結局私って自分が下側になれる人間関係を求めてる。
昔友達に対して内心ムダに失望したり軽蔑したりイライラしたりしてたのは、多分、彼女らが私の上に立ってくれないからだった。
ちなみに今は全然そんなことない。
友達関係においては私はそういう関係性を求めることを克服したし、むしろ対等な存在であれることに安心感すら得るようになった。
まあ今でもそういう感情を抱くことはたまにあるけど、それがおかしいことは十分に自覚するようにはなった。
私がまだ学生ではなく生徒だったころは先生って存在が、「先生」の役割をきちんとこなそうとする存在が大好きだった。
教えてくれる、指導してくれる、見てくれる、怒ってくれる、なんか言ってくれる
それだけで男女問わずエモいメロいみたいな気持ちになる。まぶしすぎて苦しくなる。
で、多分そういう存在をずっと求め続けてる自分がいる。
人の目線に飢えてる。自分がどっかしら間違ってる存在だってなんとなく信じてる。だからそれを私はあなたを見ているというメッセージと観察と心地よい誘導で自分の間違いを直してくれる人を欲してる。
人心掌握に長けたモラハラとかいたら多分クソほど沼ると思う。
そしてそれをもはやモラハラとすら感じないと思う。
「私のことを理解してくれる‼︎」
って犬がしっぽ振る時がごとくうれしくなったらもう最後、必死にその人に失望されないようにいうこと聞くと思うし、見捨てられないかという不安で死にそうになりながらあまりの恐怖に逃げ出したくなりながらそのことを(夢から醒めない限りは)とても幸せだと思うと思う。
こういうの何が問題なんだろうね。
自分で自分を理解することを放棄したがる癖みたいなものかもしれない。
理解者の擬態が上手い人間に私は喜んで騙されたい。
それが本物であるか偽物であるかは多分私にはどうでもよく、一度騙された身であるかそれとも本当に親身になられたかもどうでもよく、ただ自分が酔える何かが欲しいと思う。
あまりに苦しくわずらわしい自己の観察を放棄して委託して、そして帰ってくる鏡の反射のような肯定的に見えてどこか否定的な自己像の応答を、ただうっとりとして眺めていたい。いじらしく惨めな私を見て、私は私を、ちょっとずつ殺したい。
でなんでそんな話をしたかって、そういけば彼氏もそういう人種だなあと思ったから。
いやべつにモラハラとかじゃないし全然善良な人なんだけど、なんか心理誘導の上手い人だなと感じる。教師に向いてそうだなと思ったし、それを言ったらなんと他の人にも言われてたらしい。
なるほどなあと。
アプローチしてきたのも告白してきたのも彼だけど、私も何か彼らのような人を惹きつける何かがあるのかもしれないと思う。
いや今のところ願ったり叶ったりだけど。
恋愛に限らず実際そのようなことが以前から何度かあったから、なるほどなあと思った。それだけのことだった。
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