中学生のときの、あまりいい記憶ではないけれど忘れられない体験です。
その日の授業は(たしか)自分や周りの人のこころについて学ぼう、みたいな内容で。
途中から「多様な性」みたいな、性向や嗜好の違いに関する話題に入ったんです。当然LGBT(性的マイノリティ)の話も出てきたわけですが、そこで配布されたワークシートに対して、すごく、なんというか言葉にできない違和感を覚えて。
あなたは自分の性をどんな風に認識していますか?みたいな導入から始まって。
どんな人が好き?あなたにとって愛とは?といった感じで続いて。
世の中には、“自分は男性だけど男性が好き”というひともいます。それは全くおかしなことでもないし、悪いことでもありません。愛情の形や好みは人それぞれで、その違いを尊重して、認め合うことが大切です。
みたいなことが書いてありました。
これ、どう感じますか?
ぼくは個人的に、すごくもやもや(むずむず?)しました。
冒頭の男性[だけど]ていう表現に。
なんか腑に落ちないなとか、これ誰が作ったんだろうとか。ずっとそんな気持ちでした。
いきなり男性[だけど]なんて書いてしまったら、その時点で【男性とは、女性を恋愛対象とする生き物なのだ】ていう大前提があることになっちゃうじゃん、て思ったり思わなかったり。女性も然り。
このできごとがある前からうっすらと感じていたけれど、むろん生徒たちの性的嗜好に関する話題や性教育に限らず、教育機関としての〈学校〉の限界を見た気がします。
どうかいまは、カリキュラムが改善されていて、自分と同じような思いをさせられる子が少なくなっているといいな。
ここまでお付き合いいただき、
どうもありがとう。
また次回。
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
小瓶主さんの想いを優しく受け止めてあげてください
僕の現在位置@花粉症
人間、ことばに対するアンテナの感度にも、捉えたことばを分析する際の解像度にも大きな差がありますね。
キャッチするフレームの大きさは同じでも、それをいくつに分けて考えますか? っていうところがみんな違う。
【だけど】の部分に違和感を抱いたハツコイ娼女さんは、高解像度でものを見ているんだろうなぁって思いました。
それでは。
ハツコイ娼女
お返事ありがとうございます。
ゲイやレズビアンの人々(の考え、価値観)を生理的に受けいれられない方(バイフォビアとも言うそうです)は少なからず居るのは当然だし、そういった方とそうでない方どちらもが共生してこそ真の多様性なのでしょう。
教育なんていまはそんなもんです。
いくら単語や公式ばかり叩き込んだとて、それは知識にはならず「記号」として記憶されるだけです。
養老孟司せんせいがおっしゃっていました。
ただ、少数派ばかり生きづらい思いをしてしまうのは、個人の性的な嗜好や恋愛観に限った話ではなくとも、人間が人間の社会にとどまっている以上は変わらないのだろうなとも思いますね。
ななしさん
残念ながら私の学校では今も変わってません…。あくまで恋愛は男女が前提として話が進んでいました。
授業の教育用動画も"だけど"という言葉が多用されていました。
私も腑に落ちないです。
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