普通でない)あなたなんか要らない」とも取れるような言葉を沢山言われました。聴覚過敏で色々な音に耐えきれず耳を塞ぐと手を叩き落とされて、「恥ずかしい!」と叱られました「金食い虫」とも何度も言われました。(ヴァイオリンをやりたいと譲らず、習わせてもらった。今でも弾きます。)
自閉症を疑って何度も、「しんどいから病院行かせて」と頼みましたが一人暮らしが始まるまで叶い ませんでした。今でも理解は薄いです。
カウンセラーと定期的にお話する中で、これらの経験により愛着に歪みがあることに気付いてしばらくが経ち、ある種母が憎いのだと気付いてしまいました。それでも「ありのままを受け入れてほしい」「特性を理解して欲しい」という思いは断ち切れません。
私は虐待を受けていたのでしょうか?
母と精神的に決別するにはどうしたら良いんでしょうか?
進学、習い事等「愛があった」ことはわかっています。
ただ一言「頑張ってるね。偉いよ」と言ってほしかった。言って欲しいのです
「出来るだけ普通に」。
この言葉が重くて痛くて、お返事を書こうと思いました。
多いんですよね。障害や疾患を持つお子さんに対してこう願う親御さん。
そのせいで、時にお子さんを合わない環境に連れ回してしまう。お子さんも周りの人もしんどいと、わからないまま。
私自身、子供の頃に、運動会である障害がある人とリレーで手を繋いで走ったことがありまして。
全然走れなくてね。どんどん抜かされて、その子のヨダレが腕に飛びまくって。体操服ひっぱられて。何も楽しくなかったです。
クラスの皆も微妙な顔で出迎えてくれました。喜んでいたのはその子の親だけじゃないかな。
「皆、それぞれ合った普通があるんだ」と、子供ながらに感じたものです。
あなたのお母さんは必死だったのだと思います。障害を持つ親御さんは、自分のせいじゃなくても、「自分が健康に産んであげられなかったから」と自分を責めて責めて責めます。そのストレスが、場合によってはお子さんや周りへ向けられます。あなたに対してのひどい言動もそれだと思います。
ただ、やはり大幅にから回っていたのだろう、とも思います。例えるなら目が悪い人に眼鏡もコンタクトレンズも与えずに育てようとした、そんな風に見えます。
あなたは、確かに障害で苦労せざるを得ないことがあったかもしれないけど、でも、もしかしたら、家族のやり方によっては、そこまで苦しまなくても生きられたんじゃないか?と思います。
そういう意味で、あなたを必要以上に苦しませたという意味で、虐待と言えるかもしれません。
お母さんは、カウンセリングを受けていますか?
私は、主さんにもだけど、お母さんにこそ支えが必要なように思います。可能なら一緒にカウンセリングに行って欲しいですね。
お母さんがあなたに「頑張ってるね、偉いよ」と言えないのは、お母さん自身が誰からもそう言われていないからでは?と思うんです。「親だから世話するのは当たり前」「障害児を産んだ責任があるんだから当たり前」そんな風に見られがちですから。
「空回りもあって、お子さんを歪めてしまう部分もあって、障害に対して最善策を取れたとは言えないかもしれない…でも、お子さんをちゃんと生かしてきて偉かったね」て、誰かが言ってあげないと、お母さんは救われないんじゃないかなと思います。
自分が救われないまま、あなたを受容するのは無理なのじゃないかな。