適応障害を発病してから3年が経った。
発病から半年後に前職を退職し、1年と数ヶ月の無職期間を経て仕事を始めた。正社員になることがもはや恐怖となり、1年と半年ほどはアルバイトで食いつないだ。前職を退職したタイミングで実家に戻ったため、家賃や金銭面で困ることはなかったので、のんびりとアルバイト期間を過ごさせてもらった。そして先月、アルバイトとして働いていた会社で正社員として雇用してもらった。未経験技術職のため仕事はまだまだできない状態で迷惑かけっぱなしの毎日だが、それでも仕事自体は嫌じゃないし、あの状態から復帰して、正社員になれたことは本当に良かったと思う。
たかが3年、されど3年。本当に長かったように思う。今だって社会や世界に対して不信感がなくなったといえば嘘になる。不条理な世の中は耐えられないし、頑張ったところで評価されない社会も、自分で自分を褒めよう他人に評価軸を渡してはならないとたくさんの書物は主張するけれど、私の生活は社会と他人の評価に首元を握られているので、どうしてそれらすべてを無視しろというのだろうと、そのあたりの折り合いは未だにつけられていない。
10月になると思い出す、3年前の10月11日に適応障害と診断されたとき。苦しかった休職時代。何度もベルトで首をくくろうとした日々。それでも死ねなかったので生きるしかない。どうしようもなく生きる選択肢しか私には与えられていない。
今はうつ状態も寛解して、楽しかったことを楽しいと感じられなかった趣味も今はものすごく楽しいし、日々が充実していると感じる。趣味が本当に楽しく感じられることが、本当にうれしい。だから3年前のことを振り返る時間すらなかった。もう振り返らなくてもいいんだと思った。
けれどやはり10月に立ち返り、ふと思ってしまった。今がものすごく楽しいと思えている分、自分の人生すらかけていた趣味をほとんど楽しいと思えなくなっていた前職の7年間は一体何だったんだろう。こんなに楽しい人生だって選べたはずなのに、なんて無駄な7年を過ごしてしまったんだろう。
どうして他人に評価されることを生きがいにして、仕事に傾倒してしまったんだろう。
どれだけ頑張っても営業成績は良くならなかったし、みんなの前に立たされて晒し上げられるような叱責も受けた。意見を言えば「お前は仕事ができないのに文句だけは1人前だな」と怒声を浴びせられた。部署異動して数字に追われなくてもよくなって、得意な仕事ができたので会社がよくなるように精一杯頑張った。リーダーのしていた仕事も引き受けたし、部署の悪い慣習も変えてみせた。そこで働く人たちのためならなんだってやった。そのうち残業が月50時間ペースになって、ミスが増え始めて、小さなミスでも「不快だ」「使えない人間だ」と陰口を言われて、それでもみんなの残業が増えないように頑張っていたのに「◯◯は仕事を独占しすぎている」とリーダー会議の議題に上げられていたことを知ってしまい、ショックで何もできなくなった。そんな風に「みんなのために頑張っていれば回り回って自分に返ってくるはずだ、これは全部自分のためなんだ」と自分に言い聞かせて、いつか他人から評価される日を夢見ていたけれど、実際に昇進したのは同期と後輩で、私は昇格すらされなくて給料は7年間横ばいだったし、年金や社会保障が高くなった分手取りは少なくなっていた。
自分の好きだったことが好きだとも感じなくなって、他人の評価のために仕事に傾倒して心身を壊して、本当にこの7年間、一体私は何をしてたんだろう。
7年、何もかもが無駄だった。
他人の評価を得ようとして勝手にキャパオーバーして心身を壊したと言えば本当に滑稽なことだと今なら思う。でも当時の私にはそうするしかなかった。他人に認められたかった。頑張っている姿を評価してほしかったし、実際実績も作っていたのに、どれだけ頑張っても誰も私を見なかった。昇格昇進もなければ、降格もなかった。会社にとって私なんていないも同然だった。人生のほぼすべての時間をかけている会社に、全面的に無視されたも同然だった。そのくせ少しでもミスをすれば上司や同僚や後輩に陰口を叩かれることが、本当に本当に辛かった。
7年の虚無と10月の苦痛を思い出すと、今でも涙が出てくる。1-2年前よりも悲しい感情は薄くなっているけれど、それでも蘇る胸の痛みは3年前と変わらない。
もうこんな苦しみに立ち返らなくてもいいのに、やはり10月になるとすべての苦しみを思い出してしまう。
今の楽しい時期だって、永遠に続くわけではない。きっと前職のように好きなことを好きだと思えなくなる日だって来る。その日が来てしまうことが本当に怖い。
そうしてもやもやしたこの気持ちを、小瓶に流したら、少しでも気が晴れるのではないかと思ってこの文章を書いた。
未だに私は前職の会社も、頑張っても報われない不条理な社会も、物事のほとんどが運によって決定づけられる世界も許してなどいない。他人に評価軸を与えるなと思いながら、生活を他人に握られている事実も飲み込めない。適応障害発病から3年が経って、正社員にもなれて、もう何もかもが終わったように見える日々でも、本当は何もかも終わっていないんだと、胸の痛みにまざまざと実感させられる。本当に何もかも終わってなどいなくて、今でも体力は回復していないし、今日みたいにメンタルを崩して何もできなくなることもあるし、ほぼ毎日のように頭痛がする期間だってある。
同じぐらい心身を壊した両親の離婚の件も、立ち直るまで10年以上はかかった。今回の件も、立ち直るまで同じぐらいの時間がかかるんだろうか。きっとこれについて立ち直る前に、また同じぐらい心身を壊す出来事が多分あるんだろうと思うと、本当に憂鬱だ。もし同じ分量の悲しみに襲われたら、もう私は生きている自信がない。
今は永遠に続かない楽しい日々を謳歌していれば良いんだと思うその裏で、3年前の心の傷を無視できない私がいる。
もうそんなこと考えなくても、無駄に悲しみに立ち返ることなんてしなくてもいいのにな。
でもさ、高校時代から人生なんて楽しくなくて、両親が離婚して10年間苦しんで、さらに10年も虚無な期間を過ごして心身壊してようやく今更謳歌している楽しい日々なんて、結婚して子どもを産んで順調に進む人生を謳歌している同年代と比べたら、自分一人が生きていくのに精一杯で、もはや結婚も家族を持つことにも嫌悪している私の人生、なんてちんけなんだろうって思うんだよ。
いつになったら心から生きていることが楽しいと思える日が来るんだろうか。
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