友人が結婚した。
自分の人生で唯一、関係が途切れることのない人だった。
(それまでの友人といえば、偶発的に縁が切れるか、こちらから逃げ出した)
高校の時からの友人で、同じ部活で、オタク仲間だと思っていた。
だが、友人は結婚した。なんでもお相手とは、大学の時点でめぐり合っていたらしい。
(ちなみに大学も、学部こそ違えど同じところに入った。しかし自分は大学特有の繁殖最優先リア充オーラに揉まれて精神をダメにして中退した。理系志望だったのに、勉強が嫌になり文系で滑りこむことを選んだ自分も悪いとは思っている。)
社会人になってしばらく経つ去年の正月、地元に帰ってきて一緒に食事をした時に、付き合っている相手がいること、今年中に入籍予定であること、大学で出会ったことを打ち明けられた。
聞かされた時、「祝福するべきだ」と思った。でもできなかった。「なんで?」と「オタク仲間なのは嘘だったのか?」という思いが去来したが、当然口にはできない。視線をそらしながら「おめでとう」とは言った気がする。いや言えてないかもしれない。記憶があいまいになる程度にはショックだった。オタク仲間だから、恋愛とは無縁と思っていたのに。前述のように自分には恋愛、そしてその背景に潜む性愛に、昔から忌避感があった。
そうして自分がひどく傷ついている事実を客観視したときに、疑問が芽生えた。
「なぜ、友人の結婚がこれほどまでに苦痛なのか?」
最初は同性愛かと思ったが、別に友人は恋愛感情も性的欲求も対象ではない。であれば同性愛ではなさそうだ。モヤモヤしながらネットを漁って、アセクシャル・アロマンティックという文脈に辿りついた。anone.の分析に基づいても、間違いなく自分はこれに該当する。結局のところは、裏切られた感が痛みの原因だと思う。そうして、去年はどうにか落ち着いた。
今年の初めに、また食事に行った。今年の秋ごろに結婚式をする予定なので、よければ予定を開けておいてほしいとのこと。流石に1年も経てば傷も癒えたし(自分の特異性によるものだと理屈がわかれば、ある程度はごまかせる)、喜んで参加すると返した。
先週になって、改めて式の参加の可否についての連絡が来た。
…どうしても、参加を選べなかった。
事前に理解していたはずなのに、結婚式という祝福の現場が、「社会通念の押し付け」に感じられてしまった。人間は、どこかで恋をして、家庭を持ち、子供を作る。これが幸せだ、という「普通の幸福」への嫌悪が抑えられなかった。
とはいえ、今までの付き合いを思うと、義理は果たしたい。しかし、行けば自分の心がズタズタになるのは目に見えている。三日三晩うなされた挙句、「行けないが、祝電で代わりとする」という、自分のような非人間でも社会通念として選べるまともな道を選んだ。だが友人は、それを優しく断った。Aro/Aceとしての内心を知られてはいないと思うので、おそらくこちらの経済的事情を汲んでくれたのだと思う。でもこの善意すらも苦しい。自分がフリーターとしてもがいていることすら、社会から失格の烙印を押された気分になった。
そしてまたこの苦痛を少しでも癒そうとネットに潜り込んだりしているけれど、ますます苦痛は強まるばかりだった。シスジェンダー男性のAro/Aceがいかに少ないのかを痛感した。もちろん、単に自認していないだけ、堂々とオタクと言い張れるから、明かせば他の男から揶揄されるから、社会的通念からある程度は許されてるから、とか色々な理由はあるだろうけれど。
それでも、男としてのステレオタイプからは逃れられないし(外から見れば疑いようもなく男)、そのステレオタイプ含む男性優位の社会に嫌悪感がある事すらも同意を得られないだろうし、とか色々考えた結果として、諦めることにした。少なくとも他人にバレなければ生きていけるはず。
…だが、諦めたところで、どうしても拭い去れない苦痛はある。自分は、生きていくだけで、あとどれだけの苦痛を背負っていくのだろうか?言ってしまえば、自分が勝手に傷ついているだけなのだけれど。それでも、痛いものは痛い。苦しい。正直に言えば、自分が人間の形をしていることにすら忌避感がある。どうして自分はこうなのだろう、という自問にも疲れたが、度胸もないので、ただ電池切れを待って日々を過ごしている。
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
すごくやさしい言葉をかけてあげてほしいです