唐突ですが、この小瓶を読んでくださっている方に一つ聞きたいことがあります。
あなたの思う「生と死の境界」ってどこにありますか?
それをお返事の小瓶に書いていただけるとありがたいです
境界の考えはどんな内容でも構いません。決して否定はしません。
私自身、生と死というものは科学的な話だけでは語れないと思っています。
別に社会の求める答えだとか、誰かに共感される答えじゃなくて大丈夫です。
あなたが純粋に思う生と死の境界を教えてください
お手数をおかけしますがどうぞよろしくお願いします。
お返事をください
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
小瓶主さんの想いを優しく受け止めてあげてください
Varna Irvine@海外
生と死の境界は他人にどう思われるかによって変わるんじゃないかな
もし実際に誰かが生きていてただ気絶しているだけだとしても、周りの人がその人が死んでると思ったらその人は死んでる事になるし、逆にもし死んでいたとしても誰もそのことを知らなかったらその人は生きてる事になるし。
空は紫
ななしさん、お返事ありがとうございます!
いえいえ、こんな曖昧な質問に全力で考えてくださってありがとうございました!
すみません…最近少しメンタル不調でして、お返事が遅くなってしまいました。
メンタルを崩したぐらいに3通程お返事を頂きました
お返事をもらえる、こんなに嬉しいことはありません!ですが、メンタルがやられているのでお返事できるのが1日1通ぐらいになってしまいました。そのせいで疲れもあり、内容が薄いものになっていたような気もします(日常生活もかなり支障が出ており、生活するのでかなり精一杯でした)
それ故に今頃になってしまいました。
こんな遅くになってしまい、申し訳ないです!<(_ _)>
「私は生と死の境界という考え方を今までしたことがない」ですか…
物差しの端と端、なるほど…その考え方には境界というものは無いかもしれませんね!
「事故や災害にニアミスした時、あの時あと1分早く出ていたらとか、手術や病気でどちらに転んでもおかしくなかった」というのは、いわゆる「生と死の境目を彷徨う」みたいなものでしょうか?
確かにそういう時は生死の境目を感じるかもしれませんね。
それは実際に体験してみないとわからないものですね
「生と死の境目」とは意外と難しいものでしたね!人は同じではないので、意見が合わなくても当然です。でも、この問題には解答という「解答」が無かったのかもしれませんね!
何か人には聞けないような疑問を持ったらまたここに聞きに来るかもしれません、もし良かったらその時もご意見をお聞かせください!
長文失礼しました(^-^;
空は紫
yuki.さん、お返事ありがとうございます
なるほど。命の切れ目、意識の切れ目、記憶の切れ目、居場所不明、いろいろな理由が境界だということですか。
生と死の境界は何か一つだけの理由で出来ているものではないのかもしれませんね。私がこの質問をしたのは自分の回答を見つけたかったからなんです、少しづつ分かってきたような気もします。
わざわざお返事ありがとうございました
空は紫
クロトさん、お返事ありがとうございます。
存在があろうとなかろうと、記憶に残っている限りは人は生きている…とても素敵な考え方だと思います!
人を共感させる回答が出来るのは、「最高の死に方」を探しているからなのですか?私には分かりません(苦笑)
受験はさぞ大変だと思いますが、自分のペースを大事にしてくださいね!自愛第一!ですよ。
LGBTQのお話をされていた小瓶、拝見させていただきました。ぶっちゃけ私もその中の「Q」に該当している(多分)人間です。お互い頑張りましょう!
誰も答えていない、という回答するハードルが高い時に先陣を切って答えてくださったこと、そして答えは無いも同然な無茶苦茶な質問に答えてくださりありがとうございました!
追記・もし良かったら私の事を「友人」だと思ってください!そう思ってもらえると嬉しいです!
ななしさん
こんにちは
私は生と死の境界という考え方を今までしたことがないです。生と死は各自人生の物差しがあったら最初と最後の離れた位置にあります。花も虫も動物も人間も、生で始まり死で終わる各自の物差しをつないで、世代交代をして歴史を作って行くのかなと。
生と死の境界という言葉で私が今連想したのは、事故や災害にニアミスした時、あの時あと1分早く出ていたらとか、手術や病気でどちらに転んでもおかしくなかったとか、そういう時の状態です。
イマイチな回答でごめんなさい。でも真剣に考えました。
yuki.
意思の疎通が不可能になったら死ですかね。
物理的に死んでも死。
生命活動してても植物状態で会話も出来ないなら死。
認知症になって自分のことを覚えてなくて話も成り立たないなら死。
消息不明で一切の手がかりも連絡手段もないなら死。
宛メなら小瓶も返事も見なくなったら死。
クロト
俺は生と死の境界は「人に存在が認知されているか」だと思っています。
その場に居るのに誰にも気がつかれない時や、存在を忘れられている時、俺は「科学的」に生きているとしても、「人間」として死んでいると思います。逆も然りで、誰か一人でもいいから自分の存在を認知している人がいる限り、科学的に死んでいてもその人は生きていると思っています。
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
小瓶主さんの想いを優しく受け止めてあげてください