自分はあのとき自殺していればよかった、そのようなことは最近は思わないが、昔はよく思っていた。あのとき自殺していれば、これほどの苦しみには遭わなかったであろうに、そのようなことを、昔は考えていた。ただ、今も、苦しい時に、死にたいとは思うが。それでも、自分は生きている。昔のフランスのモラリストは、太陽と死をじっと見つめていることはできないと言っていたが、確かにそう思う。死というものを考えると、ブラックホオルのようなものに吸い込まれて行くような感覚が、何かある。それでも、ふと我に返り、思い直す。死というものを余り見つめすぎない方がいいと思う。
オン・バザラ・タラマ・キリク・ソワカ
これは、千手観音の真言である。正確に言えば、サンスクリットの(千手観音の)真言を、日本語のカタカナで音を表記したものである。他に神とか祈る対象があればその神などに祈ればいいと思うが、ないのなら、辛くなったときにこの真言を唱えて、千手観音が一緒にいてくれると思えばいいと思う。
仏ならば、自分の先祖の菩提寺に行って、その本尊に心の中で話してみればいいのではないだろうか。その時に、般若心経を唱えて、その仏に対する回向文とともにあげるのも、大切なことではある。菩提寺に行った時には、先祖の墓参りに行って、掃除をしたり水や菓子などを供えて、手を合わせるのがいいと思う。墓の相とか向きとか位置とかそういうことではなく、大事なことは、先祖の冥福を祈ることである。毎日太陽が昇ってくるが、その時に、手を合わせるなり柏手を打つなりして太陽におはようございますと挨拶する。神棚があれば、毎朝お参りする。たとえばそのように、功徳を積むのが、大事なことだと思う。
或は、自分の部屋に仏像などを買ってきて置いて、その仏に水をあげ、手を合わせることでもいいと思う。自分の家に仏壇があればその本尊と先祖に手を合わせるのがいいと思う。どの教えがいいとか言うよりも、まずその仏のところに行って、手を合わせ祈るのがいいと思う。
神仏に祈るとして、他に祈る対象がなければ、千手観音に祈ることをすすめる。
余り役には立たなかったかもしれないが、この辺で書くのを止める。