前回に引き続きカメラロールにあった動画の話。
今回は、高一の5月ごろに実家を母と離れることになったときに撮った庭の動画。
よく手入れされていた。
それもそのはず、手入れをしていた母が忙しさで手をつけなくなりもう何年も荒れていた庭を再び手入れしたのは、他ならぬ私だった。
中学生の頃、学校でも家でもなんとなくストレスフルで勉強に集中できなかったし常に部活で疲れていたし死にたい気持ちややるせなさ、無気力感に苛まれていた私を救ったのが庭の手入れ(と料理)だった。
緑が茂っていて、それでいてレンガの道は余計な草もなくよく見える。ジューンベリーの木。小手毬。スズラン。紫陽花。チェリーセージ。ブルーベリーの木。
今になってみると、母親はわりと趣味が良かったのだなと思う。チグハグなんだけどなんかわりと整ってる、そういう庭だった。
それを手放す動画だった。
私の記憶では、私が中学生の間に姉に「お前が土をいじるから私の病気が悪化する!」と言われてからなんかもう嫌になって庭をいじるのをやめてしまった気がする(料理も同様に)のだけれど、動画上では綺麗に整っているから不思議だった。家を出るからと最後にきれいにしたのかもしれない。
母によると近所に住んでいた伯母さんからもここ数年で一番きれいになったねと言われたらしい。
綺麗だなと思った。素直に。
当時はよく分かっていなかったけれど、あんなに緊張感のあった実家でも、実家であるというだけでなにか良い作用があったのかもしれないなと思う、あの庭も含めて。
なんでかって、アパートに移り住んでから、なんとなく生きる気力がなくなってしまって、勉強に打ち込めなくなったから。関係ないかもしれないけど。
でももしかしたら、普通じゃありえないような制約を抱えた日常から解放される喜びに押されて、そこのところに鈍感だったのかもしれないと今になって思う。
希望に満ちていたあの頃が懐かしい。あれからまだ、三年半程度しか経っていないけれど。
これからはもっともっと、グラフの右肩上がりの直線のように幸せになれるって信じてた。実際は、あの瞬間から崩落は始まっていたのだ。
でもあのときの感覚を今こうして思い出せている、だから今はちょっと、またあのときみたいな気持ちを味わえているような気がする。すこし。
一人暮らしを始めてから半年、ついにまた生きる気力が湧いてきて料理も最近は頻繁に自炊をするようになった。大学に行くときにお弁当を作ったり、その写真を撮ったり。またそれを友達に見せたり。料理の楽しさを、豊かさを、すこしは思い出せた気がした。
庭の動画を撮ったあの頃から、私は確かに変わった。
アホ毛が間抜けに飛び出してるひとつ結びの暗い無気力な少女はもういない。
身だしなみに気を遣える。周りのことを思って明るく振る舞える。友達がいる。恋人がいる。趣味が多分ある。幸福を真摯に目指そうと思える。
それもきっと不足ある面も多々あるのだろうけれど、私にはきっととても必要なことだった。
そしてその必要なことを手に入れることのできなかった私は、手に入れることのできる私へと変わった。
しかし、心のどこかにはまだそのような私もいるのかもしれない。
でも、それはそれでいいと思う。
ただ、彼女について、語れる私でありたいと私は思う。その加害性も、きちんと理解しようと思う。
そう思った。
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