私は恥ずかしながら29年間、今までで一度も努力をした事がありません…。
何でも出来る天才ではないのと、頑張らなくてもやっていける環境だったわけではありません。
「努力」は、自分と周りの双方が「この人は努力している」と思わない限り努力しているとは言えないと私は思っています。
だから、部長に「人生で一度も努力した事ないのが君を見ていると伝わってくる」と言われ、そして私自身も、仕事終わりに勉強する事は当たり前であり努力に入らないと思っているので、双方の意味で「一度も努力した事がない」になってしまう。
両親から「頑張っていて偉い」と最近言われましたが「あなた方が何と言おうと私は努力していない。私の事分かったように言わないで。」と伝えました。
私は身近な人に相談したいのです。
どうしたら周りの人のように胸を張って「自分は頑張ってる!!誰が何と言おうとも!と言えるかっこいい人になれるのか?どうすれば努力出来る人になれるのか」
私は悩んでいるのです。
でも
・努力してる人が聞いたら、何言ってんだこいつ。
・努力した事ないならじゃあ努力しろよ
と思われるのでは、「努力した事ないから努力できる人が羨ましい」は嫌味に聞こえるから口にするべきではないと考えてしまいます。
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
小瓶主さんの想いを優しく受け止めてあげてください
yuki.
仕事終わりに勉強することが努力でないなら休日も勉強したら良いです。
結果が欲しいなら仕事に活かせる資格取得を目指して取得できたら努力してると言えるし、取れなかったら努力が足りないと言えるのでは?
ななしさん
努力って例えばクラブ活動の練習とか、【学校終わりに何かしらやっていた事】をそう表現してたように思います。
大人も仕事が終わり、そこから頑張ってる事を努力と表現してるように思います。
勉強って、楽しいですし、興味がある分野は長時間ずっと続けられますね。
しかし、大学受験してる人は辞めたい。しんどいと聞きますよね。矛盾してる。
つまり、何かしら目的がある人間にとってはプレッシャーが発生する。その精神的な苦痛が共わないものは、多分もう努力ではないのかもしれませんね。
努力とはただ勉強してるとか、筋トレしてるとか、そういうものではないのかもしれない。と自分は思いました。
長年自分は努力してるつもりでしたが、今でも続いていますけど、努力というより【習慣】と言う感じがしますね。
まだ主さんは勉強する意欲があると思いますが、老いてくると頭使うのが段々と苦痛に感じたり、無駄に感じたりしてくるかもです。闇雲にやってるのは努力じゃなかった。自分はそんな結果になってしまいました。
結果がないと、虚しさが残るので注意です。自分も何かしらやってきた身。若いと成長を実感するけど、それなりになってくると何が変わったのか。そんな苦しみも芽生えるかも。
どんなに努力しても、上には上がいる。敷いて言うなら恥ずかしいかも(ごめんなさい)。努力は厳しい世界。驕らないように注意したいですね。
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