神様は私に最初に教えるのを忘れたみたい。
自分の愛しかたを教えるのを忘れたみたい。
おかしいもん、だって、こんなにも嫌い
すごく嫌い 醜い私が とても嫌い
大嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い
顔も見たくないし声も聞きたくない
気持ち悪い。
町中でガラスに映る自分顔が嫌い
写真に映る自分が嫌い
誰かの不幸をどこかで喜ぶ自分が嫌い
嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い
すっごく嫌い。
とても醜い怪物みたいなの。
中身も外もどろっどろっに腐って溶けてる
汚いから誰も触りやしない。
悲しいが分からなくなるくらいに
ごめんなさい。
だれか、自分の愛しかた教えてください。
誰でも無料でお返事をすることが出来ます。
お返事がもらえると小瓶主さんはすごくうれしいと思います
▶ お返事の注意事項
ななしさん
もし私が誰かにそんな風に言われたら
ものすごく傷つくな
「人が嫌がることはしない」
「人が喜ぶことをこっそりする」
その「人」の先頭は、自分自身だよ
まずあなたがするべきことは
あなたの中の「あなた」に
「ひどい言葉を投げつけて、ごめんね」
って、心から謝ることのように思いました
愛する前に、まずは仲直りしよう
ななしさん
顔や声が嫌いでも、手は?髪は?
顔も性格も変わっていくんですよ。
私も「自分が可愛そうだよ」「自分自身を大切にね」って言われますが。私にもよくわからない。
自分においしいものを食べさしてあげて、「よくやった」ってなでなでしてあげて、いい服で包んであげて、素敵な音楽に囲まれてふかふかのお布団でゆっくり休ませてあげたりすると良いらしいよ。
「嫌い」がわかるということは「好き」もあるのだと思います。
好きだと思うこと、嫌いだと思うことは自然な気持ちです。
探しましょう、あなたにとっての「好き」を。
好きな食べ物、好きな景色、好きな音楽、何でも良いです。
好きなことを感じるがままに感じるのです。
一方で、それでもあなたはご自身のことが好きになれないのかもしれません。
それでも良いのです。
ただ、いつものあなたに一つ付け加えてみましょう。
「嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い」
(でも、ありがとう)
嫌いと思ったその後に「でも、ありがとう」と付け加えるのです。
声に出す必要はありません。
心の中で「ありがとう」と感謝するだけです。
嫌いなのにどうして感謝しないといけないの?と思うかもしれません。
感謝できる部分が一切ないと感じるかもしれません。
それでも、「ありがとう」なのです。
日常生活で好きなことを感じられたのなら、好きなことを感じさせてくれてありがとう。
自分のことが嫌いだけど、それでも、「好きな何か」を感じさせてくれるから、ありがとう。
続けてください。
そして、変化を感じ取ってください。
それが何なのかわからなくても大丈夫です。
「嫌い」の中にも輝きがあります。
それは照らさなければ見つかりません。
だから、「ありがとう」なのです。
あなたの中の輝き、見つかると良いですね。
ななしさん
そんな貴方をゆるしてあげてください。
りのさん、私も同じ事で苦しんでいます。ですからあなたの苦しみがとてもよく伝わって来ます。
困難な事ですが、嘘偽りのないあなた自身を、いいとも悪いとも自己評価しないことが必要だと思います。
人にはあなたの全ては見えません。あなたがご自身を醜いと思っている部分は、他人には見えていないことなのです。だれにでも全てを曝け出すことは必要なことではないと考えます。
あなたの素敵な部分を見てくれている人は必ずいます。そういった方との関わりの中で、あなたがご自身の素晴らしい部分に気づいて自身を持ってくださる事を願います。
ななしさん
人は人と関わっていくことでしか変われない生き物。
誰でも無料でお返事をすることが出来ます。
お返事がもらえると小瓶主さんはすごくうれしいと思います
▶ お返事の注意事項