少しずつ這い上がって来ている。恐怖を感じつつ、飲み込まれそうにもなり。
愛されたいとは愛したいということ。
だけど、あの人は愛されたいと思っているのだろうか。
一方的に愛を欲していたのなら、それは間違った方向に行っている。その都度修正。
現実世界ではやはり、失望と痛みが伴ってしまう。
上手くあるべき、何でもできるべき、間違ってはいけない、美しくなければならない。多くの縛りがある。
それに反することを許していない。
意識と魂が一致していない。
意識では愛されるなんて滅相もない。魂は愛されたい。
意識が愛されることを許さなければ、飢餓感はどうしても生まれてしまう。
全て諦めなさい。手放しなさい。そう言うと、嫌だ嫌だと駄々をこねる自分がいる。
簡単なことではないのだろうか。ルールを完全に守れたとして、愛は手に入るのだろうか。誰のためのルール?まさしく自分のためだ。
そのままでいいから、ただ私は私を愛している。永遠に愛しているよ。
愛を欲するのは、自分で勝手に決めたルールのため。ルールを守れば手に入ると思っているから。未だにその幻想を追い求めて恐怖や苦しみと戦っている。
愛されたいというのは、誰からというのではなく、形にして欲しいのでもなく、状態。
前提は存在しない。これを達成すれば手に入るというものでは、ない。
どうだろう。手放せるかな。諦められるかな。その手にしっかりと握りしめたおもちゃを渡してくれるかな。