どれだけ長く、近くにいて、どれだけ相手が自分を大切に扱ってくれていても、相手を信じ切ることができません。
小さい頃から親の目を気にして生きてきました。なので、人と接する時に仮面を被って接してしまい、無意識に相手が自分に求めているものを考えて実行することが癖になっています。
その癖が上手く機能しているのか、友人や先輩には「人付き合い上手いよね」など好意的な目で見てもらえることが多かったです。
その事自体は嬉しいのですが、時折ふと「仮面を被っていないありのままの自分を見せても受け入れてもらえるのか?」という疑問が浮かんできてしまいます。
親兄弟、友人、どんな相手でも本当の自分を受け入れてくれると信じられません。
唯一、幼馴染が、そんな僕に寄り添ってくれようとしていました。
「一緒にいると落ち着く」「家族以外で一番素が出せる」、信頼を言葉にして、僕に伝えてくれていました。
しかし、人の信じ方も分からず、盲目的に相手を信頼する勇気も僕にはありませんでした。
人を心の底から信頼できない自分に対して、言いようのないさみしさを覚えてしまいます。
どうすれば人を信じることができるのでしょうか?
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ななしさん
昔のご家庭が、気をつかわなきゃならない環境だったんですね。
そのため、他人にも気をつかいすぎるのが、心の負担になっているんでしょうね。
幼馴染の方に、小瓶の内容を話してみてはどうですか。
「ずっと仲良くしていきたいから、お互い気をつかいすぎず気楽にいきたいね」と伝えるとよいと思います。
試行錯誤しながら喜怒哀楽をちょっとずつ出してみて、もし喧嘩したって仲直りすればいいんです。
どんな人も盲目的に心の底から他人を信じているわけでもないので、「ちょっと気を許せるかどうか」が大事ではないでしょうか。
交流してみて、「この人なら少しの失敗ぐらい許してくれる」など安心感がもてるなら、心が楽になると思いますよ。
ななしさん
認知の仕方を変えることです。
エリック・バーンの交流分析を勉強してみてください。
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