小瓶に長々と必死に必死に文字を書き込んでたあの頃から私は結局何も変わってなくて、ただ鬱と希死念慮がどんどんどんどん強くなってきて、飛び降りて入院してODして入院してリスカして怒られて、躁鬱って診断されて、ただ死への1歩を着々と歩んでる感じ。
墓入りが目の前にある。かも。
昔の昔、たくさんの人が見てくれた、幸せは缶に残るコーンと同じで最後の最後まで底に残ってて最後は幸せになれるっていう小瓶。
ほんとなのかな。本当に、そうだったのかな。
昔の自分は苦しくても死ぬ勇気は無かったのに、今となっては飛び降りもしてしまって、あと何が怖いのかもわかんないや。
だって死のうと思えば死ねるって分かってしまったから。
死ぬその瞬間、飛び降りた瞬間、
あ、飛び降りちゃったなー。終わりだなー、って思っただけで、幸せだったと思えたかといえばはっきりYESとは言えない。
彼氏出来て、いっぱい会って、いっぱいおしゃべりして楽しかったことも沢山沢山あったけど、相対的にみて苦しいこと多かったんだよね。
割と恵まれた環境にいる自覚はあったしそこそこお金がある家に生まれて何不自由ない生活してるのに、こういう負の感情に苛まれて、死のうとして、死ねなくて惨めったらしく生きて何かいい事、あるのかね。
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
小瓶主さんの想いを優しく受け止めてあげてください
SONO_HIGURASHI
死を望む気持ちは案外誰にでも訪れるものです。
鬱の診断が出てしまったことはとても悲しいことです。
とはいえ診断が出たということは、そのマイナスな感情は病気のせいで誘発されてしまった産物に過ぎないとも解釈できます。ノイズさんに必要なのは、病というノイズをキャンセル処理することですね。
大丈夫、あなたにはまだあなたの為に怒ってくださる人がいらっしゃるではありませんか。私なんて恋愛してくれる相手もいませんから、正直超恵まれていますよ(個人的な感想)。飛び込んだことに恐怖心を持てなくなっている状態というのは、幸福の意味を考えれば考えるほど矛盾した答えしか返ってきません。無味という状態から抜け出すには、とりあえず今日という一日を淡々と過ごすことから始めるといいと思いますよ。中々辛い側面がありますが、朝起きて、おひさま拝んで、朝食をゆっくり味わって、家族と何気ない談笑をして、スマホから離れて、のんべんだらりぼーっと過ごして、青空に気持ちを吸い上げて、流れる雲と風を肌で感じて、夕陽を眺めて一日の終わりを堪能したら、夕飯のぬくもりと湯船のありがたみを味わえば、ぐっすり死んだように寝れるかもしれませんよ。これこそ真の臨死体験です。
なんだか、幸福そうでしょう?
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