“心の壁”という言葉がある。
たぶん、氷のように冷たかったり、コンクリートのように固かったり、バラのように棘があったり、雲のように掴めなかったり、今にも崩れ落ちそうなくらいひび割れていたりと、たぶん心ごとに壁のつくりは違う。
その壁の解消をしようとすると、
地道に掘り進めたり、思い切り殴ってぶち壊したり、溶かしてしまったり、いっそ登ってみたりなど、いろいろな方法が思い浮かぶ。
でもそれらの壁にはひとつの、あるいは人によってはいくつかの扉があって、それを見つけるのが上手な人がいる。
そして見つけた人の中にもその扉をどうするかという点でまたわかれる。
扉を見つけたと喜び勇んで堂々と中に入る人もいれば、
いつの間にか中に入ってきていて心に寄り添う人もいるし、
ただノックをして扉のそばでじっと待っている人もいれば、
開けるのが怖くて見なかった振りをする人もいるだろう。
壁を壊して手を引いてくれるような人が合うという人ももちろんいるのだろうけれど、自分は壁を派手に壊されたとき、その破片が怖かった。
様々な記憶や感情を織りなして作った壁の破片が心に刺さり、深くくい込んでしまうのではないかと。
破片を踏みつぶしながら手を引こうと近づいてくるその人が怖くて、自分はさらに狭い壁を作った。
壊されないように、毎日繰り返す自問自答で壁をより厚くしていった。
今思えば悪いことをしたと思う。
その人の行為を攻撃としか捉えられずに、全力で防御に走ったのだから。
その人はきっと悲しかったと思う。
自分の行為はその人の壁をすり抜けて、心に酸をかけてしまったのではないかと。
…その人とは今でも連絡を取り合うけれど、
長くなりそうなので(既に長い)また別のお話で。