30数年無駄に生きてきて、自分が生かされている意味がわかりません。
両親からは望まれず産まれ、親であることを放棄された自分。
小さい時から生きるが辛くて苦しくて、だけど大きくなれば楽になれると思い、必死に現状から逃げだしたのに、逃げだした先でも結局は同じ事の繰り返し。
逃げても逃げても安住の地なんてない。
そして今更ながら最近、自分が不完全で生きていても世の中に害しか与えず、存在することですら迷惑な存在だと気づいた。
自分で死ぬ勇気も持てないのに生きる勇気も持てない。
もう、しんどい、出来る事なら今すぐ消えたい。
こんな自分でも役に立てるのなら、今すぐ臓器とか全部を頑張って生きようとしている人にあげたい。
その方が、社会の為にもずっと有意義だとおもう。
社会にそういう制度があればいいのに。
今日、このサイトに出会えて、ずっと誰にも言えずにしまい込んでいた思いを吐き出せた。
ありがとうございました。
生かされているんじゃないですよ。
生きているんです。あなたは。
子供の頃は、確かに生かされていたんでしょう。子供は働いてお金が稼げませんものね。家族に放棄されたなら、国や自治体が用意した法律や施設に生かされていた。
でも大人になってからのあなたは、働いたり、支援してくれる人を自分で探したりしながら、自分の足で歩いてきたはずです。
受け身で生かされてきたんじゃない。自分でいろいろ選択しながら生きてきたんです。死ぬことを選ばなかったのだってあなた自身です。
だから生かされている、誰かの許しを得て生きさせてもらっている、そんな考え方はもう止めましょう。
絶えず周りをうかがいながら、許しを請いながらびくびくして、他人からの評価がないと自分の価値を見失ってしまう。
そんな風に、他人のものさしを軸にした生き方には幸せはありません。
同じことの繰り返しなら、周りの視線に闇雲に怯えるのではなくまず自分を見ましょう。何かをやったから、または何かをやらなかったから、相手に何らかの害を与えたのですよね。それを見つけるのが最優先のはずです。
冷たい目に見られてきゅっと縮こまり、走り去ってしまうだけでは、いつまでもそれは見つかりません。
健康な人の命を奪ってまでの臓器提供は出来ません。
非現実なことに思いを馳せるのではなく、現実的に幸せになれる道を探しましょう。恵まれていたとは言い難い環境に必死に耐えて、何とか抜け出すための努力をしてくれた、子供の頃のあなたに恥ずかしくない生き方をすることが、30代のあなたの生きる意味になるんじゃないでしょうか。