とある小瓶を読んで思ったこと。
私には、かつて
自分の命を投げ出してまで守りたいと思う相手が数人いました。
一人目は母親。
もう一人は友人。
母親は私が産まれたときから悲しそうな顔をすることが多くて
表面上はにこやかで穏やかな人だけど
抑圧した感情と、狂気というか
端々に見える神経症的な傾向のある人で
精神科の先生と私が見た限りでは
生育過程のトラウマを抑圧した結果、子供に異常なほど癒着している母親
とのことです
私は母を守るために
いつも、早く大人になりたい
強く賢くなりたいと思い
それだけのために、全人生をかけて生きてきました
漫画の主人公気取りかよ(笑)
と思われるかもしれませんが
悲しいことに私はアホだったので
高校くらいまで真剣にそう思って生きてきました
何もかも母親のために
人間関係も学校も趣味も勉強も
食事一つから、言葉、家にいるときの行動すべてを
文字通り母親のために行っていました
小説を書くまで、自分の生き方に気づけなくて
誰かの幸福のために
犠牲になるのも、
誰かの為に死ぬのも当たり前と思っていました
なので、もし悩んでる方がいたら
創作活動いいですよ、とお伝えしたい。
これ以外にもいろんな思い込みというか
様々なものに縛られて生きていたけど
小説とか、設定づくりをしてるうちに
無意識に自分を許せるようになって
生きづらさが軽くなった。
自分を許す、とか認める、とか
なんか違和感があってうまくできなくて
でも、小説の人物とかキャラ相手なら
愛着も湧くし、なんか助けてあげたくなるから
その子たちが幸せになってほしい、と思って書いてたら
いつのまにか自分の呪いが解けていたみたいな
有り体に言えば自己治療、かな?
そんな感じです
私は長年母親の自己治療に使われてきたと思っているので
私のように、誰かの助けのために道具扱いされる人が減ったらいいなと
心の隅で思っています
自己治療でも趣味でも
創作楽しいよ!
どうせやるなら何か作ろうぜ!
という、創作クラスタのぼやきでした。