高校の頃は、
もっと「私」が主語だったんだけど、
なんで「私」が主語だったかって、
自分のことしか考えてなかったからだと思う。
私が何に傷つくのか、どういう人間なのか、
どういうときに性格悪くなるのか、とか
そういうのを一通り考えて、
今人生で初めて
ほかのタイプの人のことを考えているんだと思う。
ほかの人のことを考え始めたばかりの時期って、
どーしても解像度は荒いし、
主語もでかくなるけど、
そういう時期ってたぶん
必要なのだと思う。
でも傷つけないようにがんばるよ(ง ・֊・)ง´-
このこかわいい⤴︎
ー
「怒る人ってずるいよね」
って私が思ってたのと同じで、
「傷つく人ってずるいよね」
って思う人もいるんだと思う。
ほんとは
怒ってもいいし、
傷ついてもいいのだ。
ー
自己肯定感が上がったら、
性格悪い自分と対峙しなくちゃいけなくなったな…
って感じてて。
前はね、
自分の性格悪いとこを
徹底的に叩きつぶしていたから、
もやもやとか
イライラとか
そもそも湧いてこなかったのね。
何かにもやっとしても、
「私が性格悪いからなんだ」とか
「私がダメだからなんだ」って思ってて、
それを繰り返すたびに、
自己肯定感が下がっていって、
どんどん内側に向く矢印が強くなってくの。
でもたぶん、
イライラしていいし、
もやもやしていいし、
そういう感情もふくめて、
大事にしなきゃいけなかったなって。
自分のままでいいんだよ。
「優しいひと」になるために、
自分を変形させなくていいんだよ。
自分をつぶしちゃったら、
どんどん心の余裕がなくなって、
もっと優しさから遠ざかっちゃうんだよ。
でもね、
そうやって
優しくなるために
自分を押しつぶすことって、
たぶんね、
やさしいひとにしか
できないよ。
すごいことなんだよ。
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
小瓶主さんの想いを優しく受け止めてあげてください