お涙頂戴モノが嫌いな人って、感動に繋げる為の捻じ曲げられた展開や、製作者の開け透けた意図に違和感を感じて嫌がる人が多いと思うんです。本当に感動出来るモノはそんな浅はかな作りにはなっていない様に魅せますから。(映画のCMが代わり映えしないのはやはり需要があるのではないかと。)
でも主さんは違うんですよね。泣く事はみっともないと教育されて今日まで来た。それが正しいと。でも周りはそうではない。「おかしい。こんなにも自分は我慢してきたのに。教えを守ってきたのに。それなのに自分はだめで他の人間は許されているのは何故?許せない!」
主さんが感じる苛立ちは、お涙頂戴モノの作品でもなければ、それに涙を流す観客に向けられた侮蔑でもなく、「泣く」行為を封じてきた親に向けられたものだと推察します。(そうでないなら主さんはただお涙頂戴が嫌なだけ、なのですが。)
主さんはご自分でも薄々気づいているのではありませんか。人間は辛い時や嬉しい時、理由も無いでも無性に泣きたくなる生き物で、別に間違ってない気がする…と。(ちなみに涙を流してストレス発散、は科学的にも証明されています。「涙活」なんてのもあるくらい)
だからこそ、教えられてきたものと、自由に泣いている人間達と、自分の中で葛藤する感情が矛盾している事に困惑し、小瓶を流したのでは。
主さんは幼い時分から繊細な感情を持っていたんですね。そんな主さんだからこそ、もっと感じるがままに、素直になっても良いと思いますよ。自分を一方的に傷付ける人間とは程よく距離を置く事も自衛です。
長々失礼しました。