つらい
くるしい
きょうも切ってしまった
いつも なんのためにいきてるのか
わからない
なにもしたくない
きえてなくなりたい
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
小瓶主さんの想いを優しく受け止めてあげてください
ななしさん
あなたの宗旨が許すという前提で、書く。あなたに強制するというたぐいのものではない。
死にたいと思うのならば、観音に、助けてくださいと一心に祈るのがいいと思う。観音と言っても、聖観音、十一面観音、千手観音、馬頭観音、如意輪観音、不空羂索観音、などがいる。どこかにはいるだろうから、余り遠くに行かないでも、近くにいると思う。観音霊場巡りということを言っているのでは、必ずしもない。念彼観音力(ねんぴかんのんりき)ということもある。因みに、オン・バザラ・タラマ・キリク・ソワカというのが、千手観音の真言である。
生きていると、辛いことが多い。それが、人生というものの現実ではある。人は皆、辛さや苦しみを背負って生きている。夫々の人生を、みんな夫々、生きている。周りを見れば、みんな笑顔だったり楽しそうにしていたりして、そのような皆と自分とを比較してしまったりして、益々辛くなってしまうかもしれない。それでも、今自分は、若い時に苦労をしているのだと思って、その辛さや苦しみを、受けるのがいいと思う。あなたも苦しいと思うが、その苦しさによって、あなたも人の苦しみというものが分かる。人はどれ程の苦しみを背負っているのか、確かにそれぞれ程度は違うが、少なくとも、みんな苦しみを背負って人生を生きているのだということは、そのうち分かると思う。それも、苦しみをある程度受けてから、或はあなたも一人の人間として成長してから、分かることなのかもしれない。苦しみから逃れようと思っても、逃れることはできない。逃れたと思っても、いつかまた別の形で、往々にしてより大きな苦しみを伴って、あなたに迫ってくる。若い時だから耐えられるということも、ある。年をとってから苦労するのは、本当に辛い。
苦しみにどのように耐えるか。ただ耐える、それがいいとは思う。ただ、弱音を吐いたり泣いたりして、それでも生きている、それも耐えたということにはなる。生きてさえいればいいということも、時と場合によってはある。何か耐えるよりどころというものがほしいのならば、神仏或は自分自身ということにはなると思う。自分を信じる、ということも、大事なことではある。それも、毎日毎日生きて生活して、その中で試行錯誤して、自分を信じられるようになる、ということかもしれない。
余り役には立たなかったかもしれないが、この辺で書くのを止める。
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