ネット上に転がる「○○と言われて傷付いた」「こういう記事を見て否定された気持ちになった」
そういうのを全部拾って、誰かを傷付けない自分をつくろうと思ったら、矛盾だらけで、結局どっちなの?自分の気持ちは?みたいな人間になってしまっているわけです。
一方の味方をすれば、一方の敵になる。
何かに嫌な気持ちになってしまったら、誰かを嫌な気持ちにさせたくない人に謝られる……
そんなあたりまえのことが大嫌い。
君の敵になるつもりも、君を責めているつもりもないのに……君は僕を敵にし、君は僕を加害者(あるいは被害者)に勝手に仕立て上げる。
ここでいう『君』も『僕』も『わたし』のこと。
『わたし』の文章に出てくる『他人』は大体『自分』で、『自分』は『孤独』な世界に生きているのです。
本当の他人と関わると煩わしいから。
全部『自分』なら、概ね思い通りになる。予想外の、パニックになるようなことは起きにくい。
たとえば、誰かに「死ね」と言われたとする。『自分』に言われたことにすれば、『自虐』にしちゃえば、ダメージ少ないと思わない?
だから日頃から自虐をして自己の防御高めているつもりだけど、無駄なんだろうなあ……とも考える。
まあ、この話はいいや。
実際
ネット上に転がる他人の言葉は、とても有り難い。
こうして文字を綴る原動力になっていたりする。
誰かの不幸を話の種にするのは憚られる気持ちもあるが、その不幸の種をどうすれば幸せの花に変えられるかを考えるほうが面白い。もうすでに幸せの花が咲いてて、それを維持する話もいいけど……
ボクは凄惨な過去からハッピーエンドに向かう物語のほうが心が踊るからね。
これは皮肉なことなんだろうし、私の性格が最低で最悪だからこその考えかもしれない。けど、戦争があったから、あるから、歴史の本が厚く面白くなっている。……そういう見方もあるでしょう?
世の中から【いじめ】という概念が消失したら、いじめを取り入れたありとあらゆる素敵な作品たちも無かったことになるのかもしれない。勇気をもらえるような話は、感動するようなストーリーはいったいどこから生まれる?それを考えた時に、傷や痛みは必要だと思ってしまう。
正直堪んないよ。傷を付けられる側は。痛みを背負う側は。
どうして僕がこんな目に……って思うよ。死んじゃいたい、消えてしまいたい、無茶苦茶にしたい。狂ってしまう、壊れてしまう……もうすでに?
そんな僕からしたら、先の作品たちは呪いだ。
希望を見せつけて、現実は……
疲れたから今日はこの辺でおしまい。
あ、ちなみにボクは恵まれた環境で育った幸せな人間です。あいにく今のところ不幸はそんな感じてないかな。「生きるのつらくて死にたい」のはベースにあるけどさ。
でもそんな自分のこと愛おしく思ってるし、それ含めて幸せだから問題なし。
じゃ、また!
おつかれさまでした
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小瓶主さんの想いを優しく受け止めてあげてください
アユム
ほどほどなら
傷つけあっていいんです!!
まあ、みんなそうやって
成長してきたからね……
教科書読んで、わかるわけないでしょ~
こういうのって。
予想外のパニックは楽しいのに~
もう、もったいないな~!!
ネタがなくなるじゃないか!!
ハッピーエンドねー
ボクは何でもいいぞー
何もないよりかは~
いつの日か「いじめ」って何っていう日が
来そうな気がするんだけど
それはそれで恐いと思わない……?
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