仏教では、苦しみの原因はなぜ生きるのかを知らず、
相対の幸せばかりを求めるからだとしています。
相対の幸せとは、孤独感や認められたい欲求などを
満たすために手に入れる物事であり、手に入った時は
嬉しいが、すぐに次が欲しくなり、死んだらなくなる
性質のものです。必ず終わりが来る幸せです。
無意識のうちに終わりが来る幸せしかないと
気付かれているのではないでしょうか。
もちろんそういう幸せであると知っていれば、
ほどほどに楽しむこともできるのですが、
それしかないと思っていれば、手に入らない
(かもしれない)ことが耐えがたい苦しみになる
かと思います。
仏教では絶対の幸せがあり、それを知ることが
生きる目的だとしています。
阿弥陀仏が全ての命を救うという誓いがあり、
それを信じることが絶対の幸せに救いとられる
方法だとしているのですが、私はまだ勉強中です。
私の個人的な感覚としては、私は寿命を持った
私であると同時に、全宇宙そのものです。
大海の一滴のように地球は宇宙の一滴である、
想像もつかないほど大きな存在と私は同一である
ということが、死んでも変わらない真理なのかな
と思っています。
参考までに。