中学生以来、実に十年ぶりに異性に告白をしました。
知り合って一年ですが唐突に好きかもしれないと思い、数日自分の心と向き合った上で告白をしようと思いました。
結果的に振られてしまいましたが、それはそれとして人を好きになれた自分にホッとしています。
燃えるような恋ではないけど、一緒に生きていきたいなと思うような人でした。正直友情の延長線上にあるようなカタチでした。
もともと友情と恋愛感情の違いがあまりないタイプで、今回もどちらなのかとても悩んだんですが、悩むくらいなら言ってしまえと思い、行動に移しました。
久しぶりに声が詰まりました。
ああ告白とはこういうものだったと。20代も半ばにして思い出しています。
私にはトラウマがあります。
きっと人には一生言えないけど、抱えて生きていくであろうトラウマが、私を恋愛に対して鈍くさせます。
元から友情と恋愛を上手く分けられない自分ですが、トラウマもあってより分からなくなっていました。
けれど今回薄らとですが人を好きになることができて、告白までできて良かったと思っています。
でもどこかでそういう行動がしたかっただけなんじゃないかと、告白という行動をしてみたかっただけなんじゃないかと思う自分もいます。
周りが結婚のタイミングで、恋人もできたり別れたり、そういう彼らが羨ましくなったのかもしれません。
自分の心って存外理解できないものですね。本心で告白したのか、私にはいまだにわかりません。
振られてそこまでショックを受けなかったからだと思います。
強がりでもなんでもなく、ほんの少しだけああ振られてしまったな悲しいなという気持ちだけがあった以外は、なにもありませんでした。
私には縁のないものなんでしょうね。
ちょっとだけスピリチュアルなものを信じています。地球では説明がつかないものや現象が、私には見えないし知らないだけであるんじゃないかと思っています。
そういった類いのものが、私の人生で誰かと一緒になるという行為そのものを、入れ忘れているように思えてくるのです。
忘れっぽい神様だったんですかね。
私は昔から40になるまでは生きようと思って生きています。ですが裏を返せば40以降は死んでも構わないと思って生きています。
希死念慮がずっと私のそばに居ます。それが当たり前すぎて、全人類抱えているものだと思ってしまいます。
思わない方もいるんだとか。
40までに誰か一緒に生きてくれる人が見つけられたら、もっと長く生きようと思えるのかもしれません。
そうなれたらいいなと、最近は思います。
いま振られたくらいじゃ死なないけど、40になったら死にたいです。
病気とかで。
私が治療すれば生き延びられる病気に罹ったら、きっと治療を拒むでしょう。
この世の中は私にとってまばゆいです。
推しもいるし人生楽しいなと思うんですが、ときどきしんどくなります。
私は弱い人間ですから、安楽死制度なんて
ものも考えてしまいます。
臓器を必要としている人にあげることができたら。もっと生きたいと願う人はきっとたくさんいるはずです。
分かっているのに、考えることを止められません。
まあこれが自分なんだと受け入れて、40までは頑張って生きようと思います。
今回振られてしまった人ですが、この人となら生きていけるかもしれないと思ったんですけど。
人生ままならないですね。
ダラダラと書き連ねてしまいすみません。
読んでくださりありがとうございました。
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すごくやさしい言葉をかけてあげてほしいです
ななしさん
安楽死制度ができたとして、それが関係者にとっての救いであって欲しい。
実行する人も救いのために仕方なく実行して、
死ぬ人も救いのために死を選んで、
周りの方もまるで病死の人を見送る気持ちで見送る。
これができそうにない状態で、制度が整ってしまわないかと危惧しています。
死は単純解すぎて正解じゃない。
科学が未熟なので、スピリチュアルも否定はできません。スピリチュアル的に、会いたいと願えば会えるかも。
この世がまばゆいのなら、サングラス🕶️をどうぞ。羨ましいと思ったら、顔や態度に出さずに捻くれ者になって皮肉を抱いてもよし。
希死念慮 気分な時だってありますよ。
もしかしたら、全人類が持っているのに、一昨日食べた夕ご飯みたいに忘れているだけかもしれませんし。
私が希死念慮を抱いたのは、たしか、去年の今頃。でも、もっと最近だった気もします。
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