原子核、電気、ネットワーク、飛行機、自動車、AI。あらゆる文明の利器は理数系の頭脳から発明され生み出されたものだから、理数系の才能や頭脳は大変重用される向きがある。
対して文系の頭脳は今の時代はあまり重要視されていない印象がある。理系より格下であると、少し馬鹿にされるような印象すらある。
しかし、文明が十分に成熟し切ったと言っていいほどに熟れ切った今こそ、文系力が問われる時代で、ものすごく重要であると思う。
人を一瞬であの世に送り出せる安楽死マシーンを発明したとして、その発明力は理系の力だ。では、その安楽死マシーンをどのような目的で、誰に、いつ、行使するのか?という、手に入れた力の使い方、使いどころを考えるのが文系の領域である。
生きるとは何か、死とはなにか、死を意図的に選択するとはどういうことか、そういった事を考えるのは文系の領域だ。
技術やツールはもはや飽和状態なほど、揃いすぎるほどに揃っている時代だ。
今も尚、どんどん新しい技術は生まれている。しかし文系力の成熟が、その理系力の発明スピードにまったく追いついていないように思うのだ。バランスが悪いまま、理系だけが先へ先へと突っ走る今の雰囲気に不安を禁じ得ない。
例を挙げるならば、SNSやスマホを適切な距離感で扱えている人はどれくらいいるだろうか?
スティーブジョブズは偉大な発明をしたと思うが、名誉と話題性を掻っ攫いたい気持ちが先行して、人々の文系力の成熟を待たずしてiPhoneを大衆の目の前にぶら下げ、売り出してしまったように思う。
自分にとって、その便利なアイテムはどのような存在であるべきか、どのように行使すべきか、という熟考を重ねる暇もなく、人々は目先の新しく強い刺激に飛びついて、まんまと誤った使い方、過度な使い方にのめり込み、目の前の人や行動や景色をおろそかにするほどの依存症になってしまった。食事中にスマホを見る事がやめられない人がどれほどいることか。
SNSの使い方をよく考えもせずに貪れば、必要性のない喧嘩をおこし、トラブルや訴訟を生む。誹謗中傷で遠くの人を遠隔で傷つけ死に至らしめる事件すら起きる。デマ情報に踊らされ、周りの人間の言葉を聞き入れず関係を悪化させていく。
それはあるべき「力」の使い方だったろうか?
ツール依存に陥るのはつまり文系力が貧弱なのだ。技術や力の行使に自制が効かないのは文系力を使って節度や指針を考える事をしていないからだ。
理系より文系が高尚という話ではない。
その二つは本質を支える両輪なのだ。
片方だけを重用し片方をおろそかにしていいものではない。文系力だけが発達してもいけない。対等なバランスが取れていない状態が危ういのだ。
今の時代はバランスを欠いた光景が多すぎる。危険に感じている。
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